『WEB MAGAZINE 朱紺番』
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高陽日『RISING SUN』
投稿日時:2013/07/04(木) 12:00
■高陽日『RISING SUN』
追撃のトライだった。畑中組が臨む春シーズン最後の対外試合となった6月30日の同志社大戦。前半に先制を挙げながらも、立て続けに3トライを奪われるという劣勢のなか、後半もしばらくして。ようやく敵陣でプレーが展開される。マイボールスクラムからボールをキープすると、外へ的確にパスをつないでいく。相手ディフェンダーに防がれようとも、力強いプレーで最後にゴールを陥れたのは、FB高陽日(コウ・ヤンイル)だった。
ちょうど一年前の春シーズン。伝統的に評される「関学のBKはタレント揃い」の言葉どおりに、関学ラグビー部の、とりわけBKにはハイレベルな選手たちが名を連ねていた。そのなかでも、WTB2人とFBの“バック・スリー”は、平均身長180センチ超の顔ぶれ。大型BK、そう“ビッグ・スリー”と形容できたか。両WTBには松延泰樹(商卒=現東芝=)と金尚浩(キム・サンホ/総政3)、そしてFBには高陽日。
破壊力とスピードの双方を兼ね備えたこの3人は、それぞれのポジションを不動のものとしていた。WTB松延の決定力は言うまでもなく、特筆すべきはWTB金尚浩とFB高陽日のコンビネーション。中学生時代から同じ環境でプレーしてきた二人は、まさに阿吽の呼吸を大学でも繰り出した。
「中学から一緒なんで、すごいやりやすい。言わなくても、お互いの動きが分かっている。僕がこう動いたら、ヤンイルがこう動く、その逆も。アタックでも、どっちかが抜いたら、横にいたり」
そう語っていたのは金尚浩。大外で構えるフィニッシャーは、クレバーにトライへの嗅覚を研ぐ。もちろんディフェンスにも積極的に駆り出す。その彼が前に出る際、必然として後ろにスペースが広がる形になるわけだが、心配はご無用。背中を預けられる、後方にいる相方の存在が頼もしいのだと金尚浩は話す。
「安定してる。目立ったミスもなく、突破力もあるし、タックルも激しくいく。ヤンイルが抜かれたシーンって見たことない。前でディフェンスする身としては、安心してプレーできます」
バックもといビッグ3の羽翼・松延のコンバートはあれど、春シーズン果てはリーグ戦と試合を重ね、彼らはますます成熟していくものだと思われた。
「覚えてるんですけど…近大戦の前の京産大戦で、僕の軽いミスでチームの流れを悪くしてしまって。最後は大差で勝ちましたけど、責任を感じてまして。(次の近大戦では)やっぱり落とされた。ジュニアで調子の良かった1年生の子が代わりに入って…」
シーズンも大詰め。関西大学Aリーグも佳境に移るなかで、チームは自分たちの求めるラグビーを再認識した。それは、これまでに取り組んできたことを実直に遂行させるもの。すなわち走り勝つラグビー。それに伴い、レギュラー内で人選が変わったポジションもあった。むろん、己の失態でその座を奪われるのは勝負の世界の常でもあるが。高陽日は、その厳しさを思い知らされたのである。
けれども、レギュラー争いに敗れたことは、彼自身にとって自分を見つめ直す機会にもなった。
「悔しかったですけど、自分に何が足りないのか、とか。京産大戦からチームの方針が変わったなかで、僕よりも1年生の子の方が球を動かす面で優れていたんで。試合を見ながらも、勉強なるなと」
出場機会を失ったまま、終えた2年目。味わった挫折において、気付いたものとは。
「積極性がなかった。全部先輩たちから支えてもらうというか…自分からもっと意見を言ったりしないとな、と。3年生になってますし、去年活かせなかったぶんは変えていこうと思ってます」
屈辱をばねにして迎えた3年目のシーズン。春先、コーチ陣から別のポジションを打診された。WTBでの起用である。先の経験があったぶん、FBへの哀愁を少なからず感じた部分はあったが、高陽日は気持ちを切り替えた。
WTBでやれることをやる―その気持ちでプレーに臨んだところ、自分自身でも良いと思えるパフォーマンスが試合で発揮できたという。そして後輩FBの調子の波も左右し、その高陽日のプレーをコーチ陣は買ってくれていた。一度、FBに戻してみよう、と。
そうして、再度FBを任された折に、はたまた良いパフォーマンスを出せたと本人は振り返る。それ以降の流れはお察しの通り。今年の上半期を、彼は背番号15のジャージを身につけ締めくくる。どこか謙虚そうな口どりも、喜色満面に一言。「戻れました、ね」
再びFBに就けた喜びは、自身の成長を促す何よりのカンフル剤となっている。この上半期のパフォーマンスを語るうえで、以前と変わった部分があるという。春シーズンの最終試合の同志社大戦が終わり、彼はこう話した。
「トライを取れるようになっているな、って。去年1年間を通して取れたのは1本だけ。それも春の試合での1本のみ。今年は、Aチームで4トライくらいですかね。
今日もそうですけど、チームの流れ、というか…。試合を決定づけるトライもそうですし、追い上げてチームを盛り上げれるようなトライも。アタック面でFBとして貢献できているのではないか、と」
