「小原組~ALL OUT~」
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『闘志静かに燃やして』
投稿日時:2010/02/12(金) 15:41
【シリーズ連載第3弾】
伝えたい人がいる。このシリーズ連載を考えたとき、真っ先に頭のなかに浮かんだのは彼だった。そして、その旨を部員たちに話したとき、「まさしく」「あいつこそ」という言葉が必ず上がった。今こそFL山本真慶(経4)にスポットライトを当ててみよう―。
【サポートプレー】
2009年の関学ラグビーは、ずばり『FWラグビー』に他ならない。平均体重100㌔前後の屈強な男たちが、ぐいぐいと前に出るもの。そして、そのアタック力は凄まじいものであった。そのなかで特に2列目より後ろにはタレントが揃った。リーグ戦チーム最多の11トライをあげたナンバー8大滝(社4)、たぐいまれなる突破力でインゴールを割るFL西川征(文4)、相手ディフェンスをもろともしない突進を見せるLO松川(経4)、そして主将のLO小原正(社4)。彼らの活躍には誰もがうなずく。しかし、彼らに続く「第5の男」というべきか、いや匹敵する存在というべきか。山本真慶、この男を忘れてはいけない。
「自分は目立つポジションじゃないから。チームにたくさんアタックが得意なやつがおって。そいつらを自由に動かせるように、しっかりボール出ししようと」
山本がレギュラーをはるFLは「タフな選手がする」ポジション。とにかく走る。時にアタックへ、時にディフェンスへ。ボールのあるところ、あらゆるシーンに姿を現す。そこでは相手とのコンタクトが常につきまとう。そのポジションを今シーズンのFLは攻撃面で西川が、その対極で山本が防御面を担った。それに加え、引き立て役に徹した。
持ち味であるコンタクトプレーとタックル。それらはトライという誰もが心を奮わせるプレーとはま逆のもの。だが一見目立たないワンプレーも、それなしにゲームがチームの思いどおりに進むことはなかった。
「トライを取ってくれる人たちに、いいサポートが出来るように。しっかりと裏方に回って仕事していきたい」
これが3年生次から山本が口にするFL論。ぶれることなく自分の役回りをこなす、この男まさに職人である。
【vs外国人】
その献身的なプレーが、ときにひときわ輝く。そのときばかりは、「引き立て」役がアル存在によって引き立てられる。そのアル存在とは―。
「ポジションもそうやろうし、自分のプレーの特徴もそうやし。対外国人の役割を任される」
そう話すとき、笑みがこぼれる。摂南大のイオンギ・シオエリ(トゥポ)や天理大のアイセア・ハベア(日本航空第二)に代表される、留学生ラガーマンが各大学の核となることが多く見られるようになった大学ラグビー界。むろん関学も彼らと対峙する機会が増えた。いかに彼らを自由にさせないか、抑えるかが重要になる。そこで登場するのが、山本というわけだ。
対外国人専用の職人芸が発揮されたのは、08年の摂南大戦。イオンギが迫力あるプレーで存在感を放っていたリーグ戦だ。そこで対峙することになった山本は、真っ向からイオンギにぶつかっていく。ハイパントをキャッチした瞬間に狙いすましたタックルをお見舞いし、相手の攻撃を封じこめた。
「倒したときは嬉かったです」
そのときの素直な感想。やがて翌年も、山本は再び彼らと相まみえることになる。
09年関西大学Aリーグ開幕戦の相手は一躍「優勝候補」とまで目されるようになった摂南大。そして、さらなるパワーアップを遂げた褐色のナンバー8が濃淡混じる青色のジャージを着て、そこに立っていた。
「今年はもっと止めてやろうと思ったけど…。さらに成長してて。子供扱いされた。これには勝てない、と」
そう試合を振り返る。最終的にはチーム一丸となって食い止め、逆転勝利をおさめた。対イオンギは1勝1敗といったところか。
