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「小原組~ALL OUT~」 2010/2

『克己』前編:松田竜輔

投稿日時:2010/02/21(日) 13:46

【シリーズ連載第4弾】

 

 残酷な運命に直面したとき、人は何を思うのか。そこから前に進もうとするとき、何が背中を押すのか。松田竜輔(文4)は1年間を通じて怪我に悩まされ、どん底でもがき苦しんだ。山本有輝(経4)はときに運命のいたずらに翻弄(ほんろう)され続けた。引退したいま、2人があのときの心境を明かす。



 

 あれは春のシーズンが始まってまもなくのこと。チームは対外試合13連戦に意気揚々としていた。そして男にとっても、卒業後の進路も決まりラグビー一色で臨もうとしている矢先の出来事だった。


 4月26日、天理大戦。関学第2フィールドは雨だった。


 松田は、あのときの一挙一動をじっくりと思い出しながら話し始めた。


 「向こうがA、BチームでこっちもA、Bやったんかな。後半から出て10分経ったうちに

 相手が左から右にステップ切って、まっすぐにこっちにきた。そのまま来るんかなと踏んでタックルいこう思って。そこから相手が横に動いて抜かれる思ったから、足をかろうとしたら。(腕が)相手の左ひざに入った」


 ケガをした、その瞬間は。


 「尋常じゃなく痛くて。けど見たら、腫れてないし


 そのあとスクラムでLOのパンツ持った瞬間、骨が鳴って。試合出来へんわ、って」


 後半のゲームリーダーを務めていた松田。またとない大役を任された以上、それでも「出たい」気持ちがあった。加えて、まわりの部員が持つ『松田=痛がり』というイメージへの反骨心がその気にさせた。だが事態は深刻で続行は不可能、すごすごとベンチに下がった。


 「自分から『出してくれ』って言ったのに下がった自分に腹が立ったし。戦線離脱したのが悔しかった」


 気合十分で臨んだそのたった10分後、松田は奈落の底に突き落とされた。


 全治2ヶ月の骨折。医師も「手術しなければ始まらない」と言うほどのもの。不安な気持ちに苛まれながらも、手術を受けた。


 「今季のゲームは厳しいかな」


 そう感じていても、ひとまず次に進むために。


 その天理大戦の日、試合終了後に松田は監督から呼び出された。グラウンドに隣接する関学スポーツセンターの一室に足を運ぶ。大崎監督と萩李ヘッドコーチの姿。そこで指揮官から受けたのは、学生コーチへの転身の打診だった。松田の怪我と指揮官の思惑のタイミングが偶然にも一致した。負傷したいま「チームのために出来ること」を考えていた松田は悩んだ。一見ありがたい話しを受けたにも関わらず。なぜなら学生コーチへの転身はすなわちプレーヤーを辞するということだったからだ。


 そのときは返事を保留。その後しばらく悩みに悩んだ。


 やがて出した答えは、プレーヤーのままでいる、だった。そう決断させたのは、仲間の一言。松田は振り返る。


 「(話し合いの)あのあと、新グラ(第2フィールド)に行ったらベンチにみんなおって。あんときもう、みんな知ってたんやろうね。帰るときに『宮本むなし』行こうか!ってなったときも『いつもとちゃうぞ?』と感じた」


 確かにあの天理大戦の日、4年生たちは傷ついた仲間の進退について案じていた。雨が降り、日が暮れたあともベンチで話し合っていた。


 「で何日かあとに、門戸厄神の『じゅとう屋』で問い詰められて。『松くん、おれらに話すことあるやろう?』って。みんな真剣に考えてくれてて」


 その話し合いの果てに、小原(社4)や片岡(総4)が言った。


 「ラグビーやりたいと思ってる人を犠牲にしてまで、オレらは日本一になりたくない」


 その一言に松田は胸を熱くした。


 「自分がラグビーをすることで、部へのいろんな還元の仕方あるし。ラグビーやりたいな、って」


 右腕にギプスをつけてもなお、松田はラガーマンであり続けようと決めた




 だが、ここで物語が終わるわけではない。悲劇はまたしても彼のもとに舞い込んできたのである。


 上半期が終わり、8月に突入。1次合宿も終わりにさしかかった頃だった。練習中のたった一つのプレーの際、相対した選手のすねに右腕が当たってしまう。痛みとともに、数ヶ月前のシーンがフラッシュバックした。


