「小原組~ALL OUT~」
インタビュー『ALL-OUT。』
投稿日時:2010/03/19(金) 23:53
【『小原組ブログ ~ALL-OUT~』最終回】
小原組が発足し、日本一の目標を掲げ、彼らは常に全力を出してきた。その道のりで肉体改造に励み、走りこみ、試合に勝ち、負けもした。やがて関西2連覇を達成。その後、国立へはあと一歩及ばなかったが、泣いてそして笑ってシーズンを終えた。
先頭に立っていた小原正(社卒)へのラスト・インタビュー。
―引退してから、どのように過ごしていた?
小原(以下、O)「ラグビーとは離れて、自分がやりたいことを毎日やってきたかな。いろんなスポーツ見て、やって、友達と話したり。
気づかんかったんやけどね。明治大戦が終わってすぐ帰ったんやけど…同窓会で友達に電話したら『正、おかしいぞ。元気ないし』って。そういう空気を出したつもりないし…けど実は落ち込んでたんやなって。他人から見て、自分の気持ちが全く違う。そんだけ大きかったんやなって、負けたんが。
落ち着いて遊んだり、それで気が晴れた。オレは(大学選手権の)決勝も見たし、花園もトップリーグの優勝も見たのは見たかな」
―ちなみに明治大戦のビデオは?
O「1回だけこっち帰ってきて、ヒマやって部室いて。見たんやけど、前半見てイライラして、切って帰ったんや。歯がゆいし、こんなミスして、いつもと違うことして、これって関学か?って。
見よって面白くないし、悔しいし…そんな気持ちなるから、(偶然居合わせた)小島も『見られへんわ』って。オレも『帰るわ!』って」
―なら1試合丸々は…
O「見てないね。見切れんかった。(同期の話も聞いて)みんな同じ気持ちやってんやって。同じ悔しい気持ちあって、みんな良い仲間やったな」
―選手権の決勝は見た、と。国立のピッチをテレビで見て、どう感じた?
O「あそこに絶対立ちたかったな思うし。ホンマは立たなあかんなって。くじ運も良かったし。『明治は強い』っていうのが変にあって、けど勝てるんちゃう!?って。慢心があったと感じたし…最後は力尽きたって感じ。国立行く前に体力的にもやけど、キツかったんかなって。もっとプラン考えてやっとけばな。あの場所にいってからの過ごし方とかを、これからの関学は考えてやったらいいと思う。それは経験やから、どうしようもないけど」
―引退してから、考えたりした?
O「(ビデオ見た)あんときは、みんな元気ないな、とか、こうやってれば、とか。それ以降はラグビーのことは考えてないな」
―1年前、小原組が発足したときは覚えてる?
O「始まったときは、とにかく何も分からん状態やって。でも逆に、どれだけやれるんやろうって希望があった。はじめのときは、色々考えて、こんなメンバーやったらイケるんちゃうって。期待…うん、期待が大きかったかな」
―目標を『日本一』に掲げた経緯は?
