『WEB MAGAZINE 朱紺番』 2013/10
4回生特集『ラストスタンド 吉住直人/長澤輝/南祐貴etc』
投稿日時:2013/10/30(水) 12:00
リーグ戦も開幕し、シーズンの深まりを実感する時期になってきた。チームの戦いが佳境に入っていくなかで、彼らの存在がもたらすものは果てしなく大きい。ラストイヤーを闘う男たちの群像。
■4回生特集『ラストスタンド 吉住直人/長澤輝/南祐貴etc』
「一人じゃ無理ですよね…」
春シーズン半ば、大所帯のチームを率いることについて話が及んだときのことだ。主将・畑中啓吾(商4)は、そう吐露した。
この頃、チームは始動してから初の黒星を喫する(5月26日:33-35近大)など、また一つ壁に直面していた。毎週のように続いた連戦の疲労もあっただろう。主将は、インタビューで時折、曇った表情を見せていた。
組織を率いることの難しさ。それはトップに立つ者が一度は向き合わなければならない事項だ。そして、部員数が150人にも至るチーム事情がある関学ラグビー部ならではの負荷が、さらにのしかかってくる。実際、チームが始動してからも畑中はその難しさを十二分に実感してきていた。部員全員が一つのベクトルを持つことも、その一つ。「やっぱり…まだまだですね。伝えたいけど、伝わってない。4回生でミーティングしてるんですけど、どうやって伝えていこうかな、と」
そうして冒頭の台詞を口にし、こう続けた。
「仲間の力を借りないと」
つまりは、最高学年である同期たちの力が欲しい。部を率いるという責務を持った学年の。
そこでは、まずは4回生たちが真の一枚岩になることが必要だ。そうでなければ、下の学年たちに何も指し示せない。
春シーズンを終え、学生生活最後となる夏の菅平合宿で、畑中は同期たちに対して、あるアクションを起こした。合宿の初日に設けた学年ミーティングの場で、一冊の本からの引用した文面を人数分コピーし、チームメイトに配ったのである。
日本ラグビー界において名将の一人とうたわれる清宮克幸氏(現ヤマハ発動機ジュビロ監督)の著書から引っ張ってきたもの。それは『足掻き(あがき)』をテーマにした文面だった。
「オレらには足掻くことが足りてない、と。
1回生や2回生が試合に出てるなかで…下のチームにいる4回生が教えることも大事やけど、やっぱりそこで自分が後輩に負けられないという気持ちがあって当然だと思うんです。
僕も実際、剛毅(中井=経3=)や千里(日名子=経3=)がBKにいて、彼らが真剣にやっているから、自分も浮かれないように頑張れる。そうやって、もがいて足掻くことで周りが響くということを伝えました」
合宿初日のキャプテンの進言に、確かに同期たちは触発された。その“変化”に畑中も気付いたという。
「変わりましたね。練習も分かれてて、なかなか見る機会もなかったんですね。けど、Bスコッドの下級生たちと話してたら、『大城さん(圭右=経4=)良いですよ!』『山口さん(祐磨=法4=)すごいひたむきにやってますよ!』という声を聞いた。実際、試合を見てみても特に4回生が必死にやってて、良いなぁと思いましたね」
菅平高原から下山して、まもなく。合宿を良い雰囲気で乗り切れたことには「4回生が必死になって足掻いた結果が理由の一つ」と主将は振り返った。そう話したときの彼の表情には、数ヶ月前に見せた影など微塵もなかった。
足掻き―それは、いまある現実に抗うことを意味している。ただし人それぞれで抗い方は異なってくる。置かれた立場、抱く思いは様々だからだ。では、その4回生たちはどのような思いをラストイヤーに懸けているのだろうか。
季節も秋に移り、ジュニアリーグにAリーグとそれぞれが開幕しシーズンが本格化した頃。Bスコッドのみがグラウンドで練習に励むなか、ひときわ響く声があった。
「一本、一本、ちゃんとやろ!!」「精度、上げていこ!!」
声の主はSO吉住直人(人福4)。練習時間を問わず、グラウンドに立つ部員たちを声で扇動する。それは意識してやっているものだと彼は話す。
「声を出すという、一番簡単なことで、一番チームに影響が出ることをやろうかなと」
もとより彼は自身が置かれている状況には納得などしておらず、はっきりとそのことは口にした。だが、その気持ちを前置きにしたうえで、チームとの向き合い方を変化させた。きっかけとなったのは主将・畑中やOBの面々と話したとき。また、昨年の主将だった藤原慎介(商卒)から、もらった意見も響いたという。
「上のチームに上がりたい一心で、とりあえず自分のことを考えてやってた。けど、慎さん(藤原)の誕生日でメールしたときに…最近気にしてくれてたみたいでして。そこで言われたのが、チームのためにやってたら、おのずと自分のためになるし、それを見てもらえるんじゃないかということでした。それからチームが盛り上がることが、自分を盛り上げることにつながると」
Bスコッドを見渡したときに、Aスコッドとの違いは、声が自発的に出ているかどうかだと感じた。そこで吉住は、自身がその役を担うことにしたのである。チームのために、と。
とはいえ、トップチームへの思いは確固たるものとして彼の胸にある。
3年生次、春先からディフェンス力を買われAチーム入りを果たした。しかし手を骨折し、一時離脱。戻ってからAチームに身を置いていたものの、いまひとつパフォーマンスは上がらず。ディフェンスが悪くなったとまで評価が下されることもあり、結果としてシーズンを乗り切ることが出来なかった。