さて、もう一人の留学生と相まみえたハイライトが今シーズンの彼にはある。関西2連覇がかかった天理大戦。ジュニアW杯日本代表にも選出されたアイセアが中心となってチームを扇動していた。その大一番では。
「ハベアくんを狙っていったという感じ。彼を止めることの意味は大きかった」
幾度となく防御網を破られそうになるが、CTB村本(文2)とともに食い止める。なかでも、味方が足元にタックルにいきアイセアが止まったところに、全身からぶつかっていく(左腕でかちあげる、ラリアットのようだった)シーンは、見る者を湧かせた。
「今日はバックローのディフェンスも良かった。特に山本真慶が」
関西2連覇を決めた試合後、萩井ヘッドコーチは名指しで彼を誉めたたえた。
その活躍ぶり、あえて暗躍ぶりと書こうか、山本の姿は職人肌と相まって『侍』に見えてくる。やはり自身も「外国人相手に燃えるタイプ」と自負している様子。学生ラグビー新時代を牽引(開国?)する留学生に正面から立ち向かう侍だ。
【言い切れること】
普段から物静か。口数はお世辞にも多い方ではない。けれども、内では燃えている。ラグビーと向き合っているときのこの男は熱い。
3年生次の夏合宿でAチームに昇格。そこからはひたすら「Aにとどまり続ける実力をつける努力」をしてきた。今季の体重増加計画の際には、とにかく走れる身体を作り上げるために、「(周りより数値が低い)こういう体重でいきたい」と監督に直訴。シーズンに合わせて、身体をしぼった。
「最後の年やし、この4回生で目標を達成したいと思った。一番気持ちが入って。全力で頑張った」
内なる闘志をプレーで存分に出し切り、ラストシーズンを戦いきった。だからこそ、引退した今はっきりと口にする。
「いっさい悔いはない」
それは他のどの言葉よりも熱っぽく発せられた。
スポットライトは当たっていなかったかもしれない。それでもみんなの心に刻まれている。FL山本真慶という名の熱き侍の姿を。■
(文=朱紺番 坂口功将)
■山本真慶(やまもと まさよし)/経済学部4年生/関西学院高等部/FL/170㌢、92㌔
—————————・—————————
シリーズ連載最終回となる次回は、「復活」をテーマに選手2人に迫ります。よろしくお願いします。朱紺番 坂口功将
『分析班のホンネ。』
投稿日時:2010/02/02(火) 23:58
【シリーズ連載第2弾】
チームの勝利を願うのは、メンバーなら誰しものこと。そのなかでもこの2人はとりわけ願っているのではないだろうか?分析班として関学ラグビーを最も見つめた、玉泉啓太(社4)と増尾友甫(社4)が、胸の内をとことん語ります。
―はじめに、分析スタッフの仕事とは
玉泉(以下、T)「まずは、増尾はFWやからラインアウトを。BKは対戦相手のラインアタックのサインとかディフェンスシステムとか、どんなアタックの傾向があるとかを。
そして最終的に、相手メンバーを予想する」
増尾(以下、M)「とりあえず、試合は見たよな(笑)」
T「具体的にはパソコン使って、試合を切り取って見ていく。で、選手に見せるために編集をする」
M「実際にやったのは半年。8月の終わり」
T「(就任は)春から決まってたんやけど。春から分析班おいたのは、おれらの代から。去年と形変えて、映像の編集するのもおれら、サイン調べるのもおれら」
M「実際は4人。FWは慎平(北野=商4=)とBKは崇志(畑中=社4=)がやって。ひとりひとりやとやりきれん部分あって…2人に助けられた部分ある」
T「見る視点も違ってくるから」
M「あの2人が手伝ってくれたのは大きい」
―さて試合中はどんなことを
M「試合中はグラウンド下りて、『サインプレーあったで』とか話あって」
T「増尾はウォーターしながら」
M「補助係で、ね」
―リーグ戦を振り返ってもらって