O「1回目のミーティングやったかな。オレは日本一になりたいなってすごい思ってたし。そこで『もう1回、無難に関西制覇して地盤つけていくのは重要』とか『国立ベスト4』とか。『決勝へ行こう』っていうのも。それやったら、優勝でいいと思うところを(笑)。
最初はそれぞれでイメージ出し合って。それでみんなが、『バラオがキャプテンやねんから、最終的に決めたらいい!』って言ってくれて。なら『日本一になろう』って言った記憶がある」
―そして実行に移した
O「日本一になるために、何が大事かって話しになって。まず、体デカくしよう、と。スピードもデカさも違うし、どこで勝負するにも、関東に勝てるとこは関西にない。だから、フィジカルで勝負しよう、と。無理にでも体重増やして、しんどいかもしれんけど、絶対活きてくるからって」
―部員のなかでは反発も少なからず出た
O「説明不足がダメやったな思うんやけど…。後輩にちゃんと理解してもらった状態でシーズン入ればなって。『体デカくすれば、走れんくなる』には目をつぶろうと話してたけど、『どうなんや』って後輩から意見が出てきて。チームもばらばらになって、負の連鎖が始まった。
みんな嫌々なりに努力してくれて。今年みんな頑張りよんなってキャプテンとして感じてて。それが嬉しくて、頑張りよるやつにバカは見せたくないって気持ちあった。陸(藤原=総4=)とか結果出してくれて良かったなって。
けど春の一番大きなゲームの慶應大戦は、一昨年(初優勝のとき)のメンバー中心に組まなあかんくて。それに出たいがために筋トレ頑張ってきたのに『何でなん!?』って。すごいチームのムード悪くなって、そんときはどうしたらいいか分からなくなった。それでオレが落ち込んでもしゃあないし…それでも無理やった。慶應大戦でケガしてしまったのもあるし、そんときは苦しかったな…。小原組の底辺かな」
―自身がケガしたのは大きかった?
O「ケガして逆に良かったんやないかなって思う。最初は『ヒザかよ』ってヤバいイメージあって。ケガしたことで、みんな頑張ってくれて。(翌週の)同大戦は将が活躍してくれたり。キャプテンがおらんところを、みんなが引っ張ろうって踏ん張ってくれた。
オレも外で何もしないのは違うから、コーチがおらんなかで、出来ることはアドバイスして、プラスになることを。そういう期間かな。あそこでケガしなかったら、パフォーマンスは上がってた思うけどね(笑)」
―そこからチームが上昇したのを感じたのは
O「急激に良くなったのは感じんかったね。じわじわ後輩が納得してくれたんかな、と。強いチームと戦うことで悪いところが出てくる、後輩が指摘してくる、それは『勝ちたい』と思ってるから。オレらの気持ちも後輩が理解してくれたし。
立命大戦では、熱いんやけど、ビーバー(山本有輝=文卒=)とかがチームトークで積極的に声出してくれたんが。意見が出たのが、勝ちたいってことなんかなって。一生懸命必死なってくれたのが、成長したなと思った。
このままいってほしい、と。そこらへんからかな、チームが変わったのは。文句とか言う前にチームのことを考えるようになったのは。納得してなくても、理解してくれたという、それがね」
―そしてリーグ開幕をむかえた
O「一戦一戦やるしかないやろって。菅平も負けっぱなしで。自信がないわけやないんやけど。初戦が摂南大やったんが大きいね。別に先を見通しとった試合は一つもないし、試合をひとつひとつ大事にやっとかな、下手したら負ける思ったし。天理大も強い言われてたし、どうなるんやろって」
―関西2連覇。前回の優勝との違いを感じたりは
O「一昨年は関西制覇したとき嬉しかったっちゃ嬉しかったんやけど…4年間で嬉しかったのは一昨年の同大戦!!あのときは一番嬉しかったんよ!!言葉では伝わらないんやけど、関西制覇したときよりも嬉しかった…。もちろん今年もしんどかったから嬉しかったよ、集合写真撮ったりして」
―同大を倒せるようになるとは思ってなかった
O「入ったときはまさか、ね(笑)。1年のときに合宿で征克(西川=文卒=)がすごくて、『絶対関西制覇は無理』って言ってて…オレは福岡の公立高校から来て、知らんかったからね。関西制覇して『やったったな!』みたいな。ほんま、まさか、やね」
―自分たちは両極端なシーズンを知っている代。前半2年間と後半2年間で変わった点は何だったか
O「本気さの質…かな。やっぱりどの人も勝ちたい気持ちは一緒や思うし、強かったと思う。けど心のなかから勝ちたいと思うやつが増えた。そう思っている人が増えたし、その思いが強くなったのも。そういう感じが」
―ラストイヤー、自身のプレーは覚えてる?
