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「小原組~ALL OUT~」

『最後の10分間。』

投稿日時:2010/01/26(火) 01:01

 ずっとあこがれていた朱紺のジャージ。それを手にするまでの道のりは容易いものではなく、悩み、挫折に明け暮れたこともあった。しかし、最後の大舞台で男は目標にたどりついた。




ヘッドコーチからの打診


 その知らせは突然だった。選手権が始まり、1回戦を突破した関学は1週間後に次の明治大戦を控えていた。ラグビー部では、試合が行われる週の初めに、ロースターが部内で発表される。それは決まって火曜日だ。その前日、畑中崇志(社4)のもとに一本の電話が入った。


 「将(片岡=総4=)と隆太郎(岡本=社4=)と買い物してたときに、萩井さんから電話かかってきて。『CTBどない?』って」


 ヘッドコーチからの突然の打診。畑中はもちろん「やれます」と応えたが、どこか安心するにいたらなかったという。リーグ戦の序盤、同じポジションのレギュラーたちが負傷したときがあった。本職はSOながら夏にはFBも兼任したりと幅を広めてきた畑中にとってメンバー入りのチャンスではあったが結局声はかからず。今回も確信は無かった。そして翌日、Aチーム入りメンバーの確定が記されたメールが回ってきた。


 「言葉にできへんもんがこみあげてきて。4年間の思い、この1年間の思いが」


【目標を再確認した仲間の言葉】


 これまでAチーム入りをはたしたことはある。だが、いずれも練習試合や定期戦でのこと。公式戦での出場は皆無だった。それどころか、大学4年間の大半を下位チームで過ごしてきた。


 ラストイヤーの4年生次はBKリーダーに就任。だがレギュラー入りしている他のパートリーダーたちとは別に、畑中は昇格してもBチームどまりが現実だった。なかでも6月の関東遠征ではメンバーに選ばれず。


 「あんときは自分がBKリーダーなんてやっててもエエんかなって」


 夏の合宿ではDチームに落ちるまでになった。


 一見すれば朱紺のジャージなど遠くはかない存在。それでもプレーを続けた畑中の胸中には、「Aチーム」という目標が常にあった。それはジュニアリーグが始まってからもあせることはなかった。


 その畑中の思いを知る仲間たち、主将・小原(社4)や副将・片岡らはリーグ戦半ば、ジュニアリーグが閉幕したときにこう言ったという。


 「崇志がファースト着れるように、勝ち続けるから」


  Bチームとしての戦いが終わってもなお、仲間の言葉は畑中の背中を後押した。


 「(リーグ戦を)頑張っている同期がいて、また自分の目標っていうか目標を見直すことが出来た。切り替えができた」


 そして、目標にたどり着いた。


.

▲明治大戦の試合前のアップ、感情があふれ出た。


【全国の舞台、男は涙した】


 2009年12月27日、瑞穂ラグビー場。全国大学選手権2回戦。


 前日にホテルで『21』番のファーストジャージを渡された男は、試合前のグラウンドで人目もはばからず涙していた。アップの際に選手と部員らが一丸となってタックルをぶつけあい、あふれる感情が涙となって出るのはいつもの光景。そのなかでも畑中の大粒の涙が光っていた。


 ラストイヤーとなったこの1年間、畑中はダミー隊(タックルバック)の一員として出場メンバーに気合を入れてきた。そこにはやはり「メンバー側にいきたい」という気持ちがあった。


 明治大戦のその瞬間、Aチームに入れたこと、そこにいたるまで戦ってくれた仲間への感謝、そして自分のタックルを受けてくれているダミー隊たちの気持ちがなだれ込んだのだ。あとはグラウンドで戦うだけだった。


 「出れるもんなら早く出たかったし、早く過ぎたといえば早く過ぎた」


 71分。試合は雌雄が決しつつある状況のなか、畑中の名前が呼ばれた。ウォームアップを済ませ、ベンチへ足をむける。その姿に気付いたスタンドから声援が送られる。


 「残された時間はちょっとしかないけど、やりきろう」


 初めての大舞台。ボールに触ったのはわずか1回。持ち味であるタックルも、みまう機会さえ無く終わった。やがて訪れたチームの戦いの終えんをグラウンドで迎えた。


 「今までジュニアで出てたときも、スタメンで最後まで、が多かって。リザーブでちょっとだけ出て、終わりをむかえたのは初めて。みんなの表情見て、終わりを実感した」


 全国選手権2回戦後半71分から出場。それが畑中崇志の公式記録である。



▲ベンチからグラウンドへむかう


【完全燃焼】


 「もうちょっと出たかったっていうのはあるけれど。でも、やりきった感はあるから」


 引退してから1ヶ月たったいま、彼はそう振り返る。たったの10分間、けれどもその10分間へのプロセスで幾多の苦難を味わい、そのたびに仲間の大切さを身に染みこませてきた。


 「自分がイヤになったり、悩んだり、苦しんだりもしたけど、そのたびにやってこれたのは同期に恵まれたから。励まし合って前に出れた。仲間のおかげで頑張れた」


 そもそもラグビー部に入部を決めたのも高校時代に知り合った同年代の小島祥平(主務=文4=)に誘われて。その小島は畑中がAチーム入りした際、「これでディフェンスが出来るCTBが入った」と信頼を寄せていた。高校時代を不完全燃焼で終えたと話す畑中は、彼に声をかけられていなければくすぶり続けたままの学生生活を送っていたかもしれない。


 目標だった朱紺のジャージにそでを通し、競技生活を締めくくった畑中。何よりもチームメイトへの感謝を胸にとめ、彼は燃え尽きたのであった。■


(文=朱紺番 坂口功将)

 


▲試合後、小島と抱き合った


■畑中崇志(はたなか たかし)/社会学部4年生/兵庫県立御影高/SO/172㌢、80㌔/今年度、BKリーダー。タックルとキックを持ち味にフィールドで躍動する。


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 いつも小原組ブログをご覧いただき、ありがとうございます。今回、これまでスポットライトをあびることのなかったプレーヤーや部員たちの胸の内、そこにあったドラマを知ってもらいたい—という思いからシリーズ連載を始めました。その第1弾がこの畑中崇志くんの『最後の10分間』です。

 連載とはいえ、数えるほどの回数の予定ではありますが、これからも本ブログを見ていただければ幸いです。よろしくお願いします。朱紺番 坂口功将