ただ、そこで手にしたジャージの感触は、彼の心に大きく刻まれた。
「中高とそんなに強い学校でもなかったですし、レギュラー争いをしたことなくて。当たり前のようにジャージを着れていた。けど大学に入って、自分の力で勝ち取った成果が、ファーストジャージなんだと初めて感じたんです。
一度着てしまったら、あの感触は忘れられない」
目を輝かせながら、朱紺色のジャージへの思いを馳せる。それはシーズンが始まっても、くすむことはない。
「正直、焦ってる部分はあります。でも、まだ終わってないですし、最後の最後まであきらめたくない。何が起こるか分からないし、まだまだ頑張り続けたいなと思います」
同じく、ファーストジャージへの思いを全面に押し出すメンバーがいる。FL長澤輝(社4)もその一人だ。
目下、レギュラー争いのフィールドは強力な顔ぶれを揃えるバックロー(6~8番)。そこで「狙うなら丸山のポジションです」と長澤は同学年の副将・丸山充(社4)をライバル視する。しかし自身のアピールが足りてないことを自覚するかたわら、ライバルとの差を語る。
「チーム内の存在感ですよね。常にAチームにいたという経験値からくる。去年の安田さん(安田尚矢=人福卒=)もそうでしたし、いま丸山がいたら安心するという空気がある。その立ち位置までに、自分がならないといけない」
レギュラー入りに迫った昨年はリーグ戦出場を果たしたものの、定着には至らず。今年の上半期も「A2(トップチームの一つ下のカテゴリー)に甘んじていた」。けれども、菅平合宿以降は本人が話すに、プレーの調子も良い。アピールの手を緩めるわけにはいかない。
そんな彼の、公式戦出場への意欲を掻き立てるものがある。それはキャンパスライフでの一コマ。長澤が所属するゼミには、アメリカンフットボール部のエースプレーヤーがいる。その彼は、自身が出場する試合を前に「ゲームを観にきて!」とゼミ仲間を誘うのだという。一方で長澤はというと、週末に公式戦を控えていたとしても、スターティングメンバーこそ週初めに発表されるが、リザーブはぎりぎりまで選定を待たねばならないのが常。なので「自分は、試合観にきて!っと言えないんで…」と苦笑いを浮かべる。スタメンの座を掴んだときこそ、声を大に出来るのだ。「観にきてくれや!!ってね」
むかえたラストイヤー、トップチームへの愛執は募るばかり。もっとも昨年も、懸ける思いは今日と変わりなく胸に秘めていた。
「3回生のときも、4年目のつもりで。これが最後かも、出れなかったら来年は無い、とにかく時間が惜しい、と思って過ごしてました。それこそ出場する1試合1試合がメモリアルなものだという気持ちで」
いよいよ残された時間が限られてくるなか、その気概は戦いに繰り出すに何より必要なものだ。それを形にするうえで、強みである運動量やタックルやブレイクダウンといった「FWの泥臭い部分」のプレーを発揮していく。その先に、自らが欲するものがある。
「Aチームで…出たいスね!」
自分がそれまでの3年間をいかに過ごしてきたか、そして4年目に臨むにあたって、いかなる姿勢を持っていたのか。確たる真理としてそこにあるのは、ラストイヤーゆえに芽生える気持ちがあるということ。
PR南祐貴(人福4)の場合は、副将という立場もあって、そのことをいっそうに実感している。
「自分は今までキャプテンとかやったことがなかったので。気持ちの部分で、自分を超えられるかを。自分のことだけでなく、チームを引っ張って、押し上げられるかが大事になってくる」
そして、4年目に挑むにあたっての極意を口にした。
「みんな以上やって、当たり前の状況だと。それが自分にとっては初めてであり、違和感もあったり。けど、今までの自分とは違う場所に立っているんだなって感じています」
チームの幹である4回生とは、特別な存在なのである。それは実際になってみて思い知らされることでもあるし、覚悟しておかなければならないことでもあるのだ。
主将・畑中は前述の著書を引き合いに、チームメイトへの期待を込めて、こう話す。
「4回生は指一つでも、相手のスパイクに引っ掛けて、相手を止める。なぜなら、4回生には後が無いから。そういうものなんだと」
関西大学Aリーグも半分を経過し、ジュニアリーグも佳境を迎えている。畑中組のシーズンも、いよいよのところまできた。
そして、4回生たちはなおも、己の戦いに身を投じている。そこでも、やはり彼らの姿は千差万別だ。
長澤の最大の敵でもあるFL丸山は、身体を負傷しながらも気迫ではね返し、試合に挑んでいる。一本の指は曲がったまま(シーズンオフに手術予定)、けれども治療よりも先にプレーを選んでいる。
南、丸山に続くもう一人の副将であるSH湯浅航平(人福4)は後輩プレーヤーにスタメンこそ譲っているが、出番となればピッチを駆け回る。積極的に仕掛けていく場面も多く見られ、先のリーグ第4戦では相手選手が試合中に大声で周りの選手に警戒を呼びかけたほどの存在感を放っている。
その試合では、CTB古橋啓太(商4)も念願のトップチーム入りを果たし、出場機会も得ている。また、司令塔であるSOには平山健太郎(社4)が就き、キックを中心にエリアマネージメントで大きく貢献をしていた。
チームの代表として戦う23人に4回生が増えてきている。その事実に畑中も喜びを隠せない。
「いち4回生の選手として、やっぱり試合に出て欲しい。同じ学年の選手が出てくれたら、嬉しくなりますね!