M「早かったよな―。試合終わり次第チェックしていって」
T「リーグ戦やと毎週続いたから。火曜日には見せなあかん。日曜日のゲームを月曜にやらなあかんくて、休みやったけど部室来たり」
M「各週、各週で。時間も無いし、ハードやった」
T「1日では終わらん」
M「半日の作業が何日もある感じ。練習終わって、部室こもっての繰り返し」
T「朝練して、ウエイトして、分析して、練習して…。そこが他の大学との違いで、関東なんかは分析スタッフだけ募集してたりするけど。プレーヤーやりながら、っていうのは…」
M「少ないと思う。全国的に見ても」
―その分析スタッフ。そもそも役職に就いた経緯は
T「オレの場合は何となく話してて。4年生のBKが6人しかいなくて、健太(田中=4=)、崇志、将(片岡=総4=)は幹部に決まってたところ、将から『けっこうラグビー見てるし』って。海外ラグビーとか、見てるのは他の人より多いと思ってたし、4年になって頑張りたいと思って」
M「オレは何でやろう…」
T「増尾は、誰よりもラグビー知ってる。PRやのに、BKのこういうアタックした方がいいとか、エリアとか」
M「エリア取らんかったら、しんどいのはFWやし。言わんかったら、がまんするだけやし。
あらためて、あの期間であれだけの試合を見たのははじめてやわ」
T「そもそも引継ぎが無いから。パソコンの使い方だけ聞いてて。ここをこうまとめて、とかも自分たちで考えてベース作ったから」
M「やのに、一発目が摂南やったのがきつかった!何してくるか分からんし、データ無いし。摂南は勝って良かったーって。天理はやってくれるって分かってたし」
T「摂南が一番難しかったよな。第1戦で、摂南はむっちゃ分析してきてたみたいやし」
―対するこちらは、菅平の偵察ビデオのみ?開幕戦はどういった対策を
2人「うん」
M「どのエリアでボール持つかくらい」
T「ナンバー8をどこで止める、とか」
M「ほんまこんな対策でエエんか、って(笑)」
―ちなみに分析班の目から見て、関西制覇は見えてた?
T「一戦一戦やっていくのが精一杯。勝っていかんと!って」
M「うん。天理のときも、試合終わったあとに、優勝や!って」
T「次当たるチームに最大限に尽くさんと。(分析の仕事自体)始めてやったから、先を見る余裕無かったし」
―優勝した後の、同志社大戦に関しては
T「最終戦やから…」
M「同志社戦に関しては、心配無かった」
T「データある、ってことに関してはね」
M「ゲームに関しては不安な面もあったけど、相手の良いとこを見ようとしてるから、余計に良く見えてまう」
T「相手のエエとこしか見ぃへんから」
M「ウチのウィークポイント取られたら、ヤバイでって。天理より同志社の方が、かな」
T「リーグの同志社戦ではケア出来んかった部分あったよな。それで選手権で戦うことなって、直して。橋野(SO=大工大高=)がこういうイメージで走ってくる、とか」
M「選手権の同志社の方がやりやすかった」
―選手権では対戦経験のない学校とも戦う可能性がある。関東勢に対しての対策はどうやって?
T「基本的には、関東と戦ってきた大学と協力して。ビデオ借りたり」
M「慶應にはけっこうお世話なった。この場をお借りして、慶應に感謝の意を」
2人「ありがとうございます」
―そして始まった選手権。2度目の対戦となったライバル・同志社大に勝ったわけだけど
M「なんだかんだで橋野皓介のチームってのがでかい。彼が何をしてくるのか、ていう。見てて面白いねんけど、やられるとイヤやね。パスキックも、全部出来るし」
T「プレーがしぼりきれない。サインでどうこう動いてくるチームじゃないし。橋野に合わせて自由にやるチームやから、説明しにくかった…」
M「とりあえず、見て!って。どう見てもFWで負ける気しんかったのはあるけど」
―部員たちに説明する、ミーティングではどんなことを?
