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「小原組~ALL OUT~」

『克己』後編:山本有輝

投稿日時:2010/03/17(水) 19:52

【シリーズ連載第4弾】

 

  松田を誰よりも慕う男がいる。「中学のときから尊敬する先輩。むっちゃリスペクトしてるんよ、今でも。松くんと花園でやりたかった思う」。言うならば師弟関係。ケガで苦しんだ師を敬うこの男もまた、降りかかった運命に打ちひしがれた。




 

 山本有輝の4年目。念願のAジャージは、もう手の届きそうな位置にあった。だが、すぐそこのところで届かなかった。


 「1、2年のときはメンバーに絡んだりしてたけど、3回生のときは落ち目で。まわりはどんどん上に上がってて、4回生なったときは焦って。(就任した)ウェイトリーダーを、自分を変えるためにもって。春から出たろう、と」


 並々ならぬ思いでシーズンを迎えた。そして4月20日の京大との定期戦から第一歩を踏み出す。


 「京大戦でファーストで出て。ちょっと見えてきたんちゃう?って(笑)。4回生がおらんときに、おらんなりにやって試合はほとんど出れとって。けど、4回生の合流が怖かった。それでも必死こいてやって」


 Aジャージをめぐる部内での戦いは山本にとって何よりのカンフル剤だった。


 「それぐらいの緊張感あった方が。調子こいちゃうくせあるから(笑)」


 気を緩めることなく、山本は着々とトップチームに近づいていた。それだけの力量は、備わっていただろう。けれども、現実は彼が望むものではなかった。


 6月の慶応大との交流試合。地元の花園開催とあって「慶応大戦に出る」が彼の上半期最大の目標だった。しかし、それまでの試合でAチームに名を連ねていたものの、この試合に限ってメンバーには選ばれなかった。


 「(メンバーから)落ちたときは、だいぶ落ち込んだ。すぐ帰って泣いたもん」


 思えばこの現実が、山本の運命を象徴していたのかもしれない。


 その半年後。リーグ戦を目の前にして、山本に悲劇がふりかかる。


 練習が始まってまもなくのこと。テントの下に横たわるは、足を負傷した山本の姿。後に、骨折と判明した。




 「人生で初めての骨折で。まさか、このタイミングで。バラオに報告の電話したとき、泣きそうなって」


 春シーズンは慶應大戦以外、ほとんどをAチーム。夏合宿でもレギュラーに絡んでいた。リーグ戦で、念願の朱紺ジャージをその矢先の出来事だった。


 「全治3ヶ月。4万円くらいの高い機械借りてリハビリしっかりやって。

 ケガしたけど前向いとって。気持ち切れんと。また違う熱さが。またやったろう!って」


 持ち前の明るさが、奏功したか。驚異の回復力を見せ、戦線にカムバックする。11月29日天理大戦。ジャージの色は今度こそ、朱紺だ。


 「いっちゃん美味しいところで!あれは嬉しかったね~。

 優勝のプレッシャー無く、Aのプレッシャーも無く。オレが出てる!っていうアドレナリンが。セットプレーからの出場で、そこいくまでにバテたり。あの距離は長く感じた。

 ただ出場した5分間はあっというまに終わったって感じ」


 念願の舞台の味をさぞかし味わったことだろう。優勝を決めた後の記念写真では、誰よりも前に出てきて、喜びを表現したのであった。




 さてここで、思った人もいるのでは? 復活できたし良かったじゃないか、と。確かにAチーム入りを果たした。だが、運命は男を振り回す。


 選手権で同大との『花園再戦』が決まり、直前合宿ではAチーム入り。意気揚々と先頭体勢になったものの、ロスターに名前は無かった。


 ここで初めて、山本が内に秘めていた思いが明らかになった。悔しさをあらわに話す。


 「花園に縁が無いなって。地元のやつを呼びたかった。それが叶わず縁は、無いね」


 春の交流戦に続いて、花園での試合に限って、外された。そういう運命だったとしか、かける言葉がない。


 本人が何よりも分かっている。「ずっと中途半端なポジション」だったと。


 だから、あえて聞いてみた。Aで通用する、Aでやれる自信はあったか


 「うん!負ける気はせんかったしもっとチャンス欲しかったね。持ち味がタックルと雰囲気づくり(笑)。まわりからインパクトプレーヤーって言われて、流れかえられるのは、求められてた気がする」


 ならば、ともう1つ質問。リサーブがハマリ役やったんじゃないか


 「後半からの方が得意やねん。前半じっくり見て、さぁ行こうって思うのが好き。練習試合とか2試合目の方がエンジンかかったり。

 (ハマリ役)かな!」


 やがてリザーブとして選手権2回戦(場所はやはり花園ではなく、瑞穂)に出場。戦いの終焉をピッチでむかえた。


 「明治大戦の20分ホンマやったろう、って。何ができたわけではなかったけど、何かせなあかんな、と」


 流れは変わることなく、ノーサイドの瞬間。


 「最後にあそこにおれたのが意味がある。ラグビーやってて、あそこにおれたのとおれんかったのでは意味が違うかった。良かったんかな


 それもまた、彼にとってチームを代表して戦うことをとくと感じた時間ではなかっただろうか。


 話を聞くかたわらで、取材ノートにメモをした。『ジェットコースター』と。ときに急上昇し、急降下する。運命に翻弄された山本のラストイヤーはジェットコースターと呼べるのでは


 それでも、闘志が一度たりとも潰えなかったのは山本〝らしい〟ところ。そして心から望んでいた部分には残念ながら縁が無かったのも、彼〝らしい〟。そう思えて仕方がない。


 ケガの果てに松田と山本の両人の結果自体は、ま逆だった。戦列復帰が叶わなかった者と、叶った者。けれども、共通することはある。それは『自分に打ち克ち、あきらめなかった』ことだ。松田は恩師の言葉を、山本は持ち前の明るさで克己を果たした。だからこそ、笑顔で引退できる。

 これから、同じような境遇にみまわれる部員が出てくるかもしれない。そのときは、自分にしかない心の糧を活かし、己に打ち克つことだ。それが関学ラグビー部における、その人の存在意義となるのだから。■

 


(文=朱紺番 坂口功将)


■山本有輝(やまもと ゆうき)/文学部4年生/大阪桐蔭高校/LO/181㌢、97㌔


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 長らく更新が止まってしまい、申し訳ございませんでした。これにて、シリーズ連載は終了します。今回、6人の部員に話しを聞き、必ず出てきたのが「仲間への感謝」でした。エピソードの関係上、省いた部分もありましたが、本当に小原組というチームが恵まれていたのだと実感しました。

 さて、小原組ブログもいよいよ終着点に向かいます。主将・小原くんへのインタビューで締めくくりたいと思います。どうぞお付き合い下さい。