4回生の意地があると思いますし、特別な思いや執念が、足掻きがあると」
もちろん、試合前のアップから入場時の花道、試合中の応援まで、出場メンバーを支え鼓舞する4回生たちの存在もあってこそ。チームの為に彼らが移す行動の一つひとつが、チームにパワーをもたらす。
そこで自分の置かれた状況がいかなるものであっても。南はこう話した。
「グラウンドに出たら全力を出すけれど、最終的な結果として出たものが自分の納得できるとこまでに至ったら。Aチームで出たいですけど、たとえジュニアで終わったとしても、そこで自分が納得できる最高のパフォーマンスを出しきることが大事だと思います」
畑中組の真価。ラストイヤーに懸ける男たちの“足掻き”が、その一端を担っている。戦いは、まだまだ終わらない。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
関連リンク
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▶畑中崇志『最後の10分間』
▶重田翔太『臨戦態勢、完了』
金寛泰『最前線への帰還』
投稿日時:2013/10/23(水) 01:58
急展開。おおよそ1年間のブランクを経ている。にも関わらず、あふれんばかりの闘志が彼を突き動かしていた。PR金寛泰(人福3)が、帰ってきた。
■金寛泰『最前線への帰還』
その日は、申し分ないほどの快晴だった。10月13日、関西大学Aリーグ第2節。関大との試合会場には、収容人数3万人を構える近鉄花園ラグビー場の得点掲示板の裏手にある、第2グラウンドが用意されていた。となると、必然としてアップ会場は、そのまた横にある練習グラウンドになる。
各大学に割り当てられたロッカールームは花園ラグビー場のスタンド内。試合開始を1時間前に控え、選手たちはスタンドの通用口から、第2グラウンドを横切り、アップ会場へと向かった。
絶好のゲーム日和ともいえる青空の下、その道中で金寛泰(キム・ガンテ)はこう口にした。
「試合勘がどうか…それは数をこなさないとダメなんで。でも出るからには、いきます!
自分のなかでも、今週復帰するイメージはあったけど、まさかでした。嬉しい誤算です」
静かな口調は落ち着きの表れか、それでもどこか緊張感と高揚感を漂わせ、彼は練習グラウンドの芝生に足を踏み入れた。
スクラムの最前列・フロントローの住人として、関学ラグビー部に早くから定住した。1年目からレギュラー入りを果たすと、大学2年生次の春シーズンにはU20日本代表に召集される。
むかえた昨年のリーグ戦では、開幕直前に目の近くに裂傷を負い、8針を縫う事態に。その影響からくるプレー精度のズレも次第に修正し、リーグ戦を不動のHOとして乗り切った。
だが、年も暮れに差し掛かり、いよいよ戦いの舞台が全国へと移る最中、彼は足を負傷し戦列からの離脱を余儀なくされる。大学選手権ではベンチ入りはもとより、観客席からチームの戦いを見ることになった。
「選手権に自分の名前は無くて…リーグ戦から通じて初めてスタンドから観戦した。何ともいえない悔しさがありました」
そんな気持ちを抱いて終わった2年目。まずは復帰することから金寛泰は3年目に臨んだ。そうして春先には怪我を乗り越え、戻ってきた彼の姿があった。しかし―。
一難去って、また一難。4月10日の練習時、今度は腕の負傷に見舞われる。練習の輪から外れ、スタッフに処置を施されるや、地面に座り込む。ほおをつたうは涙。何よりも本人の表情が、深刻さを物語る。それは、チームに合流してわずか3日ほどでの悲劇だった。
いっこうに迎えることの出来ない3年目のシーズン。己への悔恨の情は頂点に達していたことだろう。けれども、彼はその現実に正面から向き合う。「悔しいと思うだけで終わったらアカンと」
復帰を誓い、リハビリに挑む日々。そこでは、自分自身をも見つめ直した。以前は100キロを越していた体重も10キロ減らすことに成功。食事制限と有酸素運動で身体を絞り、そこにウエイトトレーニングを課し肉体改造を施した。
「去年のビデオを見ていると、体のキレが足りなくて。それと、怪我をするということは、どこかに原因があるのだと。もう一度、体を作り直そうと思いました」
そう、これが金寛泰である。置かれた状況が過酷なものでも、そこから立ち上がる過程で、さらなる成長曲線に自身を乗せる。不撓不屈のファイティングスピリット。
昨年のリーグ戦を迎えるにあたっても、そうだった。公式戦を控えた1ヶ月間、前述の目の怪我とは別で、肩を痛めた。3週間ほどチームを離れ、自身のパフォーマンスは到底満足できるものではなかった。そのような状況に「こんなんじゃAチームに選ばれない!」と自らを発奮させ、果たしてチーム復帰とともにレギュラーの座を掴み取った過去がある。
2年生次の足の怪我から実に11ヶ月。味わった逆境を跳ねのけ、いよいよチームに復帰するときがきた。すでに2013年も10月に入っていた。シーズン本番であるリーグ戦も、幕を開けていた。
復帰してまもなく、実戦に繰り出したのは10月12日のジュニアリーグ対関大戦。そこでは後半から出場するものの「全然だめでした」と苦笑いを浮かべるほどのプレーに終わった。しかし、トップチームは急を要していた。レギュラー入りを果たしていた1回生の野宇倖輔(経)のコンディションがどうやら芳しくない。ではリザーブを誰にするか。チームが出した答えは、復活したばかりの金寛泰だった。
「いまのチーム状況からして、3番でいく覚悟はしてましたし…出るからには責任が伴うんで。時間が無かったとか言い訳にしてたらダメだと思ったんで。今できる準備を、最大限にしました」
翌日のリーグ第2戦。『18』番の朱紺のジャージを身につけ、試合前のロッカールームで金寛泰は己の気持ちの高ぶりをはっきりと感じていたという。長らく離れていた戦場に、ようやく戻ってこれた。その舞台がいきなり、文字通りの最前線だったことは想定外ではあったが。
けれども、それすら―彼にとっては「嬉しい誤算」以外の何物でもなかったのである。
出番は早々にやってきた。前半も残すところワンプレーとなったところ、スクラムの場面でお呼びがかかった。その姿に、歓声が沸きあがる。
予定通りに3番・野宇と交代。カムバックして、最初のプレーがスクラムだった。互いのFWが真っ向からぶち当たる、最前線に投入された。
「今週、色々組んでて。外から井之上(亮=社3=)や南さん(祐貴=人福4=)、大城さん(圭右=経4=)からスクラムに関してコメントしてもらって。ずっとそこを意識してやってきたんで、怖さはなかったです」
おおよそ1年間ぶりの公式戦のピッチ。遠ざかっていたからこそ「ディフェンスの勘も鈍ってるし」と当然にプレー面で不安はあった。が、徐々に感覚を取り戻していく。
一発目のスクラムも、負傷していた腕はバインド(掴む動作)に大きく影響してくる部分であった。それも「気合で!」乗り越えた。
40分と少しのプレー時間。チームのリーグ戦初白星の瞬間を、プレーヤーとしてピッチ上でむかえた。
「やっと戻ってこれました。グラウンドに立てて、また、みんなとも啓吾さん(WTB畑中=商4=)ともファーストジャージ着て、勝てたことは素直に嬉しいです」
復帰できたことに、チームの勝利が加味され、試合後、金寛泰は満面の笑みを浮かべた。
この場所に帰ってくることを思い描いてきた。そこに至るまでの道のりで幾度とどん底に突き落とされようとも、負けることなく前進した。絶えることのないその闘志は、復帰を果たしても、まだ彼を押し上げる。
「まだまだパフォーマンス的にも上げられると思いますし、ここで満足してたら…もう時間も無いんでね。ここから、自分のパフォーマンスもそうですし、関学というチームが勝てるように自分がどうしなけらばならないかを考えたいですね!」
闘志を爆発させる姿は、これからフィールドで何度も見られることだろう。金寛泰の3年目のシーズンは今ここに、開幕した。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
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▶金寛泰プロフィール
観戦記『この1勝にFOCUSを当てて』
投稿日時:2013/10/16(水) 12:00
苦杯をなめたリーグ開幕戦から2週間。彼らは再度、自分たちを見つめ直した。そうして挑んだ第2戦、掴んだ初勝利で見せた畑中組の真の姿。
■観戦記『この1勝にFOCUSを当てて』
赤鬼が、ほえた。
「ディフェンス! これで満足しちゃダメね!