 「痛いし。それでフラッシュバックして、怖くて、泣いてて」


 駆けつけたトレーナーもお構いなしで、恐怖に涙した。


 右腕に走る激痛。同じ箇所だ。けれども、医師の診断は予想外にも「何もない」だった。レントゲンは何も示していない。原因不明のまま、2次合宿をむかえた。痛みは、あった。


 別メニューをこなしながら、菅平合宿に突入。中央大Bとの練習試合への出場が決まったが、痛みを伴う右腕をかばいながらのプレーが続いた。周囲からは「右腕使ってへんやん!」と野次と冗談まじりの、心配する声が上がった。やがて監督に呼ばれ、ベンチに下がった。


 「ほんま痛すぎたから。やりたい気持ちあったけど


 ラストイヤーの菅平。1試合だけでは終わりたくなかった。朝鮮大との試合で20分間出場したが、翌日の帝京大C戦では出番が無かった。


 この頃から底なし沼のような絶望感に松田ははまっていく。


 「『何もない』ことはない」と感じていた右腕の症状は、帰阪後にやはり骨折と判明。その痛みは、否応がなしに練習時でも支障をきたすようになった。モール(このころ部をあげて練習では時間を割いていた)では、痛みが爆発。シーズンが始まっても、バック持ちさえ出来ない。後輩たちには「背中で見せなあかん」と思っていてはいたものの


 「苦しくてあんときはラグビーを辞めたかった。練習が嫌やった。けど、やらんかったら後輩はついてこないし。ジレンマ感じた」


 仲間の支えは十分に感じていたものの、それすら打ち砕く負の連鎖に松田の心はボロボロだった。


 どん底の男を救ったのは何だったのか。それを問うたとき松田はある言葉を口にした。


 「〝美しき闘いを、最後の夏に〟」


 それは彼が恩師と慕う先生からそのときに与えられた言葉だという。


 「合宿終わったときかな、相談してて恩師の方から『ひとりでもいいから、松田さんがおって良かったな、と思ってもらえるような人になれ』と」


 後輩には諦めた姿を見せたくない。やるからには本気でやる。師からのアドバイスを受け、関学でラグビーをやり切ることの意味を再認識した。それは、松田竜輔という選手がいた証を残すためであると。




 苦しんだ半年間のことを、記憶をたどりながら松田は語った。事細かに。その一方で、夏以降のことは記憶に刻まれていない。


 「(試合などに)出た記憶はあるけど消えてる。なんでやろう


 あまりにも苦しまされたからか。そして、その反動だろうか。


 右腕には手術痕(あと)と思われる傷がくっきりと残る。それは、勲章でも何でもない。学生生活最後に味わった苦い思い出の痕跡。


 松田は話す。


 「いろいろと考えたなかで、プラスにはなる思う。苦しい時間を乗り越えたことが人生で役にたつ思うし」


 最後に聞いてみた。後輩たちに背中を見せれたか。


 「それは分からん!(笑)。うん分からんけど、打ち上げで後輩から『僕も頑張れました』とか言われたときに、やって良かったかな、っと」


 苦闘。苦しみと闘った男の勇姿は、きっと後輩たちの心に届いているはずだ。


<後編・山本有輝に続く> 


(文=朱紺番 坂口功将)