同大戦で挙げたトライは、まさに追い上げムードにチームを誘う一撃だった。やっと訪れた敵陣での攻撃。FWとBKが一体となってボールをつなぎ、フェイズを重ね、敵のDFラインを崩した。そのフィニッシュを飾った。
そして、もう一つ。FBという、ピッチではフィフティーンのなかで最後方から駆け上がっていくポジションならではの攻撃特性。バックスリーの尾翼が仕掛けるカウンターだ。
「両WTBがサンホとキャプテンなんで決定力のある二人で。カウンターからの攻めで。関東に行ったときに抜けて、ビックゲインもありましたし、そこから点を取る場面も。自信を持てるようになりました」
同大戦では繰り出すチャンスこそなかったものの、この上半期で手応えは感じている。ディフェンスは大前提だが、攻撃においての存在感は増すばかりだ。
想像してみて欲しい。たとえインゴールまでの道すじが遠くて見えにくく感じる局面でも、前に進まんとするメンバーたちの後ろからやってきて、行く先を照らす。そんなバックスリーの真ん中に、見て字のごとく、高陽日という太陽があることを。
レギュラーの座を奪い返した、カムバックストーリー。挫折からの脱却を図るなかで、彼が腐ることなく貪欲な姿勢を持ち続けたことが結果として表れたのだろう。高陽日は語る。
「どういうポジションでも関係なく。自分のやれる仕事をしっかりやっていけば、結果が。Aチームでしっかりと出ることが出来るのかなと思いました」
昇らぬ太陽など、無いのだ。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
OB独占直撃『朱紺の闘士たちの現在 ~黄金の巨人と深緑の雷撃~』
投稿日時:2013/06/22(土) 13:00
■OB独占直撃『朱紺の闘士たちの現在 ~黄金の巨人と深緑の雷撃~』
朱と紺のストライプ柄以外の姿を見たのはこれが初めてだったと思う。6月某日、訪れるは東京都府中市。そこにサントリーサンゴリアスのクラブハウスがあった。
言うまでもない、日本ラグビー界の頂点に君臨するチーム。母体会社名の一部を冠名に、“太陽”とギリシャ神話の“巨人”を掛け合わせた名前を持つチームは、近年のラグビーシーンにおいて燦然たる輝きを放っている。トップリーグ2012-13シーズンで成し遂げた無敗優勝は記憶に新しいだろう。
その王者のクラブハウスは、やはりユニフォームの色彩と同じような、クラブの栄光を示す黄金色のトロフィーやレリーフが多数飾られていた。隣接するグラウンドには、練習試合を控えた選手たちがアップを始めている。お目当ての選手はというと…。どうやら二人は確認できた。
しばらくして、クラブハウスの正門から隊列がやってくる。深緑のチームジャージを身に纏ったラガーマンたち。この日行なわれる練習試合のもう片方の相手、トヨタ自動車ヴェルブリッツの一行。ほどなくして、本稿の主人公の一人が姿を現す。メンバー表を見ると、なんとスターティングメンバーに名があるではないか。こちらに気づくや、記者の名前を呼び、駆け寄ってくる。あどけない笑顔は数ヶ月前のそれと変わりがない。
夕刻、サントリーサンゴリアスとトヨタ自動車ヴェルブリッツの練習試合がいよいよ迫った。アウェイに乗り込んできたヴェルブリッツの『13』番を背中に刻み、ピッチに立つはCTB春山悠太(文卒)。この春に卒業したばかり、昨シーズンの関学ラグビー部・藤原組において文字通りセンターを務めた男である。その彼が先にピッチに構え、ホームのサンゴリアスのメンバーを待つ。
出場選手の入場シーン。クラブハウスからグラウンドへの飛び出し口に、他のメンバーが花道を作る。そのなかに、こちらも取材ターゲットの一人の姿が。こちらの存在に気づき会釈をしてくれた。FL西川征克(文卒)。関学OBのなかでも、いま最も名実ともに名立たるプレーヤー。昨シーズンにレギュラー入りを果たし定着、果ては大舞台の要所にてトライを決めるなど大ブレイクした。その彼が一角となった花道をくぐりぬけ、黄金色のユニフォームを着た選手たちがピッチに駆け出す。既述の二人も登場。こちらは『20』と『22』の番号を背に、二人ともまずはグラウンド脇で出番を待つ。
試合が始まった。繰り広げられるは、オープン戦といえども日本トップクラスのラグビー。ぶつかり合いで生じる熱、清流のように滑らかなパスワーク。前提とするから余計に、それでも普段目にする大学レベルとは段違いに感じられた。その激しいピッチに、緑のジャージ、CTB春山はというと―いた。
およそ半年ぶりに見た彼のプレーは、勇躍そのもの。たしかに、自分がルーキーだろうと、まわりや相手がいかにレベルが高くとも、春山悠太が怖気ずく様など想像がつかない。ボールを持てばゲインを図り、転じて相手のボールキャリアーへは果敢にタックルをかます。“らしさ”全開のプレーを前半40分間で見せてくれた。
後半はベンチへ退き、春山は試合を眺めていた。ときおり、アフターケアなのか身体を動かす場面も(学生時代は、練習終わりも体幹トレーニングに取り組んでいた)。半年ぶりに、話を聞いてみた。
「今日は前半だけと決まっていました。試合前にメンバーの入れ替え等は決められていて。体力を残さず、出し切るという意識は自分のなかにあったんですけど…(自分のプレーが)出来たかどうかは」