オフェンス! ミス、ノックオンが無ければ、こんな点じゃない!」
これからの後半40分にむけ、ピッチへ繰り出す23人の輪のなかでアンドリュー・マコーミックHCが、げきを飛ばす。
「いきましょう!!」
指揮官に鼓舞された選手たちは高らかに声を上げ、グラウンドへ向かった。
10月13日、関西大学Aリーグ第2戦。ハーフタイムにおけるチームトークの場で、畑中組は熱を帯びていた。それでも―
前半を終え、スコアは19-0とリードしている。それでも「まだセーフティ(=安全圏)ちゃうからな!」とチームに寄り添う山内健士郎(教4)が語りかける。「ここからね。0-0で」とCTB 鳥飼誠(人福2)が引き締める。こうも冷静にあろうとした理由。意識下には、きっとあったことだろう。後半開始早々の“魔の時間帯”がもたらした、あの苦い記憶が。
しかし、そうではなかった。彼らは、ただひたすらに、この試合で勝利することだけを見つめ、闘志を燃やしていたのだ。
2週間前、9月29日のリーグ開幕戦にて畑中組は黒星を喫した。
京産大を相手に前半2トライを奪ったものの、どこか掴めない流れ。それもそのはず、セットプレーを含め、パスワークも乱れるなど、ミスを連発していた。前半で相手の京産大に許した失点がPGの2本だったことからも数字上で伺える。
むかえた後半。京産大FBの動きに翻弄されるなどして、防御網を打ち破られる。ものの10分ほどの間に2本のトライを取られ、逆転を許してしまう。「ディフェンスで人数を余られたシチュエーションは無かったけど…一瞬の隙をつかれた」とCTB水野俊輝(人福3)は唇を噛みしめた。
転じて攻撃では、こちらが人数で優位になる場面もあったが、そこでパスミスを犯し結局はターンオーバーを許すことの繰り返し。ブレイクダウンでも、相手のプレッシャーをはね返すことが出来ず、終始劣勢のまま時計の針は過ぎていった。結果、19-30という完敗。まるで、そのフィールドに朱紺のジャージなど無かったかのような錯覚をも覚えさせる敗戦であった。
開幕戦を落としたという、覆らない事実。そこでは自分たちのラグビーを微塵も見せることが出来なかった。猛省と危機感を抱いたリーダーたちは、試合後すぐに意見を交じ合わせた。主将・畑中啓吾(商4)は振り返る。
「すぐに話し合って、月曜日には試合に出た23人を集めてミーティングを。負けは負けなんで、引きずってても仕方がないと。切り替えることを早めにしました」
浮き出た課題に正面から向き合い、修正を施す。当然のことではあるが、戦いの本番が始まった以上、他に手立てはない。
京産大戦、グラウンドレベルでいえば、チームとして『なすべきこと』を皆が共有できていなかった。「チームとして、どうするかを統一できず、迷う場面があった」とはSH徳田健太(商2)の分析だ。
現に、試合に臨むにあたり「関学らしい試合が出来なくなったときは、自分たちの強みであるディフェンスに返ろう」と主将はメンバーに説いていた。しかし、漠然としていたが故に混乱を招くことに。「ディフェンスなら、いくら選手が固くなって発揮できると。固くならないのが一番ですけど」と話していた主将の想定が悪しくも現実となったのだ。それは、オフェンスでも同じだった。
そして、もう一つはチームとして戦いに挑む姿勢そのものに盲点があった。主将は語る。「京産大だけを見れてなかった。もちろん日本一という目標は持っておかないとだめですけど…目先の相手を見れてなかった」
目の前にある一つの勝利を重ねていく先に、目指す頂がある。いよいよリーグ戦が幕を開けたことへの高揚感が、いっそうにチームを浮き足立たせ、その普遍の定理を隅に追いやってしまったのだった。
畑中組として、前に進むために余儀なくされた再スタート。ここでチームを後押しするシチュエーションが待ち構えていた。次の試合までの期間は2週間。そのなかで設けられた全てのカテゴリーの対外試合の相手が関大だったのである。つまりはトップチームがリーグ第2戦で戦う相手。再出発のキーワードは決まった。『全員で関大に勝ちにいこう』と。
そうして中の週で行なわれたDチームの勝利(50-7)を発端に、コルツ(57-17)、ジュニアチーム(52-17)と快勝を収めていく。あとはAチームが関大からリーグ初勝利をもぎ取るのみ。まさにチーム一丸となり、聖地・花園ラグビー場へと乗り込んだ。
試合開始を1時間後に控え、アップに励む選手たち。その様子を見ながら、野中孝介監督は口にした。
「やることをやる。一戦一戦、目の前のゲームを勝つだけだよ」
ホイッスルが鳴り響き、試合開始が告げられる。さっそく得点のチャンスを掴んだのは、関大だった。関学の反則を受け、PGを選択する。が、ボールはポストを外れた。
互いにミスは目立っていた。ゆえの均衡、決め手に欠く立ち上がり。しかし朱紺のジャージは次第に、本来の動きを取り戻していく。それは前節では見られなかった、ゲーム内での整頓作業。
「焦らず、しっかりと敵陣に入って。ディフェンスも修正できていて…みんな早くセットして整備できていました」(畑中)
自分たちのスタイルをいま一度フィールドで発揮する。ディフェンスからゲームを作っていくことを。加えてセットプレーで優位に立てたことも、流れを引き寄せた。前半8分、相手スクラムでボールを奪取することに成功。相手ゴール前でのラインアウトからSH徳田が先制トライを挙げた。
FWを中心にリードを奪った前半。けれどもマコーミックHCがメンバーに喝を入れたように、決して納得のいくスコアではなかった。徳田は話す。「もっとトライを取れるところもあった。そこは精度高めていかないと」