T「プレゼンって言ったら、たいそうかも知れんけど。『相手がこうしてくるから、ディフェンスはケアしてください』って感じで言ったり…『キックをこう使ってくるから』とか、けっこう言ったかな。あと、ジョー(イオンギ・シオエリ=摂南大=)とか、キープレーヤーの話を」
M「ラインアウト…あらためて考えてみると、他にやり方あったかなって。結局、取れへんかったから…」
T「責任感じている?」
M「明治戦とか安定させてしまったし。ラインアウト取ってたら、勝ってたもん」
―いま話に挙がりました。ずばり分析スタッフから見た、明治大戦の敗因は
M「田村(SO=國學院栃木=)ちゃう?」
T「なめてたわけじゃないけど…そこまでポテンシャルあるんや!ってビックリした。『まさかそこまで』考えてなかったのが敗因」
M「ハーフタイムで玉(玉泉)の顔見て、うわっ動揺してるわって。あの顔は忘れられへん」
T「あそこまで外れたっていうね」
M「予想を超えるプレーをさせてしまった、っていうのもある」
T「ビデオ見る限りは…。ウチとの試合で、そこまで出るかっていう」
M「6番とか注目してなかったし」
T「そこは反省かな。予想を超えるとこまで分析しなあかんな、って。いまだに明治大戦のビデオは見てないもん。悔しすぎて。いつもは毎回、帰って即行見てんのに、ショックすぎて」
M「終わってから何回も考える。もうちょっと言っとけばなぁ、とか」
T「ウチはFWに自信あったから勝算はあった。アタックはあの試合見ても、いったら取れてたもんな。そこに至るまでにいかせてもらえんかった」
M「先制されて、けど大滝(社4)がすぐ取り返して。イケるやろ!って」
T「けど甘かったな…」
―ちなみに増尾は明治大戦のビデオは見た?
M「んー…まだ見てないと思う!終わってから見たんは、選手権の準決勝と決勝。ラグビーを見てないね―。ラグビーと距離置いてる気する。高校ラグビーも見てないし」
▲明治大戦。スタンドに増尾、グラウンドには玉泉の姿
―結局のところ、今年の『関学ラグビー』とはどういったものだったのか
M「オレはFW視点やから、『FW』って言ってしまう。どこがウリ、て聞かれたら『FW』。あんなデカいFWおったらイヤじゃない?(笑)」
T「みんな入ったときから別人のようになったもん」
M「でもオレらの学年、元々デカかったよな」
T「『FWの関学』って言われて、BKとしては肩身せまい…(笑)。
オレがハーフなのもあるけど、FW動かしたアッシー(芦田=人2=)の存在デカかった。この1年で成長したかなって。で、だいぶこのチームを成長させた」
M「同志社戦でのケガしたときは、ヤッバーって。それだけ、あいつはでかい。
チーム全体でいえば、ラインのなかでFWが絡んでくるのが多い。いい傾向やと思う」
T「それが通用したのは関西だけやったよな…。関東相手に、ウチの良さが出せんかった」
M「出せてたら通用するよ。関東のやつ言ってたで。あの松川ってやつ誰?って。
…でも色々考えるくない?もうやることないのに」
―考えたとき、改めて振り返って今年のチームの弱点とは
T「あくまで分析やから…」
M「グラウンドで相手と正対して違和感とかあっても分からんし。机の上でやったらナンボでもいえる。けどゲームでは何にもならん」
―分析スタッフという役職を振り返って。やりがいを感じるときは
T「勝ったときかな、まさしく」
M「そうよな。勝ったら、良かったなって思える」
T「安心っていうか。負けたときは『自分たちがあかんかった』って責任感じる。かといって、勝ったときに『オレらのおかげで』とは感じへん」
M「オレらはあくまで参考でしかないから」
―選手と分析の兼任、4年目は大変だった?