聞くところによれば、オープン戦では前後半でメンバーをがらりと変える方針にあるとのこと。「新人なんでチャンスをもらえているだけ」(春山)とはいえ、ここまで全ての試合でスタメンで出場しているというのだから驚きだ。ただ本人が明かすに、この日の試合は格段浮き足だっていたらしく…
「今日とかびっくりしました。最初ついていけなかったです。すげぇな―って」
こちらの読みとは違い、胸中は王者相手に穏やかではなかったらしい。しかし、ピッチに立てば、使命感を抱き、ひたすらプレーに力を注ぐ。
「意識せなあかんとこは意識しないと。自分のプレーどうこうよりも、チームで意識せなあかんところが何点かあって…そこが出来ていない。
トヨタって、頭を使うラグビーで。細かい決まりがあって、それを全員で実現していく。自分はアウトサイドCTBで、パスCTBとしてバックスリーに良いボールを供給していく」
そういえば、彼の『13』番を見るのも久しい。学生時代のクライマックスは、主に『10』番での出場。司令塔たるポジションを務めた。社会人になってからもSOに就いたことはあったが、周囲とのレベル差に圧倒されたという。「全然レベルが違うっス」。いま一度、CTBとして研鑽に励む。
「最初は何もかもがダメで。怒られてばっかり。この前やっと、『試合、頑張ってんちゃうか』って言ってもらえて。体も大きくなってきて、ウエイトの数値も上がってきている。最初が全然ダメだったぶん、いま伸びてきているかなと」
学生時代、チームの中心だった男はここにきて「今までのラグビーとは違う」全く新しい次元での戦いに身を置いている。ガツンと頭を打たれても、それすら喜ばしく感じているようなストイックさ。だ円球を手にすれば、堅調な口取りになる春山悠太の一面は変わらぬままだった。
「トヨタのベテランの選手も日本代表に選ばれている人が多い。このチームでレギュラーを獲ったら、日本代表とかも見えてくるかもしれないので。まずはそこを!」
オープン戦とあって、どのチームも戦力を磨いていく段階にある。新戦力の台頭が望まれるのは、どんなカテゴリーでも一緒だ。巡ってくる出番は、掴むべきチャンスを意味する。
ベンチ横のアップスペースで出番を今かいまかと待つ2人の姿。後半もしばらくして、ヴェルブリッツがゲームを決定づけた頃。サンゴリアスの『22』番がピッチに足を踏み入れる。関学ラグビー部史におけるスピードスターといえば、真っ先に挙がるであろう、WTB長野直樹(社卒)だ。
「今はどんどん若手にチャンスを与えている。僕はポジション柄、まわりも若くて。FBも1年目で、逆サイドのWTBも2年目と、僕が一番年上になる。バックスリーの連携の部分でしっかりコミュニケーションを取ろうと。そこは出来たのではないかと」
社会人入りして3年目になる。チームとしては、主力選手の帰国やジャパンへの選出と、まさに戦力の底上げを図るに打ってつけの状況。そこでチャンスを掴まんと意気込む。同時に、後輩たちを牽引する立場にもなりつつある。日本トップクラスの環境における、戦いの日々を過ごしている。
「もちろん厳しいですし、練習も大変なんですけど…。上から降りてくるものが明確ですし、こうやったら試合に出れるっていうのがしっかりとヴィジョンとしてある。かなりラグビーに没頭できる環境ではあります。すごい、いま充実してます」
まだ公式戦の出場キャップは無い。これまでにも「チャンスは何回かあった」(長野)が、掴めずにいた。「自分のなかで反省して。今年は頑張りたい」
その彼が高いモチベーションを保てているのも、同じ関学出身のチームメイトの2人だという。
この日の出場メンバーに選ばれていたもう一人、『20』番を着けたのはSH芦田一顕(人福卒)だ。大学時代は1年目から不動のエースSHを張った。トヨタ戦では、試合終了間際での出場だった。わずかの時間だったが…
「今日に限って(笑)。前半とか悠太の動きを気になってました」
サントリーのSHといえば、世界レベルのトッププレーヤーを筆頭にタレント揃い(どのポジションにも言えることだが…)。そのなかで、芦田はルーキーイヤーだった前年、公式戦2試合に出場を果たしている。
「緊張しました。最初、出るときにWTBと言われたんですけど、本当に嫌そうな顔したらSHでの出場に(笑)。秩父宮やし、ナイターやし、お客さんはたくさん、で。僕が入って早々に、抜かれてトライされた。固かったんかなと」
苦い思い出も、貴重な経験として笑顔で振り返る。それは辛いことに対しても。芦田は話す。
「『タフ・チョイス』といって、しんどいことを自分から選んでやるという。去年1年間しんどいことを、それも予想をはるかに超えた。けど、嫌じゃなかったし…。そういうモチベーションにするのが、サントリーというチームは上手いのかなと。みんな冗談で文句は言うんですけどね、やるときは100パーセントで。やるしかない!という良いサイクルになっています」
チーム内での競争の激しさが、己を高めることにつながる。そうして全体が強くなり、最高の結果を生み出す。勝者のフィロソフィーが文化として築きあげられているのがサントリーというチームである。FL西川は、そんなチームで鍛え上げられた。昨年はリーグ開幕戦でスタメンに抜擢。その後の活躍は前述のとおりだ。