ただ、試合を通じて、自分たちのラグビーを遂行できつつあったのも事実。だからこそ、ハーフタイムでチームは再度、冷静に確認しあったのだ。いま倒そうとしている相手は関大、そして、勝つ為に自分たちは何をすべきか、を。
この2週間、リスタートを切ったチームは対戦する関大だけを捉え、準備を重ねた。ビデオで対策を練り、相手の持ち味である部分に心した。対して、フィールドで繰り出すラグビーを明確にした。「早い段階から意識統一した」と徳田は振り返る。
残された40分間。開始のキックオフで畑中がボールを外に蹴り出してしまうミスを犯し、果てはトライを許すなど嫌な立ち上がりとなった。それでも、この日のチームは冷静さを失うことは無かった。それは意識統一の賜物だろう。そうして、ボールを持つ時間帯が増えていくにつれ、しっかりと準備してきたことを形にしていく。
オフェンスでは、フェイズを重ね前進を図る。ポジション問わず全員が走り、ピッチの横幅を最大限に使ってボールをつなぐ。前半はポロポロと見られた手痛いミスも影を潜め、そうなれば必然として相手ゴールを陥れることにつながる。後半40分間でコンスタントに5本のトライを積み重ね、やがてノーサイド。最終スコアは54-5の完勝だった。
こうして掴んだリーグ戦初勝利。主将は安堵の表情を浮かべた。
「ミス無く、しっかりとしたプレーをすれば、良いゲームが出来る。あらためて実感しました。準備してきたことが、今日は出せて良かったと思います」
チームとしても、自分たちのラグビーを発揮したうえで白星という結果を生んだことは、自信にもつながっただろう。継続してフェイズを重ねればトライに結びつくこと、早くセットすればディフェンスから前に上がれること。
むろん反省点はある。ミスやペナルティで自らチャンスを潰す場面はこの試合でも幾度とあった。「立ち上がり悪かったですしね…。挙げたら、きりがない。そこは認めて、修正して」と主将は省みた。
だが、何よりも畑中組が最も大事なことに気付いたのが関大戦での収穫だ。それは、準備の大切さ。相手を見据え、気構えを整え、試合に臨む。目先の1勝に狙いを定め、自分たちのプレーを発揮するべく意識を一つにすること。
なんてことはない、今年の関学ラグビー部・畑中組のスローガンそのものであったのだ。
リーグ開幕戦にて味わった挫折と、そこから転じて導き出した解。
一戦必勝。これこそが、『FOCUS』を掲げた畑中組のラグビーの真髄だったわけである。
試合後に主将は述べた。「未来にむかって出来ることは準備しかないんで。良い準備をして、次に臨んでいきたいですね!」
この先も戦いは続く。次なる相手に照準を合わせ、そこでも我らのラグビーを見せるとしよう。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
関連リンク:インサイドレポート「冷静と情熱のあいだ。」
畑中啓吾&進吾『ツインズ、珠玉の兄弟ゲンカ THE FINAL』
投稿日時:2013/10/10(木) 00:55
聖地を駆け抜けた双星は、それぞれの描く線に沿って二つに分かれ、やがて二度三度とぶつかりあった。そうして最後の激突のときが、いま訪れる。
なんて、漫画のようなストーリー展開に周囲は胸を躍らせる。一方、そんな喧騒もよそに当の本人たちは…。
<学年表記は2013年現在のもの>
■畑中啓吾&進吾『ツインズ、珠玉の兄弟ゲンカ THE FINAL』
その日ばかりは、普段とはうってかわって、ギクシャクとした空気が流れてしまうのだという。
はっきりと分けられる勝者と敗者。勝負の世界では常だ。けれどもラグビーという競技だけは、その線引きを踏まえたうえで、戦いが終われば肩を組み合い、杯を交わす。それを『ノーサイドの精神』と人は言う。
しかし、常に衣食住を一緒に、ましてや生まれてこのかた人生をともに歩んできたもの同士にとっては、そんな精神も吹き飛んでしまう。勝利した側は喜びにドヤ顔を見せ、敗北した側はフテ寝で部屋にこもる。それが、この3年間で三度、畑中家において見られた光景である。
「(試合の)前日は若干、ピリピリしてた。勝負やから。絶対どっちかが勝つっていうね」
そう明かすのは、畑中康佑(関西学院大学商学部卒)。長兄そして先輩として“彼ら”を見守ってきた存在。「どっちに対しても厳しく。ほめることはないっス」と断言するからに、見守るという表現は似合わなくとも、実は、この男がもっとも楽しんでいるのではと勘ぐりたくなる。
かつては兄である彼自身も加わっていた。兄弟対決と言えば少なくはないが、それが『双子による』ものであればどうだろう。畑中家で繰り広げられるのは、そんな滅多に見られないバトル。主人公は二人の、双子の弟。そう、『畑中ツインズ』である。
左:畑中啓吾 右:畑中進吾
平成3年5月24日。畑中家に、2つの命が誕生した。母親のお腹のなかで、よく動いていた方を“進む”意味合いから『進吾』と、どちらかといえばジッとしていた方を“考えて”動くようにと『啓吾』とそれぞれ名づけられた。双子の兄弟、厳密にいえば20分ほど先に産まれた『啓吾』が兄に当たるのだとか。
二人は物心ついた頃には、だ円球を手にとっていた。というのも、先がけること2年。兄である康佑がラグビーをしていたのだ。本人曰く、「野球で甲子園を目指したかった」そうだが、彼が小学校3年生のときにラグビーをやるよう親に言われて始めた。そのご両親はラグビーに関して未経験者だったというから、運命の歯車はどこでどう回るか分からないものである。