O「自分のプレーは覚えてないな。考えて動いてなくて、関学というチームで動くから。一昨年よりはタックルは良くなったかな思う。サポートプレーがだいぶ。派手なプレーはないし、(それに)徹したのはある」
―主将としての大変さを感じたのは
O「やってみて感じた。こんだけ大変なんやって。この大変さは…伝えにくいね。ラグビーが好きやったから楽しかったのはあるし、一方でラグビーをこんだけ考えた日はなかった。精神的にも肉体的にもキツかったけど、楽しかったというか…好きなことやりようから」
―目指していたリーダー像とは
O「イヤなプレーもせなかんし、言葉でも、言わなあかんときは言わなあかん。自分の出てるとこには責任を持たなあかん。それ以外に関しては優しくありたい思ったし。後輩にはコミュニケーション取りたかったなっていうのがあった。そういうイヤなことして、メリハリつけれて、コミュニケーション取れたのが、リーダー像。みんな大人やしやりすぎるのは良くない、みんな上手いから」
―明治大戦の直後、後輩たちへ『来年には来年のカラーがある』と話していた。小原組のカラーとは
O「チームの雰囲気としてはメリハリをつける。常にラグビーを考えている人も必要やねんけど、オンオフ切り替えて。やるときは、しっかり遊んで。それは去年のカラーや思うし。
プレーに関しては『FW』は自信あった。正直3本の指に入るんやないかなって。帝京や東海に負けるかって言われたら、そうは思わへんし。BKも良かったし。『FW』に自信あったとは言えるかな」
―とくにFWは4回生が中心だった
O「むちゃくちゃ、やりやすかった。一昨年から多かったんやけど、オレが1年のときとの大体大とかは4回生が多くて。4回生が多いと、しんどい練習も、やろうぜ!ってなる。一番見てきたやつが多いわけだから」
―4回生の大切さを実感したときは
O「春とか、まとまりなくて、オレらの代。やるときやればいいやんって。その空気が練習には入ったりして。でも最終的にはダミー持ってくれたりしたときは、『いってこいや!』って言われたりして。そんときは嬉しかったな。4回生がおらんかったら、こういうふうに涙流せんかったな思う。なかなかあのアップは出来へんと思う!タックルして涙して…あれが無かったら負けてた試合もあった」
―レギュラー入りして3年間出続けた印象がある
O「運が良かったのもあるし…ホントにみんながね、まわりの仲間に支えられた。ひとりで頑張ったんじゃなくて。1回生で試合に出れず悔しくて、でも頑張れたのは一緒にやってくれた仲間がおったから。
そんなやつらが頑張ってくれたら、頑張らんわけにいかん。オレが出来ることはすべてやりたい…やから日本一になりたかった。最高の結果が、日本一やから」
―後輩に伝えたいことはある?
O「日本一になってくれってことかな。とにかく日本一になるためには、みんながチームのことを思って、行動したりラグビーを考えたり、毎日取り組むことが大事。考えてやっていくのが日本一への近道。いまはプランがない、それは関学自体が発展途上やから仕方がない。そういう伝統を作っていくためにも、一生懸命取り組むことで変わってくる。
体重増加計画も、やらんかったら結果にならん。一生懸命考えて必死に練習して、つながっていくことが日本一になる。酷やけどね、みんなが一つにならな」
―関学ラグビー部での4年間を振り返って
O「申し分ないし…ほんとに入学させてもらった人とかのおかげやし。機会を与えてもらったOBさんのおかげやし。いろんな人のめぐり合わせで関学に入れたことに感謝してる。関学に入れて良かった…」
―最後に。バラオ自身『ALL―OUT』はできた?
O「去年1年間はALL―OUTしたと思ってる。やれることはあったかもしれんけど、オレがやれることはやり尽くした。そう言える気持ちやから、オレはALL―OUTできたと思う!」
(取材・構成=朱紺番 坂口功将)
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小原組ブログの最終回、ラストインタビューでした。同時に、小原正から仲間へ贈るメッセージ『24のありがとう』もご覧下さい。