「エディ・ジョーンズさん(現ジャパンHC)が監督をされていた頃に、よく監督室に呼ばれたりして。サントリーの文化を作ろうとした人で、妥協を許さない人でした。一言で言うと、怖かった。
でも、あれがあったから社会人として成長できたし、言われてるというのは期待されていることなんだと。そこの部分で頑張らなあかんと切り替えられたのが、今につながっています」
今でこそ関学出身のトップリーガーは増えてきたが、西川はその先導者でもある。だ円球のフィールド、それも最高峰の舞台にいることの自覚を語る。
「練習はつらいですけど、やっぱり僕の同期もトップリーグでやっているのは、太郎(松川=LO/NTTドコモ=)と僕だけ。同期には、やりたい、チャレンジしたいと思っているやつはいっぱいいると思うし。そのなかで自分が、まだ現役でやれせてもらっていることは感謝というか。まわりのサポートもありますし、やらせてもらえているから頑張らないな、というのが絶対あります」
すべてはめぐり合わせが良かったのだと西川は話した。想像以上に激しかった環境、そこで授かった数々の薫陶。今後も続くかもしれない、サントリーへ入団するような後輩たちへエールを送る。
「ずっと最近は優勝しているんで、勝つチームにいるという自覚があるし、それを踏まえて入ってくると思う。どんどんチャレンジして欲しいなと。覚悟はすごい必要だなと思います」
府中のグラウンドに集いし4人のラガーマンは、かつて朱紺の闘士たちだった。彼らは早くからレギュラーとして活躍。関学ラグビー部関西制覇の立役者たちであった。
月日は流れ、次なるステージで各々の戦いに臨んでいる。そして、相手チームにも同胞の姿が見られるようになってきた。その対戦は今後ますます増えてくるだろう。
「良い刺激にはなる。特別な思いはあるし、敵やけど頑張って欲しいと。試合ではつぶしてやろう、でも、どこかで応援してる」(長野)
この日のサンゴリアス―ヴェルブリッツのカードでは、同じ時間帯での対戦は叶わなかった。次は、公式戦の舞台で、はたまた優勝をかけた大一番で?
彼らの直接対決が実現したあかつきには、お互いの感想を聞いてみたいものである。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
NZ留学制度『続・体験記~だ円の国まで行って球!~』
投稿日時:2013/06/02(日) 18:00
■NZ留学制度『続・体験記~だ円の国まで行って球!~』
約2ヶ月におよんだニュージーランドへのラグビー留学。参加したHO浅井佑輝(商3)とCTB水野敏輝(人福3)にとって、非日常な出来事の連続だった。それこそ海外ならではの〝お約束〟で幕を開けたのだから。
2月某日。日本からのフライトを経て、やってきたはニュージーランドの主要都市・クライストチャーチ。空港に降り立った二人は、さっそく立ち往生した。
浅井「コーディネーターのDods(ドッズィ)がいるって聞いてたんですけど、いなくて。『おいおい』って二人で言いながら、いきなりさまよって」
水野「二人でとりあえず、キョロキョロして」
およそ15分後、顔も知らずに対面したDodsコーチと合流し、まず二人はそれぞれのホームステイ先へと訪れた。
浅井「家が大きくて…来年の夏には庭がプールが出来るとか。音楽一家なのか…たぶん、お母さんが歌手で。週末はホームパーティーを開くような、まさに海外の」
もちろん海外留学とあって、ラグビーのフィールドのみならず日常生活から、英語でのコミュニケーションが必須となる。さて、浅井の英語力はいかに。
浅井「『なんとかなる』って言われていて、ボディランゲージでいけるやろうと。…全然、ダメでした。なので、ほとんど部屋にこもってました」
同じく、水野も留学が決まってからの期間が短かったあまりに「急すぎて…ある程度は勉強したけど、日常生活で使えるくらい」で臨んだ。こちらのステイ先の家族は。
水野「お父さんが仕事で週1で帰ってくるくらいでほぼいなくて、19歳の息子もサッカーで奨学金で大学の寮に入ってて。お母さんと16歳の娘が家に。その二人がまたラグビーが好きで、ラグビーの話をむっちゃしてくれました」
聞くところによると、その娘の部屋がラグビー一色。地元のプロ・チームであるクルセイダースのファンということもあって、ポスターが幾つも飾られていたという。
水野「ジャスティン・ビーバー(世界的人気歌手)とかのイケメンのアイドルの隣に、普通にラグビー選手の写真が貼ってあったりして。あ、ジェームズ・オコナー(オーストラリア代表FB)のポスターも」
いかにも、年頃の女の子。イケメン好みなのがうかがえる。日本でいうならば、ジャニーズJrと一緒に…サッカー日本代表DF内田篤人のポスターが、といったところだろうか。それでも、ラグビーへの関心がここまで高いのは、ニュージーランドならでは。浅井もステイ先との会話を振り返る。
浅井「ウチじゃありえないくらい、ラグビーに興味持ってて。一番下の息子がラグビーしてて。練習どうなの?って。単語でしか返せず、会話は成り立ってなかったですけど(笑)」