そうして兄の先導もあって、小学校2年生になった啓吾と進吾の二人はラグビーに興じ始める。幼少期は堺ラグビースクールに通った。中学生時代も同じくスクールには在籍していたものの、学校にラグビー部はなかった。
大阪市と違い、堺市はラグビーはそれほど普及していない。偶然にも、二人が中学生になったと同じ時期に、金岡北中学校に市内初となるラグビー部が創設され、小阪中(東大阪市)を近畿の頂点に導いたという先生が指導者として赴任した。
そこで二人は金岡北中学校に通うことを決断する。自転車で片道1時間ほど。授業終わりに駆けつけ、練習に参加する日々。いわば武者修行に打って出たというわけだ。その金岡北中ラグビー部にて指導者から薫陶を授かり、二人はメキメキと上達していく。さすがに在校生ではないので、公式戦に出ることはなかったが。
「良い経験になりました。そこで体の作り方やラグビーの仕方も学びました」と話すは啓吾。いまも大学の朝練には日が昇る頃に通学しているが、そんな過酷さもこの時代に経験済み。夏休みなどは朝一番に兄弟揃って、家を出発していた。そこから「練習して、熱中症予防で9時には切り上げて。昼寝の時間があったり、夏休みの宿題をする勉強の時間も取られて…昼にはプールリカバリーも。プールでラグビーをしたりして、結局はトレーニングなんですけどね。朝5時に出て、帰ってくるのが7時くらいでした」。真夏の思い出を、進吾は懐かしそうに振り返った。
二人は明言する。中学生時代そして高校と過ごした6年という歳月が、自分たちのラグビー人生において大きな意味を持つ時期であったと。
そうして中学からの進学。前を行く兄・康佑の影響もあり、二人は大阪のラグビー強豪校の一角・東海大仰星高校の門を叩く。後に『畑中ツインズ』として花園を沸かすことになる高校生ラガーマンの出発地点である。
さて、ともにだ円球を追いかける日々を過ごしてきたわけだが、二人のポジションは別々。進吾は主にCTB、啓吾はWTB(かつてはSH)。13番に14番と、背番号が並ぶことも少なくない。
高校時代、彼ら二人は同じタイミングでレギュラー入りを果たした。ピッチで繰り出されたのは、ツインズならではの…と思いきや、本人たちは話す。「阿吽の呼吸なんて言われてましたけど、したことないなぁ、って」と啓吾が言えば、進吾も「普通のパスですよ」ときっぱり。横並びのポジション、血の通った兄弟。しかしフィールドでは、チームメイト同士の至極普通のパスワークだったのである。
それでも、周囲はチームをリードする二人にスポットライトを当てた。全国大会の予選・大阪府決勝では勝利し、『恐怖の双子、現る』なんて見出しがメディアに出た。「僕、そのときインフルエンザかかってて…全然だったんですけどね」と啓吾。
冬の花園では、東海大仰星高として数年ぶりの初戦突破を果たした。その試合で一つ目のトライを挙げたのが進吾、それに啓吾も続いた。「『二人が負の連鎖を断ち切った』みたいな感じで出てました」と進吾。
まわりの選手たちと同じように、ただし注目の的となって。全国の頂点を目指し汗を流した二人のラガーマンは、『畑中ツインズ』として、フィールドを駆け抜け、冬の聖地を沸かせた。
高校3年間を終えたとき、二人はまったく同じ道を一緒に歩んで実に10年ほどの歳月を経ていた。
畑中家の日常。家のリビングのテレビで流れるは、大体はラグビー。高校から大学、トップリーグと国内はカテゴリーを問わず。海外のラグビーシーンも網羅している。兄・康佑も加わり、兄弟全員が揃えば、その会話や見事なもの。「3人とも好きなんですよね。語るというか見るのが」と啓吾が話すように、選手のプロフィールをはじめ、プレー内容やルールまで、誰かが口走れば、それに呼応するように会話の糸を紡いでいく。
物心ついた頃から関心を寄せていたこともあって、その“賢者”ぶりたるは。啓吾曰く、「アンガスさん(アンドリュー・マコーミック現関学HC)の現役時代も見てました。あのときのジャパンは1番から15番まで言えますからね!」
その画面に映る主役が自分たちとなる(二人の場合は、高校生時代からでもあるが)舞台へと当然のように、二人は歩みを進める。次なるステージは、大学ラグビー。
ここでも兄・康佑の進学した関学へ揃っていくものだと思われていた。だが、ラグビーを始めてこのかたついに、競技人生で初めて! ツインズはたもとを分かつことになった。啓吾は兄と同じ関学へ、進吾は関大へ入学した。
この兄弟にとっては同じ環境にいることが、もはや当たり前だったのだろう。「二人揃って大学へ」―。
3人のなかで唯一、違う道へ踏み出した進吾(関西大学社会学部4回生)は当時の胸中を明かす。
「進学する候補のなかに関学もあったけど…縁というか、良いタイミングで関大に声をかけてもらった。(当時)二部というのは知ってたんですけど、先生に話を聞いてもらったりして。関大を一部に上げるために勝負する、という」
進吾の選択した道には、長年連れ添った“兄”たちはいない。ましてや関大は二部で、関学は一部=関西大学Aリーグに位置している。通常であれば兄弟たちが交わることがない。
けれども、これを宿命といえようか。お互いが関学と関大という学校を選んだからこそ―『畑中ツインズ』は、別の意味合いを持つようになる。まれに見る、珠玉の兄弟対決へと。
年に一度の祭典、関西を代表する二校による"バーシティマッチ"。『関関戦』が用意されていたのだ。
