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『WEB MAGAZINE 朱紺番』 2013/5

浅井佑輝/水野俊輝『心技体、極まる。~ニュージーランド留学体験記~』

投稿日時:2013/05/22(水) 15:30

 己を高めるべく。導かれるがままに、二人は赤道をまたぎ、海を越え、だ円球の王国へと渡った。約2ヶ月間のラグビー留学を振り返ってもらった。

 

■浅井佑輝/水野俊輝『心技体、極まる。~ニュージーランド留学体験記~



<左>=浅井佑輝/<右>=水野俊輝
 

 年が明けてまもない時期だった。海外へのラグビー留学の声がかかったのは。行く先はニュージーランド、言うまでもない、だ円球の王国だ。


 2月上旬から3月いっぱいまでの約2ヶ月間の留学の機会に際して、マコーミックHCは「昨シーズン活躍した若手部員」を選定。HO浅井佑輝(商3)とCTB水野俊輝(人福3)※とがピックアップされた。

※学年は取材時点のもの。


 「全然考えてなかったんで。想像できなかったです、海外に行くのが」


 そう語る水野。関学高等部時代にオーストラリア遠征を経験したことはある。同じく高等部出身の浅井にとっては願ってもいないチャンスだった。


 「びっくりしたんですけど。その前からラグビー関係なく、海外に行ってみたいなって気持ちあったんで。試験前に電話かかってきて、即決で『僕は行きたいです』と」


 家族の快諾も後押しし、二人は留学を決めた。留学のプログラムは大きく分けて2つ。滞在中の二人をコーディネートするDods(ドッズィ)コーチが携わるクライストチャーチボーイズハイスクールの練習への参加、そして地元のクラブチームのゲームへの参加である。ホームステイ先は二人別々で、練習場所・試合会場で落ち合う形であった。


 王国の地に足を踏み入れたとき、二人は風土の違いを身に染みて感じたという。


浅井「着いたときにもう暑くて。街並みも違うし」

水野「人が全然密集してない。土地も広いから


 なによりもプレーする環境が日本とは別次元であった。ラグビーのために設けられたグラウンドの数。「『僕らが中高大でグラウンド1つでやってる』と話したら、Dodsが『本気? ありえない』って。むこうは高校だけで5面くらいあって、その横にサッカーとかクリケットのコートがある。それも全部芝生で」(浅井)


 環境の違いに驚きと羨望を抱きながら、トレーニングは始まった。現地ではラグビーのオフシーズンだったこともあって、全体練習よりも、スキルといった基礎的なメニューに、Dodsコーチのもとで取り組んだ。スキル面で習得したものとは。


水野「僕はパスですね。オーストラリアのときもそうだったんですけどこう、胸の下にテーブルがあると思って、その上で投げろ、って。言われることなく、NZではみんなやってて」


 加えて、ハイスクールの出身者である、小野晃征氏(サントリー)が偶然にも来訪していた。日本を代表するSOからもアドバイスをもらったという。


水野「取って、下をくぐらせる日本式のパスだと、疲れたらブレだす。横にスライドする感じでしっかり伸ばして投げろ、と。それが身についたのかもしれないですけど、むっちゃ放りやすくなりました」


 一方で浅井は、その基礎スキルにおける日本とのギャップに苦笑いを浮かべる。


浅井「技術を学んだというか難しいんです。オフロードパスとか、いまは普通にアンガスさんが来られてから練習もしていますけど、それが当たり前のように基礎スキルとして存在する。僕らの高校のときは、ありえなくて。『ボールは両手で持つ』って、ね。本場はこういう感じなのか、と」



 Dodsコーチによるスキルトレーニングと並行して、留学がスタートし1週間が過ぎた頃からはクラブチームにも参加した。こちらは2つのチームのゲームに加わる形。驚くことに、留学のプログラムに組み込まれているものではなく、自主的に飛び入りで参加するものであった。メンバー内が初対面同士でゲームに臨むことも茶飯事だったという。


 始めは週に1回のペースで、カンタベリー大学のソーシャルチーム(ラグビークラブ)か、クライストチャーチボーイズハイスクールのOBチーム(『ハイスクールオールドボーイズラグビークラブ』)のどちらかに通うことに。次第にオールドボーイズをメインとして参加するようになり、週3日になったときもあった。


 クラブチームは社会人で構成され、それでも大学進学ではなく高校卒業から就職したような同世代のプレーヤーが多く。そこでは、やはり海外留学で真っ先にぶち当たるであろう、コミュニケーションの壁にぶち当たった。


