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「小原組~ALL OUT~」 2009/7

『闘将、ここに帰還せり。』

投稿日時:2009/07/08(水) 00:43

【[密着ドキュメント]闘将、ここに帰還せり。】

 

 この日、チームから「おかえり」の言葉をかけられたのは、最高のパフォーマンスを見せつけた長野直樹ともう一人、怪我からの復活を遂げた小原正だった。この日起きた主将のカムバック劇。この2ヶ月を記した完全ドキュメントを公開する。


《突然襲った悲劇》


 後半も30分が過ぎたころだった。聖地・花園で交代のコールが告げられた。ベンチに引き返したのは、主将。明らかに足を引きずり、まともに歩くのもままならない。


 「ラインアウトで、降りた瞬間に。相手の体が乗っかって」


 左足に走った激痛。実際の症状は、詳しい検査をしないことには分からない。だが、にじみ出る冷や汗が、事態の重さを感じさせた。


 「春は無理かも」


 そのときは、そう口にするしかなかった。先が真っ暗になっていたに違いない。


 その翌日、部室でビデオを食い入るように見る小原の姿があった。


 たまたま訪れたアメリカンフットボール部主務の三井良太(法4)とは当然に怪我の話になった。


 「前十字だったら、今季は絶望」


 よもやの台詞が小原から飛び出す。三井も不安そうに、靭帯断裂の場合はこうなるといった経過について口にした。


 考えたくもなかった。だが最悪の場合が頭にあった。小原自身が、一番不安に襲われていた。


▲慶応大との記念試合は、立てぬままノーサイドの笛を聞くことに


《そして安堵が訪れた》


 気が晴れたのは、検査後だった。


 「前十字やない」


 そう医者から告げられたときだった。


 「うわぁーって。大丈夫って言うてもらったときは、涙出て嬉しくて」


 今季絶望の不安は消えた。現実のところ、上半期の対外試合も戦えるかは分からない。それでも『復帰』の2文字がはっきりと目の前に現れたのが嬉しかった。


 それからは外から試合を見ることになる。自分抜きで戦うチームを見つめる日々が続く。


 「オレがおれんくて、どこまで勝てるんかなって。おごりじゃないんやけど、逆にネガティブに考えてて」


 自分の役目は忘れなかった。試合のときは、ベンチやサイドラインぎりぎりで、声をあげる。その声は誰よりも響いた。


 そうして6月の関東遠征から次第に強気の発言が聞かれるようになる。


怪我の調子は?

 「夏はいける。強くなって帰ってくる」(6月7日・日体大戦)


はやくラグビーがしたい?

 「たまってるよ。出たかったんやけどヒザがまだゆるい。リハビリでフィットネスもやりつつって感じ」(6月20日・総合関関戦)


 小原復活の青写真は出来上がっていた。そして、そのXデーは上半期の最後に訪れる。


▲ユニフォームは着れずとも、チームの中心で声をあげる(関東学院大戦)


《思いもしなかった出番》


 大体大との上半期最終戦。訪れた観客はメンバー表を見たときにふと気付いたことだろう。「Bチーム:5/小原正」。Bチームながらも、主将が復帰できる状態になったと想像したに違いない。いかにもそうであった。しかし闘将がフィールドに姿を現したそのときは、大方の予想よりも数十分前。Aチームのピッチであった。


 「えぇうそやろ」


 先発したLO松川の不調から出番が告げられたとき、当の本人が一番驚いた。リザーブとはいえ、それは2試合目にむけての話。準備はしていたが、「気持ちの準備はしてなくて」。背番号『18』の黒ジャージに急いでそでをとおす。