いち家族レベルで、にじみ出てくるだ円球の文化。そう、ここはニュージーランド。世界の頂点に君臨する黒衣の戦士たちが本拠に構える王国。
二人はプライベートの時間は主に買い物に費やしていたと話すが、そこでもお国柄を体感したという。
水野「日本だったら『ゼビオ』とかに当たる大型のスポーツショップの内装が、全部オールブラックス。サッカーも有名だけど、どのコーナー行ってもラグビー一色で。街もトレーニングジャージやユニフォームとかラグビーの服を着て歩いている人が多かったです」
ちなみに、浅井も買い物を息抜きとしながら、ステイ先と練習場の間にあるピザ屋で、こんな交流が。
浅井「ピザ屋が美味しくて。計7、8回行ってて、レシートに『ユーキ』って名前が書いてあるくらいになってました」
海外留学ならではの国際交流を介したのはラグビーの場面でも。スキル面を学んだクライストチャーチボーイズハイスクールのトレーニングでは、韓国やアルゼンチン、フランスからのプレーヤーたちもいた。
ゲームに参加したオールドボーイズの方では、チームメイトは初対面、しかもまわりは外国人という状況。最初の自己紹介では、英語のイントネーションで名前を名乗りつつも、次から次へと握手してくる顔ぶれを覚えるのにあくせくした。
浅井「誰なん!って(笑)。まぁ、でも大丈夫でしたよ」
水野「いやいや。もーちゃん(浅井の愛称)、ハイスクールで練習してたときに、グラウンドにやってきた外国人見て『またフィットネスや!』って騒いで。大学のフィットネストレーナーが僕らについてたんですけど、その人が来たと。ただ、僕が見たら全然違う人やったんです(笑)」
二人が恐れおののくトレーナー。その背景にはハードなトレーニングメニューがある。これもまた、海外の水準を知れた絶好の機会であった。ただし、あまりのキツさに―
水野「日本では1時間半やけど、むこうは45分で組まれている。トレーナーが追い込んで…キツ過ぎて、吐きました。こう、酸素を吐き出すときに数値が上がるんですけど、『吐いて、吐いて~』と言われて、吐いた」
浅井「僕はスクワットをするたびに、片耳が聞こえなくなって。ポーっとね」
ともあれ、その対価として得られるものはとてつもなかった。浅井が話すに、日中ノースリーブを着て過ごしていた水野の上腕部は見るみるうちに大きくなっていたという。
水野「あれを続けていたら、ボディービルダーになりますよ(笑)」
そのハードさを標準レベルとして鍛え上げられた、現地のラガーマンたちの凄みも、グラウンドで実感することになる。
浅井「上半身はみんな強いです。ブレイクダウンとかの絡み方が強くて。僕より小さい選手でも腕力が半端なかったり」
ラグビースキルの面でも思い知らされた。ボールは両手で扱うように教わる日本と違い、オフロードパスなどは至って当たり前のもの。そして、ラグビーへの理解度が、体に染み付いているのだと。
水野「シーズンが始まってないこともあって、試合では自由な感じで。決まりごとは特になく…それでも連動している点が、みんなラグビーを理解しているのだと思いました」
ラグビー王国の裾野を体感できただけでも留学の価値は存分に感じられるが、二人はやはり世界最高峰を味わう機会を得た。南半球3カ国のクラブチームで行なわれる『スーパーラグビー』である。ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカのそれぞれ5チームが戦うリーグ。最近ではジャパンの面々が初参戦したことで話題になった。
なかでも、前述のクルセーダースは優勝回数も多い強豪チーム。二人は留学期間中に、2試合を観戦した。
水野「スタジアムはほぼ満員。しかもチケット代も1000円ちょっとで。子どもは500円くらいだったんですけど、まわりがみんなデカくて、僕ら二人チャイルド料金で入場できたという(笑)。スタンドにはウェーブをやろうとする少年たちがいたりして、ラグビーでこんだけ盛り上がるって凄いなと」
浅井「ニュージーランド、やっぱりスーパーラグビーが面白い。観てて盛り上がるだけの要素がいっぱい。僕は元々全く興味がなくて…観てから、選手が履いてるスパイクが欲しくなったりして買ってしまいました」
ちなみに、スーパーラグビーのチーフスに所属するジャパンのマイケル・リーチ(東海大卒、現東芝)と交流する機会もあったとか。ハイスクールのトレーニングに参加していた日本人プレーヤーに誘われ、ニュージーランド内の日本人が集まる祭りに足を運んだのがきっかけだった。
水野「ラグビーの話はしなかったですね…。奥さんが話すに、家では静かみたいですよ。あ、アンガスのことは知ってました」
ひょんなことで出会いがあるから、面白いものである。ハイスクール出身で、偶然にも来訪したサントリーのSO小野晃征氏から直接アドバイスをもらえたことも、めぐり合わせであったに違いない。
―あらためて留学を振り返って
水野「終わってみれば、2ヶ月弱の期間もちょうどエエんかなって。はじめの1ヶ月は新しいことばかりで楽しめて。最後の3週間は、キツい事もあった。飛行機見ながら、もーちゃんとテンション上がってましたもん、『あれはオークランド行きかな~』なんて言って」
―また次の機会があれば行ってみたい?