■松田竜輔(まつだ りゅうすけ)/文学部4年生/八尾高校/FL/171㌢、87㌔


『闘志静かに燃やして』

投稿日時:2010/02/12(金) 15:41

【シリーズ連載第3弾】

 伝えたい人がいる。このシリーズ連載を考えたとき、真っ先に頭のなかに浮かんだのは彼だった。そして、その旨を部員たちに話したとき、「まさしく」「あいつこそ」という言葉が必ず上がった。今こそFL山本真慶(経4)にスポットライトを当ててみよう



 

 

【サポートプレー】

 2009年の関学ラグビーは、ずばり『FWラグビー』に他ならない。平均体重100㌔前後の屈強な男たちが、ぐいぐいと前に出るもの。そして、そのアタック力は凄まじいものであった。そのなかで特に2列目より後ろにはタレントが揃った。リーグ戦チーム最多の11トライをあげたナンバー8大滝(社4)、たぐいまれなる突破力でインゴールを割るFL西川征(文4)、相手ディフェンスをもろともしない突進を見せるLO松川(経4)、そして主将のLO小原正(社4)。彼らの活躍には誰もがうなずく。しかし、彼らに続く「第5の男」というべきか、いや匹敵する存在というべきか。山本真慶、この男を忘れてはいけない。 


 「自分は目立つポジションじゃないから。チームにたくさんアタックが得意なやつがおって。そいつらを自由に動かせるように、しっかりボール出ししようと」


 山本がレギュラーをはるFLは「タフな選手がする」ポジション。とにかく走る。時にアタックへ、時にディフェンスへ。ボールのあるところ、あらゆるシーンに姿を現す。そこでは相手とのコンタクトが常につきまとう。そのポジションを今シーズンのFLは攻撃面で西川が、その対極で山本が防御面を担った。それに加え、引き立て役に徹した。 


 持ち味であるコンタクトプレーとタックル。それらはトライという誰もが心を奮わせるプレーとはま逆のもの。だが一見目立たないワンプレーも、それなしにゲームがチームの思いどおりに進むことはなかった。


 「トライを取ってくれる人たちに、いいサポートが出来るように。しっかりと裏方に回って仕事していきたい」


 これが3年生次から山本が口にするFL論。ぶれることなく自分の役回りをこなす、この男まさに職人である。 




【vs外国人】

 その献身的なプレーが、ときにひときわ輝く。そのときばかりは、「引き立て」役がアル存在によって引き立てられる。そのアル存在とは 


 「ポジションもそうやろうし、自分のプレーの特徴もそうやし。対外国人の役割を任される」


 そう話すとき、笑みがこぼれる。摂南大のイオンギ・シオエリ(トゥポ)や天理大のアイセア・ハベア(日本航空第二)に代表される、留学生ラガーマンが各大学の核となることが多く見られるようになった大学ラグビー界。むろん関学も彼らと対峙する機会が増えた。いかに彼らを自由にさせないか、抑えるかが重要になる。そこで登場するのが、山本というわけだ。


 対外国人専用の職人芸が発揮されたのは、08年の摂南大戦。イオンギが迫力あるプレーで存在感を放っていたリーグ戦だ。そこで対峙することになった山本は、真っ向からイオンギにぶつかっていく。ハイパントをキャッチした瞬間に狙いすましたタックルをお見舞いし、相手の攻撃を封じこめた。


 「倒したときは嬉かったです」


 そのときの素直な感想。やがて翌年も、山本は再び彼らと相まみえることになる。


 09年関西大学Aリーグ開幕戦の相手は一躍「優勝候補」とまで目されるようになった摂南大。そして、さらなるパワーアップを遂げた褐色のナンバー8が濃淡混じる青色のジャージを着て、そこに立っていた。 


 「今年はもっと止めてやろうと思ったけど。さらに成長してて。子供扱いされた。これには勝てない、と」 


 そう試合を振り返る。最終的にはチーム一丸となって食い止め、逆転勝利をおさめた。対イオンギは1勝1敗といったところか。


 さて、もう一人の留学生と相まみえたハイライトが今シーズンの彼にはある。関西2連覇がかかった天理大戦。ジュニアW杯日本代表にも選出されたアイセアが中心となってチームを扇動していた。その大一番では。 