水野「始めの頃はそこまで複雑ではなかったんですけど、徐々にサインプレーとかしだしたら。そこでコミュニケーション取れなくて。落ち込みました」

浅井「僕はHOでラインアウトのサインが英語で言われる。しかも、ややこしくて(笑)。サイン以前に、リスニングの問題があって。そこは何とか乗り切りましたけど」


 言葉の問題が常につきまとうなかでの、ゲーム中のプレー。自分の意図していることを要求してみても通じないことは度々あった。コミュニケーションの大切さを思い知らされた。その折に、小野氏にアドバイスを求めてみたが、聞くに「ラグビー用語は無い」のだと返ってきたという。


「『詰めろ』とか、専門的な言葉は無くて。あるのは、チーム内で決められた掛け声。『サルト』『ペッパー』とか。ただ、それも言われて理解するしかなくて。時間かかりました」


 自身のパフォーマンスを発揮するまでの気苦労が伴った。けれども、オールドボーイズでのゲームにて二人はトライに絡む。参加した2試合のうち、2試合目。20分の4セットで行なわれたゲームで、浅井は70分間の出場を果たし、ゴール前まで走ってのアシストパスを放った。一方で水野もWTBのポジションに就き、2本のトライを決める活躍を見せた。


 コーチングを受け、スキルを磨き、実践のなかでゲーム感覚を養う。二人はそうした経験を血肉としながら、もう一つ、それらを取り込むためのも海外ならではの方法で強くさせた。ウエイトトレーニングである。「一番、それが充実していたかもしれないです」(水野)


 週3回、二人には専属のトレーナーが就きハイスクールの施設で励んだ。そのトレーニングは、まさに過酷なものだった。「そのトレーナーが追い込んでくるんです」と浅井は時折、ほおを引きつらせながら振り返る。


 「むこうは、日本のようにまるまる太るのではなく、筋肉の筋を出すように鍛える。動ける筋肉をつける」と話す水野は、食生活のバランスを保つのに苦労したそうだが、計ったところ80キロ近くへのボリュームアップを果たしたという。一方の浅井はというと「僕は、がっつり7キロ痩せました(笑)」


 ウエイトトレーニングの方法も日本とは異なり、短い時間のなかで濃い内容のメニューに取り組むもの。


浅井「日本だったらセット数と回数が決めれて、こなすんですけど。あっちは『いま出来る、マックス』な回数に取り組む」

水野「だいたい3回に分けてやるんですけど、まずはフォーム確認。次は6~8回くらいでシンドイかなっていうのを2セット目にやって。3セット目で限界まで追い込むんです」


 限界まで挑戦する、その引き出し方に二人は驚いた。週3回のトレーニングのなかで、それぞれ鍛えるパーツは異なり、そして週ごとに負荷は大きくなっていった。


浅井「強くなってる感はあったよね」

水野「うん。」


 留学の8週間において、最初に比べ、最後の方が数値は上がっていた。そのトレーニング方法を経験したことで、二人のウエイトへの意識も変わったという。帰国後も、追い込むスタイルや、力を引き出しやすい補助の必要性などを取り入れ、実行している。


浅井「むこうはタックルも上にぶち当たったり、持ち上げる力とかも必要になってくる。上半身を鍛えるトレーニングをしていて。ラグビーの仕方で鍛え方も違うんだなと思いました」



 

 環境や考え方の違い。それらは海外ではスタンダードの水準、ただ自分たちが触れたことがなかったということ。8週間にもわたったNZ留学を経て、心技体の全てが向上した。それが二人が得た収穫に他ならない。


水野「ラグビーするにあたって、固くなることが無くなりました。良い意味で楽というか固い意識は持たないようになった」

浅井「帰ってきてから、激しくやれているかなと」


 こうして始まった二人の関学3年目。NZでの経験を活かして、シーズンに臨んでいる。


 「活かさないと。そう(NZ留学組と)見られますから。頑張らないと!」(浅井)


 昨年ブレイクした二人が、彼らしか味わっていない経験をいかに己のものにして、プレーで見せてくれるか。今シーズンの見所がまた一つ、ここに増えた。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)



参考リンク
ニュージーランド短期留学制度のお知らせ
選手ブログ:浅井佑輝 

関西学院ラグビーカーニバル『深まる絆は、闘志の種に』

投稿日時:2013/05/11(土) 16:00

 その一日には、全てが詰まっている。新月旗のもとで、だ円球に興じる者たちの思いが。5月5日、関学第2フィールドは朱紺色に染まった。

 