二人が対戦する。それは畑中家にとっても、これまでに経験をしたことがない状況だった。その前日は「ピリピリしたり…緊張するタイプなんで、たぶん二人とも。対戦相手が一緒に横で飯を食べてるというのは、変な感じがしました」と進吾。
そうして始まったゲームを、啓吾(関西学院大学商学部4回生)は述懐する。「なんか、変な感じ。しかも、兄貴も出とったんで。僕がボール持って、進吾がタックル入ってきて、兄貴がオーバーする、って」
康佑もピッチに立ち、なんと3兄弟揃いぶみとなったその対戦は関大に軍配が上がる。それは畑中家の日常風景が、初めての形で崩れた日でもあった。帰宅した兄弟たち。しょんぼりし2階の部屋へそそくさと戻る“兄”たちをよそに、上機嫌で居座る進吾の姿がリビングにあった。
その翌年、二度目となる直接対決の場。「前日の、戦う前の雰囲気は…『またきたな』という感じ。慣れた、というか」と進吾は語る。むろん非日常的な対決の場ではあるのだが、この頃の彼にとってはチーム全体としての姿勢を背負ってもいた。「勝ちたい気持ちは僕もあったんですけど、チームとして勝ちにいく意識があったんですね。Bリーグやから、Aリーグやからこそ、と。勝ったときは、嬉しかったですね」。またしても、関大が勝利したのであった。
「3回目は、もう負けられないですね」。過去の対戦での苦い思い出を踏まえ、大学ラストイヤーの今季、関学で主将に就いた啓吾は春先にそう話した。もとより負けず嫌い。三度、土をつけられてなるものか。
今年の4月21日、花園ラグビー場で開催された『大阪ラグビーカーニバル』において、総合関関戦の位置づけも含まれて関学と関大の対戦カードが組まれた。進吾にとっては高校時代以来の花園のピッチだった。「これまでとは違う雰囲気でした」
そのゲームではこんな一場面が。ゴール直前までボールを運んだ進吾を、最後ライン際で止めたのは啓吾。その距離わずか、ゴールラインまで1メートルいや50センチほどだったとか。
そんなシーンがあったものだから、双子対決の白熱ぶりだと周囲は盛り上がる。そうした声も、啓吾は一蹴する。
「タックルしたときは気付いてなくて。それも、進吾だからめちゃめちゃタックルいったとか言うわけでもなくて、普通のいち相手プレーヤーを止めただけです。誰が来ても、そういうプレーをするやろうと」
啓吾と進吾の二人が揃った直接対決は、総合関関戦として三度執り行われてきた。結果は、進吾の2勝1敗。その彼らの大学ラグビー生活最後となる今年は、もう一度だけ対戦の機会がめぐってくる。今季から関大が一部に昇格したため、関西大学Aリーグにおいても試合があるのだ。
そんな展開だが、入学した当初は「関学には負けられないな」と関関戦での出場を意気込んでいた進吾も、年月を経て気概は変わったそう。「Aリーグでやれるというのが嬉しくて。そのうえで関学とやれるのは、Aリーグで試合が出来ることの喜びに、ついてきたものです」
ラグビーを始めてから、ずっと一緒にプレーをしてきた。畑中家の双子としてピッチに立った。けれども、そこではあくまでもチームメイトとして互いを捉えていた。
そこから、一転して勝利を奪い合う対戦相手に。かといって、とりたてて意識することはない。タックル一つにしても「誰が来ようと必死に」(進吾)いけば、「止めてみたら、あとから『お前か!』」(啓吾)と判明する。あくまでも対峙するフィフティーンの一人。
ただ、そんな双子だからこそ味わえるラグビー人生も、そろそろ当の本人たちはお腹いっぱいの様子だ。社会人になっても競技は続けるが、身を置く環境は異なり、加えて対戦する機会も無いのだという。「もういいや、って感じです(笑)」とツインズは口を揃える。
ならば、人生最後の対決は、どのような気持ちでむかえるのだろうか。
啓吾 「まったく意識せぇへんといったら違うかもしれないですけど…多少なりの兄弟というね。けど、関学のキャプテンという意識が強い。チームを勝たせるのが僕の役目なんで。一戦一戦、関大だろうが天理大だろうが、兄弟がいようが友達がいようが、勝つ!」
進吾 「個人的には思う部分も。けど、関大ラグビー部という立場からすると、一戦一戦、挑戦しないといけない。勝たないといけない相手のなかに、たまたま兄弟がいるという感覚の方が大きいです。勝ちたい気持ちはありますけど…それは関学だけにじゃなくて。勝ちたいですね!」
そもそも「めちゃくちゃ仲エエですよ」と兄貴が話すほどの間柄。実は、試合に際しても、もちろん戦術的なことは一切明かすことはないが、駆け引きもする。いつかの試合では、啓吾から「お前、こっちにキック蹴ってくるんやろ?」と誘えば、本当に進吾が蹴ってきた、なんてことも。
『兄弟ゲンカ』という単語は、ふさわしくないのかもしれない。それでも表現するならば、やっぱり…これはツインズのケンカだ。
その様子を見つめてきた、お母様の胸の内を最後に。
「見てる自分がどうなるんやろう?って。自分の気持ちが、ね。楽しみで。関関戦では両方の応援をしてしまってて…次は公式戦だから。重みがね~違うから」
きたる10月13日。試合が終わったあと、畑中家は果たしてどうなる―?■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
※この場をお借りして、このたび取材にご協力いただいたご家族の皆様に感謝の意を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
関連リンク:畑中啓吾「VISION」
鈴木将大『そのプレゼンスを今こそ』
投稿日時:2013/10/03(木) 12:00