 「ハベアくんを狙っていったという感じ。彼を止めることの意味は大きかった」


 幾度となく防御網を破られそうになるが、CTB村本(文2)とともに食い止める。なかでも、味方が足元にタックルにいきアイセアが止まったところに、全身からぶつかっていく(左腕でかちあげる、ラリアットのようだった)シーンは、見る者を湧かせた。 


 「今日はバックローのディフェンスも良かった。特に山本真慶が」


 関西2連覇を決めた試合後、萩井ヘッドコーチは名指しで彼を誉めたたえた。


 その活躍ぶり、あえて暗躍ぶりと書こうか、山本の姿は職人肌と相まって『侍』に見えてくる。やはり自身も「外国人相手に燃えるタイプ」と自負している様子。学生ラグビー新時代を牽引(開国?)する留学生に正面から立ち向かう侍だ。




【言い切れること】

 普段から物静か。口数はお世辞にも多い方ではない。けれども、内では燃えている。ラグビーと向き合っているときのこの男は熱い。


 3年生次の夏合宿でAチームに昇格。そこからはひたすら「Aにとどまり続ける実力をつける努力」をしてきた。今季の体重増加計画の際には、とにかく走れる身体を作り上げるために、「(周りより数値が低い)こういう体重でいきたい」と監督に直訴。シーズンに合わせて、身体をしぼった。


 「最後の年やし、この4回生で目標を達成したいと思った。一番気持ちが入って。全力で頑張った」


 内なる闘志をプレーで存分に出し切り、ラストシーズンを戦いきった。だからこそ、引退した今はっきりと口にする。


 「いっさい悔いはない」


 それは他のどの言葉よりも熱っぽく発せられた。


 スポットライトは当たっていなかったかもしれない。それでもみんなの心に刻まれている。FL山本真慶という名の熱き侍の姿を。■ 

 


(文=朱紺番 坂口功将)


■山本真慶(やまもと まさよし)/経済学部4年生/関西学院高等部/FL/170㌢、92㌔


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 シリーズ連載最終回となる次回は、「復活」をテーマに選手2人に迫ります。よろしくお願いします。朱紺番 坂口功将


『分析班のホンネ。』

投稿日時:2010/02/02(火) 23:58

【シリーズ連載第2弾】

 チームの勝利を願うのは、メンバーなら誰しものこと。そのなかでもこの2人はとりわけ願っているのではないだろうか?分析班として関学ラグビーを最も見つめた、玉泉啓太(社4)と増尾友甫(社4)が、胸の内をとことん語ります。



 