■関西学院ラグビーカーニバル『深まる絆は、闘志の種に



 

 「レディース、アンド、ジェントルメン!ボーイズ、アンド、ガールズ!」


 マイクを握り、開会式の音頭を取った福本浩兵(平成15年卒)広報担当兼高等部コーチの大号令が響き渡る。


 5月5日、天候は快晴そのもの。甲山に臨む上ヶ原・関西学院大学第2フィールドは、大勢の人でにぎわっていた。主には体育会の学生たちが部活動に励むいつもの光景ではなく、文字どおり老若男女の面々がフィールドの内外を埋めている。


 今年で15回目をむかえた、『関西学院ラグビーカーニバル』。関学が主催するラグビーイベント。そこでは、下は地元のラグビースクールの少年たちから上は大学ラグビー部員の面々と、加えて、それを見守る保護者やかつてのOBもグラウンドを訪れる。まさに一家勢ぞろい、関学ファミリーが一堂に会するのだ。


 この日、開会式を終え、まずは末っ子のスクール生たちがプレーに興じた。ゲーム前には各チームそれぞれに、スクールのOBである大学生たちがつき、タックルバックを持ち、ちびっ子ラガーたちのタックルを受ける姿も見られた。

 

 昼からは次男坊高等部が京都成章高校を招いての試合を開催。現在の関学ラグビー部ではSH湯浅航平(人福4)をはじめ、PR安福明俊(教2)やSO宇都宮慎矢(社2)といった有力選手の出身校である。いずれは全国・花園の舞台であいまみえることに期待が高まる2校が対戦した。


 その試合は前半、京都成章高が自在に攻撃を展開し、点差をつける。ゲームキャプテンを務めたナンバー8飯田拓くん(3年生/関西学院中出身)が話すに「ゲームへの入り方が悪かった」。だが、この日はカーニバルだ。関学のホームグラウンドで行なわれる、関学が主役の祭典。「内容の良いゲームをしよう」。高等部はチーム内で意識を引き締め直し、ハーフタイムに円陣を組み、後半へ臨んだ。


 いつも念頭に置いているのは、2つ。チーム全員で点を取りにいくことと、ディフェンスで相手を0点に封じ込めること。


 そうして後半はFWを主体に攻撃を仕掛けていく。そのなかでも、飯田くんは「僕が前に行って、チームを引っ張れるように」とポジション柄求められる動きとキャプテンシーを発揮し、奮闘した。



 とき同じく、敵陣内でのプレーが多くなってきた関学高等部の様子を、眺める視線があった。この次に控える天理大学との招待試合にむけアップを始める長男大学ラグビー部。高等部出身であり、いまやチームの核となっているナンバー8徳永祥尭(商3)は、自分と同じポジションの後輩に注視していた。


 「ナンバー8の子がタッチ回数多くて、ボールもらうな、って。あんなに前に出る意識がある、上手いなと思って見ていました。ここぞの頑張りがすごいとも」


 先輩の目にとまるほどのハッスルプレーを、ゲームキャプテンは見せたが、追撃及ばず。高等部は1点差(28-29)で敗北した。「悔しいです。(相手は)強いなと。FWが強くて良いチームで、それにBKも良い選手が多い印象でした。


 ゲームの入り方が悪かったのと、ラインアウトのミスが修正しないといけなかった点が反省です」。飯田くんは悔しさをのぞかせながらも、はっきりとした口調で試合後の感想を述べた。


 次男坊が最後まで戦い抜いた。続くは祭りのトリを飾る、長男の出番。こちらも関西大学リーグ3連覇中の王者を相手に、手に汗をにぎる、しかしそれが喝采のガッツポーズへと変わる、応援する者の胸を熱くさせる戦いぶりを見せる。敵のテンポ良いアタックも粘り強いディフェンスで跳ね返すと、攻めてはFW陣が大きな塊となってゴールを陥れる。結果、24-12のダブルスコアで勝利を収めた。

 そんな兄貴の戦いを、こちらも声援を送りながら、目をこらして見ていた。「学べるとこは学んで、活かそうと。SHとFWの攻撃の仕方が勉強になりました」と飯田くん。そして彼もまた、同じポジションの先輩の姿に目を奪われていた。