M「しんどかったけど、いまこうやって思い返したら、楽しいことしか思いうかばへんし。実際楽しかったな―。もう一回やれって言われたら、うーんって(笑)」
T「達成感はあるかな。やったなぁ、みたいな。春とか夏とかはジュニアの方を見てたし。やりきった。ほんまに後悔は明治戦だけ。
分析に関しては、指導してくれる人がおるわけやないし、分析の基礎が無かったから。それをつくるとこから始まった」
M「一発目のミートは、どぎまぎした。摂南戦前の9月の初仕事は」
T「急に萩井さんから『(相手チームの)あいつ、どんなプレーヤーや?』って聞かれたり。いつ、そんなんあるか分からんから大変。
アメリカン(フットボール部)とかスゴいよな。分析おって、あんだけミーティングして。あれが日本一目指すチームなんかなって思ったり」
M「あれぐらい相手を丸裸にしたら、どこまでイケるんやろな…。莫大な情報量なる思うわ」
T「オレら、全部手書きやで!」(分析で使用した資料ファイルを手に)
M「その方が楽やけど」
T「まさにアナログ」
―資料の数がすごい。ラインアウトなどは、だいたい1チームで何パターンくらい?
T「京産が多い!明治もそこそこや思う」
M「京産に関しては、この倍あってもおかしくないと思う」
―やはりデータは重要になってくる?
T「最後の天理、同志社で…。それまで天理が何トライ取ったのを時系列にくぎってて。それをグラフに出して、ばらつきを見たんよ。そしたら、トライ取れてない時間とかが浮かびあがって」
M「ウチは、時系列関係なく打ち合いになってたり」
T「で、こんなんをイメージとして。この時間帯強いよ、とか。誰に言われたわけじゃないけど、ちょっとの参考で準備して」
M「最初は自己満足やってけど、データ重ねたら」
T「なんだかんだで作業量はいっぱいいっぱい。けど、やりすぎることはないよな」
―分析スタッフという役職に思うことは
M「こうやっておけば、って反省を活かすためにも」
T「各学年から出てくれば。経験とか重ねていったら」
M「自分が下の学年やったら、面倒くさがる思うけど。今の学年のためになれると思ったら絶対やった方がいいと思う!」
T「昔はそんな考え無かったけど(笑)
オレらが作っていかなアカンからな―基盤を。スタートラインじゃないでしょうか」
M「良くも悪くもチャレンジしてた」
―関学で過ごした4年間を振り返って
T「1年で入ったときに、関学ってAで強いチームなんやって入って。まわりが有名校の方ばっかりで、ビビりながら。
それから始まって、このチームが同志社に勝つとか、関西で優勝するとか考えもしなかったし。リーグで勝ち越すのも、なぁ?」
M「4年間で部員の意識変わった」
T「それを一番感じた学年やと思う」
M「環境に恵まれたのもある。部もそうやし、部員ひとりひとりの環境も変わった」
T「パッ、って」
M「選手権でどこまで勝つかに変わったし。ちょうど移行期」
―では最後に
M「オレは分析としてやってきて…この4人でやってて良かったなって思う。明治戦終わって、慎平に最初に握手しにいったもん。顔見て、『お疲れ』って言おう思った。あのメンバーで良かった!充実した半年やった」
T「増尾にそんな良いこと言われて…。4人でちゃんと力合わせてここまでやってこれたし。どうこれを後輩たちが土台の上に続いていくか。