<学年表記は2013年現在のもの>
■鈴木将大『そのプレゼンスを今こそ』
一年以上も前になるのか。春シーズンも半ば、関学ラグビー部は敵地の立命館大学BKCグリーンフィールドに出向き、オープン戦に臨んだ。試合は白星を収めたが、その帰路。当時の藤原組の副将・安田尚矢(人福卒)は嘆いていた。
「あいつが抜けるのは…ほんま痛いなぁ…」
まるで自分のことのように表情に影を落とし、落胆していた。
昨年の5月20日、立命大戦にて負傷したのはFL鈴木将大。開始2分での出来事、前十字靭帯を断裂した。主力選手として台頭してきた矢先の怪我。長期離脱を余儀なくされた2年目のシーズンを鈴木は振り返る。
「12月くらいまでリハビリをすることになって。そうしているうちにリーグ戦が始まって、『このチームでプレーがしたい』って思うように。結局は1ヶ月早めて、復帰させてもらいました」
自身は募らせたプレーへの思いを原動力に復帰を果たした。一方でチームメイトの、もっとも藤原組の屋台骨でもあった先輩がああもショックを覚えていたわけとは。その理由は、鈴木将大の存在感=プレゼンスにある。前述の安田はこう語っていた。
「あいつがいると、1、2回生が自分たちのプレーをするんです。精神的な面でまとまる。それこそ、僕らも自分のプレーに集中できた」
関学高等部時代はキャプテンを務めた。その年、チームは冬の花園にてベスト4にまで上りつめている。歴史的シーズンを成した一因に、鈴木のリーダーシップがあったことは違いないだろう。その彼が怪我を乗り越え、3年目となる今季、いよいよ本格的に大学ラグビーの戦列に加わったのだ。
「上級生の仲間入りして。自分のことだけじゃなくて、チームのことも頭に入れながら、コーリングしたりしています」
全開の状態で臨んだ今シーズンは、それこそ大学3回生として、チーム内でも半数を占める下級生たちにも目を配らせなければならない立場にあった。加えて、ピッチに立つ鈴木将大というプレーヤーに周囲が求めるのは、その統率力。そして彼の真骨頂でもある、仲間を鼓舞するコールだ。
昨年の藤原組にて同じような立ち位置にいた安田の、鈴木評をここでもう一つ。
「ああいう存在が一人でも、チームにいるだけでね。怪我しても、声出しだったり積極性は失われてなかった。あいつの存在…でかいですよ!」
ピッチに立つ姿勢、つまりは存在そのものが大きい。ならば、と期待したくなる。もっとも周りは期待を高まらせていたことだろう。この男なら、チームがいかなる状況に陥ったとしても、道を開けてくれるのでは、と。
それがトップチームであれば、よりいっそうに。何よりも、あの朱紺色のジャージの重みを知っている人間だ。リーダーとして、全国の大舞台にチームを率い、ピッチで戦ったからこそ。
そうして大学3年目でむかえた関西大学Aリーグ。9月29日の開幕戦にて、鈴木はスタメンに選ばれた。
「前の週のジュニアリーグで出たりしてて…木曜日にメールでメンバー入りを知りました。リハビリもやってくれていた長瀬さん(長瀬亮昌コンディショニングコーチ)から『(メンバー入り)あるかもしれない』と言われたりもしてたんで、心の準備はしていました」
朱紺のファーストジャージを着用しての出場は花園以来。鈴木は「選ばれた以上は、チームの代表として、勝ちにつながるプレーをしたいな」と意気込んだ。
リーグ戦の封を切った京産大戦。試合前の整列で、畑中組のメンバーは背番号順に並んだ。鈴木は『7番FL』。なんと、この日のピッチには7番から9番まで、あの花園ベスト4のメンバーが揃うことになった。ナンバー8は徳永祥尭(商3)、SHには徳田健太(商2)がついたのである。
「徳田は高校からやってきて、パスを放つタイミングは頭に入っている。徳永も一番長く一緒にFWでやってきたので心強い。やりやすかったです」
かつてのチームメイトがそれぞれ成長し、次なる舞台でも主力となって、いまは横にいる。鈴木の大学ラグビーはこうして幕を開けた。
だが彼のデビュー戦は苦いものとなった。前半こそリードしていたが、後半早々に連続失点を許す。最終スコアは19-30。チームとしても持ち味を出せずに黒星を喫した。
「気持ちが入ってなかったわけではないんですけど、相手の低いタックルに足が止まって…気迫にもやられました」
相手のプレッシャーをもろに受け、自らのミスで攻撃のチャンスの芽を摘み取ってしまう。負の連鎖にはまった畑中組の姿がグラウンドにはあった。
その開幕戦で、ピッチに立った72分間(FL長澤輝(社4)と交代)を鈴木は悔しさをのぞかせながら話した。
「納得のいくプレーはあまり。結果がすべてなんで。反省して次の試合に臨みたいです」
静かな口調で、しかし伺えるのは胸に秘めたる闘志。終始、劣勢に立たされていたともいえる状況を打破できなかったことへの反省か。鈴木は続けた。
「チームの為に、誰よりも体を張って…そうですね、体を張っていきたい。自分にはそれしかないと思うので!」
初戦の黒星はチームにとって確かに痛手だ。けれども、戦いはこの先もまだまだ続く。願わくは、この男のプレゼンスがますますフィールドで発揮されることを。鈴木のプレーが、張り上げるコールが、選手たちを発奮させる。さすれば、勝利はより近づくことだろう。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)
関連リンク
2013年10月
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