浅井「僕は行きたいス!ラグビーやれるなら、やってみたい」
水野「観光でなら…(笑)。でも、機会があれば、何度でも挑戦したいですね!」
様々な出会いがあった。本場でしか味わえない空気が、そこにはあった。興奮も驚きも感動も、加えて苦い記憶も全部含めて。留学という機会で、一人のラガーマンとして貴重な体験をした。
それは聞けば聞くほど、ラグビーに携わる者なら、うらやましく感じられるもので満ちていた。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
参考:「心技体、極まる ~ニュージーランド留学体験記~」
浅井佑輝/水野俊輝『心技体、極まる。~ニュージーランド留学体験記~』
投稿日時:2013/05/22(水) 15:30
■浅井佑輝/水野俊輝『心技体、極まる。~ニュージーランド留学体験記~』
年が明けてまもない時期だった。海外へのラグビー留学の声がかかったのは。行く先はニュージーランド、言うまでもない、だ円球の王国だ。
2月上旬から3月いっぱいまでの約2ヶ月間の留学の機会に際して、マコーミックHCは「昨シーズン活躍した若手部員」を選定。HO浅井佑輝(商3)とCTB水野俊輝(人福3)※とがピックアップされた。
※学年は取材時点のもの。
「全然考えてなかったんで。想像できなかったです、海外に行くのが」
そう語る水野。関学高等部時代にオーストラリア遠征を経験したことはある。同じく高等部出身の浅井にとっては願ってもいないチャンスだった。
「びっくりしたんですけど…。その前からラグビー関係なく、海外に行ってみたいなって気持ちあったんで。試験前に電話かかってきて、即決で『僕は行きたいです』と」
家族の快諾も後押しし、二人は留学を決めた。留学のプログラムは大きく分けて2つ。滞在中の二人をコーディネートするDods(ドッズィ)コーチが携わるクライストチャーチボーイズハイスクールの練習への参加、そして地元のクラブチームのゲームへの参加である。ホームステイ先は二人別々で、練習場所・試合会場で落ち合う形であった。
王国の地に足を踏み入れたとき、二人は風土の違いを身に染みて感じたという。
浅井「着いたときにもう暑くて。街並みも違うし」
水野「人が全然密集してない。土地も広いから…」
なによりもプレーする環境が日本とは別次元であった。ラグビーのために設けられたグラウンドの数。「『僕らが中高大でグラウンド1つでやってる』と話したら、Dodsが『本気? ありえない』って。むこうは高校だけで5面くらいあって、その横にサッカーとかクリケットのコートがある。それも全部芝生で」(浅井)
環境の違いに驚きと羨望を抱きながら、トレーニングは始まった。現地ではラグビーのオフシーズンだったこともあって、全体練習よりも、スキルといった基礎的なメニューに、Dodsコーチのもとで取り組んだ。スキル面で習得したものとは。
水野「僕はパスですね。オーストラリアのときもそうだったんですけど…こう、胸の下にテーブルがあると思って、その上で投げろ、って。言われることなく、NZではみんなやってて」
加えて、ハイスクールの出身者である、小野晃征氏(サントリー)が偶然にも来訪していた。日本を代表するSOからもアドバイスをもらったという。
水野「取って、下をくぐらせる日本式のパスだと、疲れたらブレだす。横にスライドする感じでしっかり伸ばして投げろ、と。それが身についたのかもしれないですけど、むっちゃ放りやすくなりました」
一方で浅井は、その基礎スキルにおける日本とのギャップに苦笑いを浮かべる。
浅井「技術を学んだというか…難しいんです。オフロードパスとか、いまは普通にアンガスさんが来られてから練習もしていますけど、それが当たり前のように基礎スキルとして存在する。僕らの高校のときは、ありえなくて。『ボールは両手で持つ』って、ね。本場はこういう感じなのか、と」
Dodsコーチによるスキルトレーニングと並行して、留学がスタートし1週間が過ぎた頃からはクラブチームにも参加した。こちらは2つのチームのゲームに加わる形。驚くことに、留学のプログラムに組み込まれているものではなく、自主的に飛び入りで参加するものであった。メンバー内が初対面同士でゲームに臨むことも茶飯事だったという。
始めは週に1回のペースで、カンタベリー大学のソーシャルチーム(ラグビークラブ)か、クライストチャーチボーイズハイスクールのOBチーム(『ハイスクールオールドボーイズラグビークラブ』)のどちらかに通うことに。次第にオールドボーイズをメインとして参加するようになり、週3日になったときもあった。
クラブチームは社会人で構成され、それでも大学進学ではなく高校卒業から就職したような同世代のプレーヤーが多く。そこでは、やはり海外留学で真っ先にぶち当たるであろう、コミュニケーションの壁にぶち当たった。
水野「始めの頃はそこまで複雑ではなかったんですけど、徐々にサインプレーとかしだしたら。そこでコミュニケーション取れなくて。落ち込みました」
浅井「僕はHOで…ラインアウトのサインが英語で言われる。しかも、ややこしくて(笑)。サイン以前に、リスニングの問題があって…。そこは何とか乗り切りましたけど」
言葉の問題が常につきまとうなかでの、ゲーム中のプレー。自分の意図していることを要求してみても通じないことは度々あった。コミュニケーションの大切さを思い知らされた。その折に、小野氏にアドバイスを求めてみたが、聞くに「ラグビー用語は無い」のだと返ってきたという。