将来にも良い経験なったかな。明治戦で予想超えることが起きるんやなってことも。まだまだ甘かった…。今後に活かせると思います!」
分析スタッフ―。関学において、そのポジションの役割は定まっていない。けれども、チームへの貢献は確かにそこにある。だからこそ、2人はまだまだ分析班という役職の発展を望む。そして、思いを後輩に託した。
作戦参謀の戦いは、始まったばかりだ。■
▲練習時には分析班が作り上げた資料が
(取材/構成=朱紺番 坂口功将)
■増尾友甫(ますお ゆうすけ)/社会学部4年生/東海大仰星高/PR/179㌢、113㌔
■玉泉啓太(たまいずみ けいた)/社会学部4年生/芦屋高/SH/163㌢、74㌔
『最後の10分間。』
投稿日時:2010/01/26(火) 01:01
ずっとあこがれていた朱紺のジャージ。それを手にするまでの道のりは容易いものではなく、悩み、挫折に明け暮れたこともあった。しかし、最後の大舞台で男は目標にたどりついた。
【ヘッドコーチからの打診】
その知らせは突然だった。選手権が始まり、1回戦を突破した関学は1週間後に次の明治大戦を控えていた。ラグビー部では、試合が行われる週の初めに、ロースターが部内で発表される。それは決まって火曜日だ。その前日、畑中崇志(社4)のもとに一本の電話が入った。
「将(片岡=総4=)と隆太郎(岡本=社4=)と買い物してたときに、萩井さんから電話かかってきて。『CTBどない?』って」
ヘッドコーチからの突然の打診。畑中はもちろん「やれます」と応えたが、どこか安心するにいたらなかったという。リーグ戦の序盤、同じポジションのレギュラーたちが負傷したときがあった。本職はSOながら夏にはFBも兼任したりと幅を広めてきた畑中にとってメンバー入りのチャンスではあったが結局声はかからず。今回も確信は無かった。そして翌日、Aチーム入りメンバーの確定が記されたメールが回ってきた。
「言葉にできへんもんがこみあげてきて。4年間の思い、この1年間の思いが」
【目標を再確認した仲間の言葉】
これまでAチーム入りをはたしたことはある。だが、いずれも練習試合や定期戦でのこと。公式戦での出場は皆無だった。それどころか、大学4年間の大半を下位チームで過ごしてきた。
ラストイヤーの4年生次はBKリーダーに就任。だがレギュラー入りしている他のパートリーダーたちとは別に、畑中は昇格してもBチームどまりが現実だった。なかでも6月の関東遠征ではメンバーに選ばれず。
「あんときは自分がBKリーダーなんてやっててもエエんかなって」
夏の合宿ではDチームに落ちるまでになった。
一見すれば朱紺のジャージなど遠くはかない存在。それでもプレーを続けた畑中の胸中には、「Aチーム」という目標が常にあった。それはジュニアリーグが始まってからもあせることはなかった。
その畑中の思いを知る仲間たち、主将・小原(社4)や副将・片岡らはリーグ戦半ば、ジュニアリーグが閉幕したときにこう言ったという。
「崇志がファースト着れるように、勝ち続けるから」
Bチームとしての戦いが終わってもなお、仲間の言葉は畑中の背中を後押した。
「(リーグ戦を)頑張っている同期がいて、また自分の目標っていうか…目標を見直すことが出来た。切り替えができた」
そして、目標にたどり着いた。
.