 「ナンバー8の徳永さん。どういうふうにディフェンスにいくんやろう、と。中学の頃から憧れでした」


 学年としてはあいだに2年を挟んでいるため、直接の関わりはない。けれども、飯田くんが中等部にいた頃には、すでに徳永は超高校級のプレーヤーとして名を馳せていた。


 「直接は話ししたことはないので聞いてみたいです。デイフェンスのタイミングの取り方とか。もちろんオフェンスも」


 大学が白星でトリを飾ったこともあって、ラグビーカーニバルも盛況のうちに閉幕した。閉会式を終えてからのインタビューで、そう話した飯田くんに。ならば、と言うわけではないが、ファミリーが揃ったこのカーニバルを象徴する写真を撮るために、徳永との2ショットを願い出た。思いもよらぬ申し出に戸惑いの表情を見せたが、承諾してくれた。


 目に留まっていたという後輩が、こういうことを聞きたいと話していた。そう本人に投げかけると、「それだったら、僕なんかよりタケ(竹村俊太=LO/人福3=)とかに聞いた方が良いですよ!」と徳永。曰く、タックルよりもブレイクダウンといった、ボールのあるところに働きかける動きこそが自分のウリだと。それでも、後輩ナンバー8の印象で、最後にこう述べていた。


 「アップしながらだったので、彼のディフェンスがあまり見れなかったんですけど。ディフェンスが出来たら、相当良い選手だと思いますよ」


<徳永(左)と飯田くん(右)>

 ラグビーカーニバル。そこでは、世代を超えてラガーマンたちがだ円球を手に取り合う。ラグビーを始めたスタート地点でもある地元のラグビースクールへ、十数年の時をまたいで帰ることも出来る。宝塚ラグビースクール出身の徳永も、かつての指導者と話せる機会を嬉しく感じるという。


 そして、一つの看板もとい旗の下でプレーする学生たちがお互いの存在を認識できる場でも。練習場所こそ一緒であるが、試合を見るとなれば機会は限られる。高等部時代こそは一日がかりのイベントにくたびれていたと明かす徳永だが、いまは長男として襟を正す。


 「高等部からしても、大学の試合はなかなか生で見れないですから。お手本に。僕らを見て、ラグビーを続けるようと思える存在になろう、と。きれいに、正しいラグビーができるように心がけます」


 ファミリーと形容できるほどの、つながりを持つ関学だからこそ。魅力が引き立つイベントなのだ。自身6回目となる祭典を経て、飯田くんは話す。


 「こうして中高大が集まるのが、関学の良いところだと。カーニバルは、関学に入ってよかったと感じるとこです」


 この日、家族の絆はまた一つ深まったことだろう。そうして、まだまだ続くシーズンへむけお互いが、目標へむけ走り出す。


 2ショット撮影を終えたあとに、先輩が後輩に手を取って、かけた「頑張ってな」の一言が。これからの競技活動を後押しすることがあれば、それもまたカーニバルで得られる闘志の種になると思ってやまない。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)

森直哉/古城宙『チャンスを、掴め』

投稿日時:2013/05/03(金) 16:48

 春のオープン戦は、選手たちにとって絶好のアピールの機会である。新チームに変わり、ゆくゆくは秋のリーグ戦にむけ練り上げていく段階。そこで、めぐってきたチャンスをいかにものにできるか。戦いは、もう始まっている。

 

■森直哉/古城宙『チャンスを、掴め



<左>=古城宙/<右>=森直哉
 

 どれだけ意識してないように振る舞っても、にじみ出ていたのだろう。PR森直哉(文3)は試合前の様子を振り返る。


 「昨日の夜から緊張していて。ロッカールームに着いて、緊張していないようにしてたんですけど、まわりから『しすぎや』って。そう言われて、気が楽になりました」


 4月28日に花園ラグビー場で行われた第7回 関西ラグビーまつり。そのメインカードとして、関学は慶應大と対戦した。


 そのビックゲームで、森はAチームのリザーブに選出された。自身にとって、初めてのトップチーム入り。だが、緊張感があらゆる感情を上回っていた。


 同じくして、リザーブとして慶應大戦に臨んだのはLO古城宙(社3)。こちらはAチームとして2試合目。デビュー戦は1週間前の関関戦(4月21日。29-20で勝利)だった。そのときの出場時間は、わずか10分間。


 慶應大戦で、森、古城の2人は後半からの出場が命じられた。「もうちょい後からと思ったんですけどね。森君と一緒に『よし、いったろう』と。緊張は(笑)。良い感じで入れました」


 前半の40分を終え、14-12の接戦。タイトなゲーム展開が予想されるなか、2人の出番がやってきた。


 互いに、緊張はあった。森にとっては初めてのAチームでの出場、古城にとっては40分間という出場機会。だが、それもプレーのなかで次第に解けていった。鍵となったのは、自身が念頭におくタックル。森は一発目のタックルこそ、「飛んじゃいましたね」と返り討ちを喰らったが、前に出る姿勢は崩さず。まさにアタックルを実践し、本来の調子を取り戻した。「頭から体を当てに。僕が前で止めるつもりで。最初はフワフワしてたけど、タックル入れたところもあったので」