はじめに、分析スタッフの仕事とは

玉泉(以下、T)「まずは、増尾はFWやからラインアウトを。BKは対戦相手のラインアタックのサインとかディフェンスシステムとか、どんなアタックの傾向があるとかを。

 そして最終的に、相手メンバーを予想する」

増尾(以下、M)「とりあえず、試合は見たよな(笑)」

T「具体的にはパソコン使って、試合を切り取って見ていく。で、選手に見せるために編集をする」

M「実際にやったのは半年。8月の終わり」

T「(就任は)春から決まってたんやけど。春から分析班おいたのは、おれらの代から。去年と形変えて、映像の編集するのもおれら、サイン調べるのもおれら」

M「実際は4人。FWは慎平(北野=商4=)とBKは崇志(畑中=社4=)がやって。ひとりひとりやとやりきれん部分あって2人に助けられた部分ある」

T「見る視点も違ってくるから」

M「あの2人が手伝ってくれたのは大きい」


さて試合中はどんなことを

M「試合中はグラウンド下りて、『サインプレーあったで』とか話あって」

T「増尾はウォーターしながら」

M「補助係で、ね」


リーグ戦を振り返ってもらって

M「早かったよな。試合終わり次第チェックしていって」

T「リーグ戦やと毎週続いたから。火曜日には見せなあかん。日曜日のゲームを月曜にやらなあかんくて、休みやったけど部室来たり」

M「各週、各週で。時間も無いし、ハードやった」

T「1日では終わらん」

M「半日の作業が何日もある感じ。練習終わって、部室こもっての繰り返し」

T「朝練して、ウエイトして、分析して、練習して。そこが他の大学との違いで、関東なんかは分析スタッフだけ募集してたりするけど。プレーヤーやりながら、っていうのは

M「少ないと思う。全国的に見ても」


その分析スタッフ。そもそも役職に就いた経緯は

T「オレの場合は何となく話してて。4年生のBKが6人しかいなくて、健太(田中=4=)、崇志、将(片岡=総4=)は幹部に決まってたところ、将から『けっこうラグビー見てるし』って。海外ラグビーとか、見てるのは他の人より多いと思ってたし、4年になって頑張りたいと思って」

M「オレは何でやろう

T「増尾は、誰よりもラグビー知ってる。PRやのに、BKのこういうアタックした方がいいとか、エリアとか」

M「エリア取らんかったら、しんどいのはFWやし。言わんかったら、がまんするだけやし。

 あらためて、あの期間であれだけの試合を見たのははじめてやわ」

T「そもそも引継ぎが無いから。パソコンの使い方だけ聞いてて。ここをこうまとめて、とかも自分たちで考えてベース作ったから」

M「やのに、一発目が摂南やったのがきつかった!何してくるか分からんし、データ無いし。摂南は勝って良かったーって。天理はやってくれるって分かってたし」

T「摂南が一番難しかったよな。第1戦で、摂南はむっちゃ分析してきてたみたいやし」


対するこちらは、菅平の偵察ビデオのみ?開幕戦はどういった対策を

2人「うん」

M「どのエリアでボール持つかくらい」

T「ナンバー8をどこで止める、とか」

M「ほんまこんな対策でエエんか、って(笑)」


ちなみに分析班の目から見て、関西制覇は見えてた?

T「一戦一戦やっていくのが精一杯。勝っていかんと!って」

M「うん。天理のときも、試合終わったあとに、優勝や!って」

T「次当たるチームに最大限に尽くさんと。(分析の仕事自体)始めてやったから、先を見る余裕無かったし」




優勝した後の、同志社大戦に関しては

T「最終戦やから

M「同志社戦に関しては、心配無かった」

T「データある、ってことに関してはね」

M「ゲームに関しては不安な面もあったけど、相手の良いとこを見ようとしてるから、余計に良く見えてまう」

T「相手のエエとこしか見ぃへんから」

M「ウチのウィークポイント取られたら、ヤバイでって。天理より同志社の方が、かな」

T「リーグの同志社戦ではケア出来んかった部分あったよな。それで選手権で戦うことなって、直して。橋野(SO=大工大高=)がこういうイメージで走ってくる、とか」

M「選手権の同志社の方がやりやすかった」


選手権では対戦経験のない学校とも戦う可能性がある。関東勢に対しての対策はどうやって?

T「基本的には、関東と戦ってきた大学と協力して。ビデオ借りたり」

M「慶應にはけっこうお世話なった。この場をお借りして、慶應に感謝の意を」

2人「ありがとうございます」


そして始まった選手権。2度目の対戦となったライバル・同志社大に勝ったわけだけど

M「なんだかんだで橋野皓介のチームってのがでかい。彼が何をしてくるのか、ていう。見てて面白いねんけど、やられるとイヤやね。パスキックも、全部出来るし」

T「プレーがしぼりきれない。サインでどうこう動いてくるチームじゃないし。橋野に合わせて自由にやるチームやから、説明しにくかった

M「とりあえず、見て!って。どう見てもFWで負ける気しんかったのはあるけど」


部員たちに説明する、ミーティングではどんなことを?