▲明治大戦の試合前のアップ、感情があふれ出た。
【全国の舞台、男は涙した】
2009年12月27日、瑞穂ラグビー場。全国大学選手権2回戦。
前日にホテルで『21』番のファーストジャージを渡された男は、試合前のグラウンドで人目もはばからず涙していた。アップの際に選手と部員らが一丸となってタックルをぶつけあい、あふれる感情が涙となって出るのはいつもの光景。そのなかでも畑中の大粒の涙が光っていた。
ラストイヤーとなったこの1年間、畑中はダミー隊(タックルバック)の一員として出場メンバーに気合を入れてきた。そこにはやはり「メンバー側にいきたい」という気持ちがあった。
明治大戦のその瞬間、Aチームに入れたこと、そこにいたるまで戦ってくれた仲間への感謝、そして自分のタックルを受けてくれているダミー隊たちの気持ちがなだれ込んだのだ。あとはグラウンドで戦うだけだった。
「出れるもんなら早く出たかったし、早く過ぎたといえば早く過ぎた」
71分―。試合は雌雄が決しつつある状況のなか、畑中の名前が呼ばれた。ウォームアップを済ませ、ベンチへ足をむける。その姿に気付いたスタンドから声援が送られる。
「残された時間はちょっとしかないけど、やりきろう」
初めての大舞台。ボールに触ったのはわずか1回。持ち味であるタックルも、みまう機会さえ無く終わった。やがて訪れたチームの戦いの終えんをグラウンドで迎えた。
「今までジュニアで出てたときも、スタメンで最後まで、が多かって。リザーブでちょっとだけ出て、終わりをむかえたのは初めて。みんなの表情見て、終わりを実感した」
全国選手権2回戦後半71分から出場。それが畑中崇志の公式記録である。
▲ベンチからグラウンドへむかう
【完全燃焼】
「もうちょっと出たかったっていうのはあるけれど。でも、やりきった感はあるから」
引退してから1ヶ月たったいま、彼はそう振り返る。たったの10分間、けれどもその10分間へのプロセスで幾多の苦難を味わい、そのたびに仲間の大切さを身に染みこませてきた。
「自分がイヤになったり、悩んだり、苦しんだりもしたけど、そのたびにやってこれたのは同期に恵まれたから。励まし合って前に出れた。仲間のおかげで頑張れた」
そもそもラグビー部に入部を決めたのも高校時代に知り合った同年代の小島祥平(主務=文4=)に誘われて。その小島は畑中がAチーム入りした際、「これでディフェンスが出来るCTBが入った」と信頼を寄せていた。高校時代を不完全燃焼で終えたと話す畑中は、彼に声をかけられていなければくすぶり続けたままの学生生活を送っていたかもしれない。
目標だった朱紺のジャージにそでを通し、競技生活を締めくくった畑中。何よりもチームメイトへの感謝を胸にとめ、彼は燃え尽きたのであった。■
(文=朱紺番 坂口功将)
▲試合後、小島と抱き合った
■畑中崇志(はたなか たかし)/社会学部4年生/兵庫県立御影高/SO/172㌢、80㌔/今年度、BKリーダー。タックルとキックを持ち味にフィールドで躍動する。
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いつも小原組ブログをご覧いただき、ありがとうございます。今回、これまでスポットライトをあびることのなかったプレーヤーや部員たちの胸の内、そこにあったドラマを知ってもらいたい—という思いからシリーズ連載を始めました。その第1弾がこの畑中崇志くんの『最後の10分間』です。
連載とはいえ、数えるほどの回数の予定ではありますが、これからも本ブログを見ていただければ幸いです。よろしくお願いします。朱紺番 坂口功将
『朱紺スポーツ』vol.26
投稿日時:2009/12/29(火) 14:55
夢ついえる―。大学選手権2回戦で実現した念願の関東勢との対戦。しかし明大に大敗を喫する結果に。負ければ終わりの大舞台で、小原組の戦いが幕を閉じた。
▲ロッカールームは涙に暮れた
[今年の形貫く]
それはあまりにもあっけない結末だった。これに勝って国立へ、と息巻いて臨んだ2回戦。80分の戦いの末に、チームにふりかかったものは哀しみだった。