 古城も同様に強みのタックルをぶち当てていく。Aチームの試合はまだ2試合目。「テンポも違うし、パワーも」と話すが、臆することなく体を当てていき、「落ち着いてみたら、上のチームも怖くなくなっていた」と度胸を見せた。


 やがてゲームは取りつ取られつのシーソーゲームに。PGで点差を広げるも、2本のトライを許し、5点差をつけられる。試合時間も残すところ10分を切っていた。後半34分、関学にとって最後のワンチャンスが訪れる。敵陣深く、相手のペナルティでボールを獲得すると丁寧にボールを前に運んでいく。粘り強く攻める朱紺のジャージに対して、相手も前進を許すまいと必死に絡んでくる。ブレイクダウン、すなわち、ボール争奪局面が繰り広げられる。この場面、主将・畑中啓吾(商4)は話す。「ゴールまで、すぐのところ。けれど、取られていたら、おそらくトライまで一気につなげられていたと思います」。それほどまでのギリギリのアタックであったのだ。それでも、ボールを奪われなかったのは、チームが始動してから取り組んできた練習の賜物だろう。


 そうして相手ゴールラインを目前にして、真っ先にポイントへ集まるFW陣のなかで、FL丸山充(社4)がコールした。出されたサインは、古城へのもの。


 「オレか!って」と古城。粘り強く突き進んだ果てに、目の前のスペースが空いた。視界に広がるはインゴール。あとは、飛び込むだけだった。「そこだけを見ていました」。値千金の同点弾、それは彼にとって朱紺のジャージを着て決めた初のトライであった。



 同点トライを挙げた瞬間、古城は泣きそうになったといいう。けれども、試合時間は残っていた。主将がコンバージョンキックを成功させ、逆転。最後はWTB金尚浩(総3)が決定打となるトライを挙げ、慶應大に勝利した。「無事に終わって良かったです」と古城は安堵の表情を見せた。


 一方で、森はノーサイドの瞬間をむかえ、涙していた。「ゲーム終わった瞬間、泣いちゃいました。嬉しかった。勝てた嬉しさが」。彼のデビュー戦は、タフで劇的な展開で幕を閉じた。


 春のオープン戦、それもビックゲームにおいてAチーム入りを果たし、出場機会を得られたことは、彼らにとって大きな意味合いを持つ。


 レギュラーたちの怪我や代表への選出といった事情を背景に、古城にはチャンスが巡ってきている。「みんな応援してくれているんで。今年が勝負と思っている」と意気込む。彼にとってのモチベーションの一つに、出身校のアピールがあるという。県立芦屋高校出身の古城。「公立校なんでそれでもやれるということを見せつけてやりたい。テレビで名前の下に『県立芦屋』って出たいですね」


 森は、努力が実を結んだ形だ。「自分は誰よりも下手くそなんで。その気持ちでやってきて、人一倍練習してきた」。彼は大学進学にあたって浪人を経験している。関西制覇を遂げたときの関学ラグビー部をテレビで見て、強い憧れを持った。あえて1年間を勉学に費やし、関学へ入学、入部に至った苦労人である。そうして、このたび憧れのジャージの袖に腕を通した。今後にむけて「体づくりを人一倍、頑張ります」と力強く述べる。



 100人を超す大所帯の関学ラグビー部。チームとしての戦いはもちろん、その水面下で広げられるトップチームの座を巡っての競争は、毎年のことながら激しい。レギュラーへの道のりは部員それぞれで異なる。しかし、チャンスはどこで巡ってくるか分からないのも事実だ。そして、それをものにしてきた選手たちの姿もある。


 昨年の藤原組の主将は、公立校出身ながら、どのポジションでも戦いうるプレーセンスを見出され、やがてはレギュラーを掴んだ。いま1列目に君臨するHO浅井佑輝(商3)も好例だろう。彼も、それまではジュニアチームにいたが、怪我人で空いたポジションを埋めるために昨年末の大学選手権でトップチームに抜擢され、今日現在に至る。


 慶應大戦に出場した2人にとっても、絶好のアピール機会を得たとともに、同時にそれは競争の渦中にいることを意味する。


 朱紺のジャージを着てプレーした経験を糧にして。今こそ、チャンスを掴み取るときだ。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)

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