T「プレゼンって言ったら、たいそうかも知れんけど。『相手がこうしてくるから、ディフェンスはケアしてください』って感じで言ったり『キックをこう使ってくるから』とか、けっこう言ったかな。あと、ジョー(イオンギ・シオエリ=摂南大=)とか、キープレーヤーの話を」

M「ラインアウトあらためて考えてみると、他にやり方あったかなって。結局、取れへんかったから

T「責任感じている?」

M「明治戦とか安定させてしまったし。ラインアウト取ってたら、勝ってたもん」


いま話に挙がりました。ずばり分析スタッフから見た、明治大戦の敗因は

M「田村(SO=國學院栃木=)ちゃう?」

T「なめてたわけじゃないけどそこまでポテンシャルあるんや!ってビックリした。『まさかそこまで』考えてなかったのが敗因」

M「ハーフタイムで玉(玉泉)の顔見て、うわっ動揺してるわって。あの顔は忘れられへん」

T「あそこまで外れたっていうね」

M「予想を超えるプレーをさせてしまった、っていうのもある」

T「ビデオ見る限りは。ウチとの試合で、そこまで出るかっていう」

M「6番とか注目してなかったし」

T「そこは反省かな。予想を超えるとこまで分析しなあかんな、って。いまだに明治大戦のビデオは見てないもん。悔しすぎて。いつもは毎回、帰って即行見てんのに、ショックすぎて」

M「終わってから何回も考える。もうちょっと言っとけばなぁ、とか」

T「ウチはFWに自信あったから勝算はあった。アタックはあの試合見ても、いったら取れてたもんな。そこに至るまでにいかせてもらえんかった」

M「先制されて、けど大滝(社4)がすぐ取り返して。イケるやろ!って」

T「けど甘かったな


ちなみに増尾は明治大戦のビデオは見た?

M「んーまだ見てないと思う!終わってから見たんは、選手権の準決勝と決勝。ラグビーを見てないね。ラグビーと距離置いてる気する。高校ラグビーも見てないし」



▲明治大戦。スタンドに増尾、グラウンドには玉泉の姿


結局のところ、今年の『関学ラグビー』とはどういったものだったのか

M「オレはFW視点やから、『FW』って言ってしまう。どこがウリ、て聞かれたら『FW』。あんなデカいFWおったらイヤじゃない?(笑)」

T「みんな入ったときから別人のようになったもん」

M「でもオレらの学年、元々デカかったよな」

T「『FWの関学』って言われて、BKとしては肩身せまい(笑)。

 オレがハーフなのもあるけど、FW動かしたアッシー(芦田=人2=)の存在デカかった。この1年で成長したかなって。で、だいぶこのチームを成長させた」

M「同志社戦でのケガしたときは、ヤッバーって。それだけ、あいつはでかい。

 チーム全体でいえば、ラインのなかでFWが絡んでくるのが多い。いい傾向やと思う」

T「それが通用したのは関西だけやったよな。関東相手に、ウチの良さが出せんかった」

M「出せてたら通用するよ。関東のやつ言ってたで。あの松川ってやつ誰?って。

  でも色々考えるくない?もうやることないのに」 


考えたとき、改めて振り返って今年のチームの弱点とは

T「あくまで分析やから

M「グラウンドで相手と正対して違和感とかあっても分からんし。机の上でやったらナンボでもいえる。けどゲームでは何にもならん」


分析スタッフという役職を振り返って。やりがいを感じるときは

T「勝ったときかな、まさしく」

M「そうよな。勝ったら、良かったなって思える」

T「安心っていうか。負けたときは『自分たちがあかんかった』って責任感じる。かといって、勝ったときに『オレらのおかげで』とは感じへん」

M「オレらはあくまで参考でしかないから」




選手と分析の兼任、4年目は大変だった?