 そのときだ。


 「バラオ、行ってこい!」


 「キャプテン見せてこい!」


 ベンチから送られたエールに胸が熱くなる。


 「しゃあッ!って。走れないから、鼓舞するしかできんくて」


 それだけで良かった。小原のリーダーシップは、チームを鼓舞するその闘志があってこそのもの。


 約2ヶ月ぶりにAチームのピッチに立った小原。その後、予定どおりBチームのスタメンでも登場し、自らトライを決めるなど大暴れ。試合途中で交代しベンチに帰ってきたときには、「しんどいわぁ」と漏らすほどだった。


 「楽しかった」と久々のプレーに満面の笑顔を見せる。顔には激しいプレーから生じた出血が見られ、怪我していた左ひざには氷のうがぐるぐる巻き。生々しい傷が小原の復活を象徴していた。


▲2ヶ月ぶりのプレーも、闘志全開のスタイルは以前のままだった


《そして残り半年へ》


 それは主将がたどる運命だったのかもしれない。思い返せば、ここ数年の主将はたびたび怪我に泣かされたきた。一昨年の西尾(商卒)はリーグ後半に離脱、昨年の室屋(社卒)はリーグ中盤をベンチ外で過ごした。


 「主将ってそうなんかな」


 慶應大戦の翌日のあの日、部室で小原はそう口にした。それは戦線離脱の運命への恨み節にも聞こえた。


 だが背負わされた十字架から自ら抜け出した。この日の『小原、復活』の鐘とともに。


 「みんな『バラオッ』って言ってくれて」


 ピッチに出るときの声援が背中を後押しした。それは誰もが、小原の復帰を望んでいた証。嬉しそうにその瞬間を振り返る。


 ひざの状態から、まだ完全復活にはおよばない。しかし闘将が再び気持ちを前面に押し出したプレーを見せてくれると期待できることがいまはチームとっての何よりめでたい話。上半期を戦い続けた最後の最後に、闘志花咲く最高の花火があがった。



▲Bチームではトライを決めた


※もう一人のカムバックがつづられた『朱紺スポーツ』vol.12も公開中!そちらもあわせてご覧下さい。

 

『朱紺スポーツ』vol.12

投稿日時:2009/07/06(月) 16:12

【WTB長野 100メートル駆け抜けトライ!】

 この男がキタッ!上半期を締めくくる大体大戦でWTB長野(社3)がチーム復帰後、初トライを決める。続く2本目は、驚愕の100メートルを駆け抜けてのトライで衝撃を与える。鮮烈カムバックを果たした。


[衝撃の激走]

 無我夢中だった。敵に攻め込まれ、自陣が落とされるのも時間の問題。もはやのところで味方がボールを奪取。パスが行き渡り、長野のもとへボールがきた。すぐさま視線を前に向け、駆け出し始める。「FWがディフェンスで頑張ってくれた。つかまってしまっては」。〝絶対防ぐ〟という味方の踏ん張りから繋がれた楕円球を手に、相手ディフェンダーが何枚つこうとも関係なかった。「勝負しようと思っていた」。必死で走る長野の姿がそこにあった。


 相手の猛追を振り切り、加速する豪脚。その超絶スピードに見るもの全てがざわめく。関学サイドからは驚きと期待感の混じった声援が、対する大体大サイドからは悲鳴もやがて感嘆の声が上がる。そうしてついに敵ゴールラインに到達し、驚愕の100メートルトライが完成。フィールドは興奮のるつぼと化した。


[自身の開幕]

 チームに合流してまもない。ましてや関学としての試合自体も今季は3試合目だった。「Aで使ってもらうことに、期待されているのを感じた」。トライ取ることを絶対、と心にとめてプレーに励んだ。後半に決めたチーム復帰後初トライは今季初でもあった。


 昨年の関西リーグ最終戦から実に217日ぶりに果たした自分のフィニッシャーとしての役目。「思い切って走れ」という周りの応援に応え、トライの味をかみ締めた。「いいスタートが切れたのでは」と長野は笑顔で話す。上半期はこの日が最終戦。しかし『長野の開幕』の号砲はこの日、打ち上げられた。


【『朱紺スポーツ』vol.12】


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