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『WEB MAGAZINE 朱紺番』

井之上亮『帰ってきたウルトラマン』

投稿日時:2013/12/31(火) 03:35

 戦闘可能な時間は限られていた。それでも彼は再び我々の前に帰ってきた。長期離脱となった苦難の期間と全国大学選手権での復帰、PR井之上亮(社3)が胸の内を明かした。

 

■井之上亮『帰ってきたウルトラマン』

 


 

 「折れた思いましたもん」


 そう確信できるほどの感触があった。その瞬間、彼の足は文字通りに砕けたのである。


 それは忘れもしない夏の日の災難だった。井之上は日付も、その日起きたこともはっきりと記憶している。今年の8月12日、春シーズンを終え強化に繰り出す夏の一次合宿のまさに初日。練習中に転がるボールへセービングをしようとした際、芝生に足を取られた。本来ならば体を滑らせるようにしたかった。が、スパイクが芝生に引っかかったことで、流すはずだった勢いが、すべて足首にかかった。


 症状は、外側部分の骨折とアキレス腱等の靭帯の断裂。故障した翌日にチームドクターの下を訪れたが、診断したドクターさえも言葉を失うほどの重症だった。井之上は、そのときの胸中を、一言に集約してこう表す。


 「今じゃないでしょ!!」


 今年の流行語大賞でさえ、裏を返せば恨み節となる。大学3年目を迎えた今季は、自身にとっても勝負の年だった。U20日本代表にも選ばれた2年生次の経験を糧にFWの最前線に名乗り出た。相対する一団のプレッシャーをはね返す強さと、押し合いにおける繊細なまでの職人芸。それらが求められるポジションで、レギュラー獲りを果たすべく今シーズンは春先からアピールを続けた。


 そうして、さらなる成長をにらんだ夏本番。そのスタートダッシュで大怪我に見舞われることに。症状の重さから、秋のリーグ戦は出場が不可能と判断が下された。


 「これから頑張ろうとしていたさなかに怪我して。シーズンも間に合わないし。まわりからは『膝でなくて良かった』とかポジティブなことを言うてくれてたんでけど、さすがに。怪我して、何で!?って」


 ひきずることはなかった。そう話した井之上だったが、戦場から離脱したことへの空虚感に支配されていた。大学での一次合宿を経て、チームはいざ菅平高原での二次合宿へ。しかし、彼は帯同せずに実家へと戻り療養に努めた。


 チームは二次合宿だからこそ経験できる関東勢との対外試合をこなしている。そこでは新メンバーの台頭も。Twitterから入ってくるチーム情報を、受け入れるしかなかった。


 「早稲田大や帝京大、と強いとことやると聞いていたし、そこで力をつけようと思ってた。自分が成長が出来ないことも悔しいし、出れない申し訳なさもあった。

 家で横になってる状態で早く治そうとは思ったんですけど、いまの現状と先がかけ離れて。何しよう?が大きかった」


 負傷してから3日後には手術を受け、年内の全国大学選手権初戦での復帰を描いた。とはいえども、症状は深刻でそれすらも定かではなかった。長期の戦線離脱、しかし彼はその期間を振り返り、はっきりと口にする。


 「怪我はしたけれど、全然マイナスじゃなかった」



 プレーなどままならない身体だが、出来ることはある。井之上はこの期間に、別のことに取り組むことにした。阿児嘉浩ストレングス&コンディショニングコーチの協力のもと上半身の肉体強化を図った。井之上が話すに、それまではウエイトトレーニングの重要性を軽視していたというが、これが転機となった。


 「上がることが楽しくて。上がらないと全然面白くないんですけどね(笑)。いつも阿児さんは朝練終わってから一緒にトレーニングに入って、重さは違うけど一緒に取り組んでくれてました」


 その結果として、ベンチプレスの数字は100キロから125キロに。大幅なパワーアップを果たした。井之上の成長する様を阿児コーチはこう語る。


 「まじめにやってた。本人からも連絡があって筋力アップを。9月、10月、11月と集中的に追い込んで。ボリュームも全然変わった。怪我したことでウエイトトレーニングの大事さに気付いたんじゃないかな」


 その一方でチームは菅平合宿を経た後に、いよいよリーグ戦へ突入。井之上が不在の最前列を埋めるように、PRたちは名乗りを挙げた。「一つ席が空いて、取り合いというか。チーム的にはマイナスではなかったと思います」と井之上が話すように、チームの戦力アップ、そのためのレギュラー争いが繰り広げられた。


 けれども皮肉にも、こればかりは井之上の離脱が直接的な要因とは言い切れないが、チームとりわけFW陣はリーグ開幕戦で敵の後じんを拝することに。京産大を相手に黒星を喫した。試合を観ていた井之上の評はこうだ。


 「スクラムやられてました。春の対戦では相手のスクラムを崩壊させられてたのに、こんなにいかれるのかと。春は同志社大戦を除いて、スクラムに関しては勝っていたし、手応えも感じていた。そこを負けると厳しいなと」


 思うようにいかぬスクラムを目に、胸が締めつけられる。だが「歯がゆかったですけどね。でも、自分は出れない。OBさんからも『いつ出れるん?』と聞かれたりもしました」


 このとき想定していたよりも、治癒のペースは芳しくなかった。ようやく動けるようになったのは10月後半。しかし、動こうとしても激痛が走る状態。むろん、そんな状態であるから存分にプレーできるまでのスタミナも失われたまま。


 そうしてリーグ戦が終わり、戦いの舞台は全国へ移った。ブロック戦の初戦の相手は大東文化大。当初の予定での復帰も「厳しいかも」ではあったが、井之上に声がかかった。トップチームへの選出である。



 金寛泰(人福4)の復帰を筆頭に野宇倖輔(経1)、河島亨(人福2)と状況に応じてのメンバーの入れ替えが見られたPR陣。そこに対して、レギュラー獲りへの焦りよりも「動けるかどうかが心配だった」と井之上は振り返る。果たして前のように走れるのか、と。


 あらかじめ出場時間は決められていた。わずかながらの時間を「持たせようとは思うんですけど息が上がってしまう」。足らぬスタミナ、そして何よりも痛みをかかえたままであった。


 12月8日の大東大戦も残すところ5分で井之上の名前がコールされる。寒さに身体が冷えていたこともあっただろう。一歩目から痛みが襲い、足を引きずっての入場となった。だが。


 「始まったら痛み、無くなるんですよ! 痛み止め飲んでも痛いのに。アドレナリンで痛くない。すごいっス」


 かかえる激痛すら吹き飛ばす闘志。続く翌週の試合でも、井之上は実感したという。


 その12月15日の帝京大戦は3分間の出場。そのピッチ上では、知り合いの相手選手とこんなやりとりがあった。


 「お前、出てくるん遅いな」

 「3分しか持たへん、ウルトラマンなんよ」


 最終的に今季の井之上の公式戦出場時間は合計8分。それでも40分間戦ったような疲労感があった。スタミナへの不安を抱えながら、フィールドで出来る限りのプレーに努めた。


 シーズンを終えてもなお、負傷箇所には7本ものボルトを打ち込んだまま。完全に復調するまでは時間を要するが、しっかりと身体を作り上げ次なる戦いに臨む。離脱期間中に鍛え上げた上半身、次は怪我にも負けぬよう下半身の強化を目論んでいる。「どう自分をベストに持っていけるかです」と井之上は意気込んだ。


 来季への完全復活の誓い。3分間?いや、今度はもっと戦える。ウルトラマンは二度、チームに帰ってくる。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)


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