「『詰めろ』とか、専門的な言葉は無くて。あるのは、チーム内で決められた掛け声。『サルト』『ペッパー』とか。ただ、それも言われて理解するしかなくて。時間かかりました」
自身のパフォーマンスを発揮するまでの気苦労が伴った。けれども、オールドボーイズでのゲームにて二人はトライに絡む。参加した2試合のうち、2試合目。20分の4セットで行なわれたゲームで、浅井は70分間の出場を果たし、ゴール前まで走ってのアシストパスを放った。一方で水野もWTBのポジションに就き、2本のトライを決める活躍を見せた。
コーチングを受け、スキルを磨き、実践のなかでゲーム感覚を養う。二人はそうした経験を血肉としながら、もう一つ、それらを取り込むための“器”も海外ならではの方法で強くさせた。ウエイトトレーニングである。「一番、それが充実していたかもしれないです」(水野)
週3回、二人には専属のトレーナーが就きハイスクールの施設で励んだ。そのトレーニングは、まさに“過酷”なものだった。「そのトレーナーが追い込んでくるんです」と浅井は時折、ほおを引きつらせながら振り返る。
「むこうは、日本のようにまるまる太るのではなく、筋肉の筋を出すように鍛える。動ける筋肉をつける」と話す水野は、食生活のバランスを保つのに苦労したそうだが、計ったところ80キロ近くへのボリュームアップを果たしたという。一方の浅井はというと…「僕は、がっつり7キロ痩せました(笑)」
ウエイトトレーニングの方法も日本とは異なり、短い時間のなかで濃い内容のメニューに取り組むもの。
浅井「日本だったらセット数と回数が決めれて、こなすんですけど…。あっちは『いま出来る、マックス』な回数に取り組む」
水野「だいたい3回に分けてやるんですけど、まずはフォーム確認。次は6~8回くらいでシンドイかなっていうのを2セット目にやって…。3セット目で限界まで追い込むんです」
限界まで挑戦する、その引き出し方に二人は驚いた。週3回のトレーニングのなかで、それぞれ鍛えるパーツは異なり、そして週ごとに負荷は大きくなっていった。
浅井「強くなってる感はあったよね」
水野「…うん。」
留学の8週間において、最初に比べ、最後の方が数値は上がっていた。そのトレーニング方法を経験したことで、二人のウエイトへの意識も変わったという。帰国後も、追い込むスタイルや、力を引き出しやすい補助の必要性などを取り入れ、実行している。
浅井「むこうはタックルも上にぶち当たったり、持ち上げる力とかも必要になってくる。上半身を鍛えるトレーニングをしていて。ラグビーの仕方で鍛え方も違うんだなと思いました」
環境や考え方の違い。それらは海外ではスタンダードの水準、ただ自分たちが触れたことがなかったということ。8週間にもわたったNZ留学を経て、心技体の全てが向上した。それが二人が得た収穫に他ならない。
水野「ラグビーするにあたって、固くなることが無くなりました。良い意味で楽というか…固い意識は持たないようになった」
浅井「帰ってきてから、激しくやれているかなと」
こうして始まった二人の関学3年目。NZでの経験を活かして、シーズンに臨んでいる。
「活かさないと。そう(NZ留学組と)見られますから。頑張らないと!」(浅井)
昨年ブレイクした二人が、彼らしか味わっていない経験をいかに己のものにして、プレーで見せてくれるか。今シーズンの見所がまた一つ、ここに増えた。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
参考リンク
ニュージーランド短期留学制度のお知らせ
選手ブログ:浅井佑輝
関西学院ラグビーカーニバル『深まる絆は、闘志の種に』
投稿日時:2013/05/11(土) 16:00
■関西学院ラグビーカーニバル『深まる絆は、闘志の種に』

「レディース、アンド、ジェントルメン!ボーイズ、アンド、ガールズ!」
マイクを握り、開会式の音頭を取った福本浩兵(平成15年卒)広報担当兼高等部コーチの大号令が響き渡る。
5月5日、天候は快晴そのもの。甲山に臨む上ヶ原・関西学院大学第2フィールドは、大勢の人でにぎわっていた。主には体育会の学生たちが部活動に励むいつもの光景ではなく、文字どおり老若男女の面々がフィールドの内外を埋めている。
今年で15回目をむかえた、『関西学院ラグビーカーニバル』。関学が主催するラグビーイベント。そこでは、下は地元のラグビースクールの少年たちから上は大学ラグビー部員の面々と、加えて、それを見守る保護者やかつてのOBもグラウンドを訪れる。まさに一家勢ぞろい、“関学ファミリー”が一堂に会するのだ。
この日、開会式を終え、まずは“末っ子”のスクール生たちがプレーに興じた。ゲーム前には各チームそれぞれに、スクールのOBである大学生たちがつき、タックルバックを持ち、ちびっ子ラガーたちのタックルを受ける姿も見られた。
昼からは“次男坊”高等部が京都成章高校を招いての試合を開催。現在の関学ラグビー部ではSH湯浅航平(人福4)をはじめ、PR安福明俊(教2)やSO宇都宮慎矢(社2)といった有力選手の出身校である。いずれは全国・花園の舞台であいまみえることに期待が高まる2校が対戦した。