自分たちが信じたラグビーをどこまでも貫いた。出だしからFWで真正面からぶつかっていく。「FWは勝っとうやないかと思うくらい」と主将・小原(社4)。後半にはゴール前のセットプレーからFW陣で縦に押す、今年の形で連続トライを決めた。「モールはトライ取らせんかったし、逆にこっちは取ったし」。関学ラグビーを全国の舞台でも見せつけた。
関東勢と倒し、日本一になるために肉体改造を果たし構築したFWラグビー。けれども現実は、それだけでは勝てなかった。相手FWと繰り広げたブレイクダウンの激しさに手が出ず、かたやBK陣の精度の高いプレーに翻弄された。「FWもBKもすごいボールにからむのがうまい。ウチは出来なかった」。打倒関東として対戦を待ち望んでいた明大戦だったが完敗に終わり、その差をまざまざと痛感させられた。
[歴史的な1年]
夢はついえた。だがFWラグビーという今季の形で関西2連覇、対同志社大完全勝利と感動を起こしてきた小原組の闘姿は歴史に刻まれたことだろう。
【『朱紺スポーツ』vol.26】
[写真提供:関西学院大学体育会学生本部編集部『関学スポーツ』]
※選手権2回戦詳報『頂は、高く険しく。』もあわせてご覧下さい。なお、小原組の戦いは終わってしまいましたが、ブログの更新は続けたいと思いますので、もうしばらくおつきあいくだされば幸いです。よろしくお願いします。 朱紺番 坂口功将
『頂は、高く険しく。』
投稿日時:2009/12/29(火) 03:56
【[選手権2回戦詳報] 頂は、高く険しく。】
名前負けしたところから試合は始まった。今シーズン、チームは関東勢との練習試合をことごとく組んできたが明大とは出来ず。『FWが強い』『伝統校』というイメージしか持てなかった。そうして立ち上がりから相手ペースを許し前半で差をつけられる。
だが、このままでは終われない。FWに対しては手ごたえを掴んでいた。「自信持っていこう!」とハーフタイムで気合を入れなおす。「自分たちのペースに持っていけば点取れる」。まさに後半はそうなった。コート中央からでもモールで形を作り上げ、朱紺の重戦車がインゴールへ突進する。そうして後半5分にモールでのトライに成功すると、それに続くように前半途中から出場した小原渉(人2)がトライで続いた。追い上げムードのなかで躍動する闘士たちの姿は、関西を制したラグビーそのもの。追加点を取られても粘り強く取り返した。
しかし前半に大きく広げられた点差を埋めるまでには至らなかった。29-62の完敗。国立、そして日本一への夢はまたしても瑞穂の地でついえた。
試合後、ロッカールームには選手たちが嗚咽する音だけが流れた。互いに手をとりあい、抱き合い、最後の時間を過ごす。1年前も見た同じ光景。いつかここで違う表情が見られる日はくるだろうか―。
▲FWラグビーを貫いた
武器だったFWの威力は確認できた。だが何よりも、地力の差を見せつけられた。相手と違うかったのは「置かれている環境」。
東高西低の大学ラグビー界では公式戦をふくめ、普段からのラグビーそのものが違う。この日明らかだったブレイクダウンを制する激しさ、キックパスなどの状況に応じた展開力。組織的な面でも敵わない部分があった。「関西同士で切磋琢磨しないと。ブレイクダウンの激しさをひとり一人が意識して、それが普通になったら」と主将・小原は関西リーグのレベルアップを願った。
その事態を想定したうえでチームは積極的に関東勢の大学とのマッチアップを春から決行した。結果こそ奮わなかったものの、体重増加と肉体改造による接点の強さは自信となっていた。それが関西を制したFWラグビーへとつながった。
あとは場数を踏むだけだ。「関学って最近強くなったチーム。瑞穂来るのも2回目。明治は伝統校で戦い方を知ってる」(小原)。経験の差が浮き彫りになった、『関西王者・関学』の2年目の選手権だった。
負けた明大とは初対戦だったがそれも次につなげるしかない。「大学選手権でしかやれない相手。去年の法政、今年の明治と僕らの代でそれを2回経験できた。今年の敗戦は、先につなげられる敗戦です」とWTB長野は話した。そこには『3度目の正直』での国立行きをにらむ、来季の男の闘志があった。■
(文=朱紺番 坂口功将)
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