M「しんどかったけど、いまこうやって思い返したら、楽しいことしか思いうかばへんし。実際楽しかったな。もう一回やれって言われたら、うーんって(笑)」

T「達成感はあるかな。やったなぁ、みたいな。春とか夏とかはジュニアの方を見てたし。やりきった。ほんまに後悔は明治戦だけ。

 分析に関しては、指導してくれる人がおるわけやないし、分析の基礎が無かったから。それをつくるとこから始まった」

M「一発目のミートは、どぎまぎした。摂南戦前の9月の初仕事は」

T「急に萩井さんから『(相手チームの)あいつ、どんなプレーヤーや?』って聞かれたり。いつ、そんなんあるか分からんから大変。

 アメリカン(フットボール部)とかスゴいよな。分析おって、あんだけミーティングして。あれが日本一目指すチームなんかなって思ったり」

M「あれぐらい相手を丸裸にしたら、どこまでイケるんやろな。莫大な情報量なる思うわ」

T「オレら、全部手書きやで!」(分析で使用した資料ファイルを手に)

M「その方が楽やけど」

T「まさにアナログ」


資料の数がすごい。ラインアウトなどは、だいたい1チームで何パターンくらい?

T「京産が多い!明治もそこそこや思う」

M「京産に関しては、この倍あってもおかしくないと思う」


やはりデータは重要になってくる?

T「最後の天理、同志社で。それまで天理が何トライ取ったのを時系列にくぎってて。それをグラフに出して、ばらつきを見たんよ。そしたら、トライ取れてない時間とかが浮かびあがって」

M「ウチは、時系列関係なく打ち合いになってたり」

T「で、こんなんをイメージとして。この時間帯強いよ、とか。誰に言われたわけじゃないけど、ちょっとの参考で準備して」

M「最初は自己満足やってけど、データ重ねたら」

T「なんだかんだで作業量はいっぱいいっぱい。けど、やりすぎることはないよな」


分析スタッフという役職に思うことは

M「こうやっておけば、って反省を活かすためにも」

T「各学年から出てくれば。経験とか重ねていったら」

M「自分が下の学年やったら、面倒くさがる思うけど。今の学年のためになれると思ったら絶対やった方がいいと思う!」

T「昔はそんな考え無かったけど(笑)

 オレらが作っていかなアカンからな基盤を。スタートラインじゃないでしょうか」

M「良くも悪くもチャレンジしてた」


関学で過ごした4年間を振り返って

T「1年で入ったときに、関学ってAで強いチームなんやって入って。まわりが有名校の方ばっかりで、ビビりながら。

 それから始まって、このチームが同志社に勝つとか、関西で優勝するとか考えもしなかったし。リーグで勝ち越すのも、なぁ?」

M「4年間で部員の意識変わった」

T「それを一番感じた学年やと思う」

M「環境に恵まれたのもある。部もそうやし、部員ひとりひとりの環境も変わった」

T「パッ、って」

M「選手権でどこまで勝つかに変わったし。ちょうど移行期」


では最後に

M「オレは分析としてやってきてこの4人でやってて良かったなって思う。明治戦終わって、慎平に最初に握手しにいったもん。顔見て、『お疲れ』って言おう思った。あのメンバーで良かった!充実した半年やった」

T「増尾にそんな良いこと言われて。4人でちゃんと力合わせてここまでやってこれたし。どうこれを後輩たちが土台の上に続いていくか。

 将来にも良い経験なったかな。明治戦で予想超えることが起きるんやなってことも。まだまだ甘かった。今後に活かせると思います!」 


 分析スタッフ。関学において、そのポジションの役割は定まっていない。けれども、チームへの貢献は確かにそこにある。だからこそ、2人はまだまだ分析班という役職の発展を望む。そして、思いを後輩に託した。 

 作戦参謀の戦いは、始まったばかりだ。■

 

▲練習時には分析班が作り上げた資料

(取材/構成=朱紺番 坂口功将)


■増尾友甫(ますお ゆうすけ)/社会学部4年生/東海大仰星高/PR/179㌢、113㌔

■玉泉啓太(たまいずみ けいた)/社会学部4年生/芦屋高/SH/163㌢、74㌔


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