その試合は前半、京都成章高が自在に攻撃を展開し、点差をつける。ゲームキャプテンを務めたナンバー8飯田拓くん(3年生/関西学院中出身)が話すに「ゲームへの入り方が悪かった」。だが、この日はカーニバルだ。関学のホームグラウンドで行なわれる、関学が主役の祭典。「内容の良いゲームをしよう」。高等部はチーム内で意識を引き締め直し、ハーフタイムに円陣を組み、後半へ臨んだ。
いつも念頭に置いているのは、2つ。チーム全員で点を取りにいくことと、ディフェンスで相手を0点に封じ込めること。
そうして後半はFWを主体に攻撃を仕掛けていく。そのなかでも、飯田くんは「僕が前に行って、チームを引っ張れるように」とポジション柄求められる動きとキャプテンシーを発揮し、奮闘した。
とき同じく、敵陣内でのプレーが多くなってきた関学高等部の様子を、眺める視線があった。この次に控える天理大学との招待試合にむけアップを始める“長男”大学ラグビー部。高等部出身であり、いまやチームの核となっているナンバー8徳永祥尭(商3)は、自分と同じポジションの後輩に注視していた。
「ナンバー8の子がタッチ回数多くて、ボールもらうな、って。あんなに前に出る意識がある、上手いなと思って見ていました。ここぞの頑張りがすごいとも」
先輩の目にとまるほどのハッスルプレーを、ゲームキャプテンは見せたが、追撃及ばず。高等部は1点差(28-29)で敗北した。「悔しいです。(相手は)強いなと。FWが強くて良いチームで、それにBKも良い選手が多い印象でした。
ゲームの入り方が悪かったのと、ラインアウトのミスが修正しないといけなかった点が反省です」。飯田くんは悔しさをのぞかせながらも、はっきりとした口調で試合後の感想を述べた。
次男坊が最後まで戦い抜いた。続くは祭りのトリを飾る、長男の出番。こちらも関西大学リーグ3連覇中の王者を相手に、手に汗をにぎる、しかしそれが喝采のガッツポーズへと変わる、応援する者の胸を熱くさせる戦いぶりを見せる。敵のテンポ良いアタックも粘り強いディフェンスで跳ね返すと、攻めてはFW陣が大きな塊となってゴールを陥れる。結果、24-12のダブルスコアで勝利を収めた。
そんな兄貴の戦いを、こちらも声援を送りながら、目をこらして見ていた。「学べるとこは学んで、活かそうと。SHとFWの攻撃の仕方が勉強になりました」と飯田くん。そして彼もまた、同じポジションの先輩の姿に目を奪われていた。
「ナンバー8の徳永さん。どういうふうにディフェンスにいくんやろう、と。中学の頃から憧れでした」
学年としてはあいだに2年を挟んでいるため、直接の関わりはない。けれども、飯田くんが中等部にいた頃には、すでに徳永は超高校級のプレーヤーとして名を馳せていた。
「直接は話ししたことはないので…聞いてみたいです。デイフェンスのタイミングの取り方とか。もちろんオフェンスも」
大学が白星でトリを飾ったこともあって、ラグビーカーニバルも盛況のうちに閉幕した。閉会式を終えてからのインタビューで、そう話した飯田くんに。ならば、と言うわけではないが、ファミリーが揃ったこのカーニバルを象徴する写真を撮るために、徳永との2ショットを願い出た。思いもよらぬ申し出に戸惑いの表情を見せたが、承諾してくれた。
目に留まっていたという後輩が、こういうことを聞きたいと話していた―。そう本人に投げかけると、「それだったら、僕なんかよりタケ(竹村俊太=LO/人福3=)とかに聞いた方が良いですよ!」と徳永。曰く、タックルよりもブレイクダウンといった、ボールのあるところに働きかける動きこそが自分のウリだと。それでも、後輩ナンバー8の印象で、最後にこう述べていた。
「アップしながらだったので、彼のディフェンスがあまり見れなかったんですけど…。ディフェンスが出来たら、相当良い選手だと思いますよ」
<徳永(左)と飯田くん(右)>
ラグビーカーニバル。そこでは、世代を超えてラガーマンたちがだ円球を手に取り合う。ラグビーを始めたスタート地点でもある地元のラグビースクールへ、十数年の時をまたいで帰ることも出来る。宝塚ラグビースクール出身の徳永も、かつての指導者と話せる機会を嬉しく感じるという。
そして、一つの看板もとい旗の下でプレーする学生たちがお互いの存在を認識できる場でも。練習場所こそ一緒であるが、試合を見るとなれば機会は限られる。高等部時代こそは一日がかりのイベントにくたびれていたと明かす徳永だが、いまは長男として襟を正す。
「高等部からしても、大学の試合はなかなか生で見れないですから。お手本に。僕らを見て、ラグビーを続けるようと思える存在になろう、と。きれいに、正しいラグビーができるように心がけます」
ファミリーと形容できるほどの、つながりを持つ関学だからこそ。魅力が引き立つイベントなのだ。自身6回目となる祭典を経て、飯田くんは話す。
「こうして中高大が集まるのが、関学の良いところだと。カーニバルは、関学に入ってよかったと感じるとこです」
この日、家族の絆はまた一つ深まったことだろう。そうして、まだまだ続くシーズンへむけお互いが、目標へむけ走り出す。
2ショット撮影を終えたあとに、先輩が後輩に手を取って、かけた「頑張ってな」の一言が。これからの競技活動を後押しすることがあれば、それもまたカーニバルで得られる闘志の種になると思ってやまない。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
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