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『WEB MAGAZINE 朱紺番』

徳田健太『朱紺色のブロッサム』

投稿日時:2013/07/30(火) 12:00

日本ラグビー界が動いている。向かう先は2019年のW杯自国開催、その道中における昨今の躍進。先日、ウェールズから有史初となる白星を挙げたことは大きな話題にもなった。国家レベルの飛躍を掲げるなか、裾野は確実に広がっている。その波は上ヶ原の地にも。サクラのジャージを身に纏った男たちは、そこで得た経験を活かし、戦いに臨んでいる。

 

■徳田健太『朱紺色のブロッサム


 

 「いいね!」ボタンがクリックされた。昨年10月7日天理大との関西大学Aリーグ開幕戦における関学ラグビーの近況に対して。そこでの朱紺のジャージの「6」番と「9」番のプレーが目にとまったのだ。日本ラグビー界の先導者の、あの眼光鋭き瞳に。


 ここで注釈。あくまでも文中の表現は最近主流のソーシャル・ネットワーク・サービスの引用。事実は、こうだ。天理大戦の映像を通して、現在ラグビー日本代表を率いるエディ・ジョーンズHCから、こちら関学ラグビー部を指導するアンドリュー・マコーミックHCに連絡がきたのだという。その内容が、まさに関学の2人のプレーを称えるものだった。6番はFL徳永祥尭(商3)。9番はSH徳田健太(商2)。この2人が、「いいね!」と。(学年表記は現時点のもの)


 いま日本ラグビー界の潮流として、世代やカテゴリーを問わず全体的なレベルアップが図られている。背景にあるのは将来を見据えた永続的な強化だろう。世代の垣根を越え学生ラガーマンが、トップに位置づけられる日本代表に選ばれていることも一例として挙げられる。高いレベルでの人材発掘が、それに続くジュニアジャパンやU20日本代表といった、それぞれのカテゴリーで行なわれているのだ。そのスカウティングの網は大学にも及んでいる。


 関学においては、ここ数年の躍進もあって、有力な学生プレーヤーが揃うようになった。全国各地から人材が集まり、その一方で、直系の弟分・関学高等部からも全国級のラガーマンが進学している。そうして、そのなかには大学でプレーに励むうちにジャパンに召集された部員も。過去にはWTB長野直樹(社卒=関西学院高等部出身/現サントリー=)やCTB春山悠太(文卒=天理高校出身/現トヨタ自動車=)がU20日本代表に選ばれ、国際舞台を経験している。


 チーム内で、そうしたジャパン経験者という大きな刺激が生まれることを指導者たちは喜んでいる。今年の春に、徳永がジュニア・ジャパンに選ばれた際に、マコーミックHCはこう話していた。


 「すばらしい。ただ入るだけじゃなくて、活躍できるのが楽しみ。私たちにもプラスになると思う。チームに戻ってきてプラスになることもある」


 選ばれし者だけが得られるモノを還元すること。それこそが彼らの役割でもあり、チームにとっても貴重な財産になるといえよう。



 SH徳田健太、公式戦全試合先発出場。それもルーキーイヤーでの。改めて振り返ってみると、関心するとともに驚きの記録である。ハイレベルな顔ぶれを揃えるそのポジションで、昨シーズン、彼はレギュラーの座を射止めた。


 その大学での活躍ぶりが冒頭のように評価され、今年の春にU20日本代表の合宿へお呼びがかかった。きたる大会にむけてのメンバー選考を兼ねた合宿は5~6回を数えるもの。桜のジャージを懸けた、セレクション合宿。2月も終わりの頃、彼の戦いは幕を開けた。


 「行きたいなとは思ってたんで。嬉しかったです。行くときから、『なんとか残ってやろう』と」


 彼にとっては、初めてとなるジャパンへの挑戦。その舞台に立つことに焦点を定め、合宿に挑んだ。メンバー自体は、当初からある程度「絞ってたみたいで」(徳田)、それでも国の代表を決めるセレクションだ。厳しい選考を着実にクリアしていき、そうして大会を直前に控え、徳田はU20日本代表メンバーに選出された。


 「怪我もあって、いけるか分からなかったんですけど選ばれて、ほっとしました」


 5月の暮れから6月にかけて、南米チリで開催されたIRBジュニアワールドラグビートロフィー。その国際舞台において、自身のなかにも少なからずあった、憧れのジャパンに徳田は身を投じた。


 憧れのジャパン、それすなわち国の代表。桜のエンブレムや紅白で彩られたジャージや支給品を手に取ったとき、そしてピッチ上で国歌を口にしたときに、そのことを実感したという。


 そうして始まった世界大会で、国の威信を背にした若武者たちは戦った。対峙した外国人プレーヤーとは体格差を痛感することに。だが、体格に関しては不利を自覚している徳田も、通用する強みを最大限にぶつけた。それは、基本的な2つの要素。「早いテンポ」と「低い姿勢」だ。


 「小さい人間でも、そうした基本的なことをやったら、大きい外国人相手にも通用するのだと」


 徳田は体格差を言い訳にすることはなかった。逆に、その基本的な部分を集中して徹底できなければ、やはりは打ち崩されたという。意識の継続を、国際舞台における自身の課題として捉えていた。



 1~2週間で計4試合。そのうち徳田は3、4試合目で先発出場を果たした。緊張は続いたと振り返るが、初めての国際デビューで遺憾なく自身のパフォーマンスを試せたのは、何よりの経験になった。加えて、学生レベルとは違ったカテゴリーならではの待遇についても。


 「ゲーム以外の、ケアの仕方とか。スタッフのサポートだったり、本当に細かいところまでトップレベルのものを味わえた。プレー以外の部分も、自分の成長していける点だと思いました」


 おそらくは地球半周分ほど、かけ離れた地で徳田は、得られるものを余すことなく吸収してきた。海外渡航ならではの気苦労(帰国後、真っ先に口にしたのは『どん兵衛』だったとか)もあったが、それらの経験も含めて、一回りも二回りも成長したことだろう。


 この上半期、大学では出場した試合は数えるほどに終わった。けれども、衝撃的なプレーを披露している。帰国した後の、6月23日の立命大戦。母校のグラウンドで行なわれたオープン戦にて、徳田は一発のタックルを相手にぶちかました。疾風のごときスピードと、地を這うような低きインパクト。それこそボールキャリアーを追っていたカメラのファインダーの外から、突然に姿を現したほどのものであった。


 「どうしても、ああいう感じで入らないと外国人は止まらなかったんで。


 ジャパンでも接点のとこは大事にしていて、タックルスキルの練習もやってきた。それが身についてきたのかな」


 接点の部分、それは関学においても今シーズン重きを置いている点である。チームの目指す先が、日本代表というトップレベルと通ずるならば。それらを身に染み込ませた徳田のようなジャパン経験者の存在が頼もしい。
 

 彼にとっては、憧れの舞台への挑戦は今後も続きそうだ。


 「国歌を一回、歌ってみたかったんです。

 これからのパフォーマンスによって、呼ばれることもあると思うので。チームで出来ることをしっかりやって、召集がかかったらなと思います」


 弾けるような闘志が詰まったブロッサムの実は、まだまだ熟していく。ひとまずは朱紺の彩りをもってして、華麗に花咲くことを強く願おう。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)

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