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『WEB MAGAZINE 朱紺番』

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鈴木将大『厳格たれ。主将の覚悟』

投稿日時:2014/02/19(水) 02:40

 求めるものを手にするには変革が必要だ。では、そこで為すべきこととは。かねてより身に宿すキャプテンシーを発揮するは、2014年度関学ラグビー部主将・鈴木将大(商4/FL)。今年2月、彼が率いる新チームが始動した。

学年表記は2014年度のもの>

 

■鈴木将大『厳格たれ。主将の覚悟』

 


 

 つんざくような寒さは、出発せんようとする航海の船出には少々厳しいものだったのでは。いや、そんなことはない。覚悟の上。そうでなければ強くはなれない。


 2014年2月11日。関学第2フィールドで新チーム「鈴木組」はそのシーズンを始動させた。監督コーチ陣も含め勢揃いし、部員たちはフィットネスにスキルトレーニングとベース造りに取り組む。そうしてチームにとって初めてとなる練習が終わってからの全体集合の場面で。主将は締めの言葉の第一声を、やや怒気を含んだ口調で発した。「まだまだミスが多い」と。


 練習への姿勢、ボール一つの扱い方然り。普段から意識すべきことだとは常にどのチームも口酸っぱく説かれていたものだ。この日の練習終わり、改めて主将にその真理を語ってもらった。


 「全然甘かった。もっと厳しくならないと。それも全員が、です。一人だけでなく、4回生が筆頭になってチーム全員に。

 去年もノックオンだったり簡単なミスが多くて。このままじゃ勝てないと。どれだけ練習から作れるか、でないと試合では思い通りにならない」


 一つのミスが決定打を欠くことになり、逆にピンチを招くこともある。これまでもフィールド上では歓声を落胆の声に変えてしまったことが幾度と見られた。


 ミスに対して厳しく説くことで、チームに意識づけをさせる。この度就任した新主将がなおも、辛く口にする理由とは。その答えは先の「このままじゃ」の台詞にあった。



 鈴木が新月旗の下で学生生活をスタートさせたのは2008年のこと。関学高等部でラグビーに興じる日々。その年、兄貴分である大学ラグビー部は半世紀ぶりとなる関西制覇を遂げ、一躍関西の上位校へと姿を変えた。その翌年には関西大学Aリーグ連覇を達成。タイトルを掴んだ朱紺の闘士たちに彼は羨望と憧れを抱いた。


 一方で自身も高等部では3年生次に主将に就き、やがては全国ベスト4にまでチームを導く。部員全員がひたむきにプレーする環境に幸福感を覚えていた。


 だが実のところ、鈴木は目の当たりにした現実と現状のギャップに、ある種の失望に似た感情を持った。自分がいる環境とは対象的に、彼の目には大学ラグビー部の、ともすればトップチームではない下のカテゴリーの選手たちの姿勢に少なからずの温度差を感じたのである。「ラグビーせんとこかな」なんて思ったこともあったと鈴木は明かす。


 それは高等部の同期たちの胸中も一緒だった。だからこそ、鈴木は「そう思っている同期たちと進んだら、『変わるかな』『変えられるかな』」と心に留め大学へ進学する。


 そこでは学年も関係なしに下級生次であっても声を出しメンバーを煽動した。その存在は「精神的な面でまとまる。僕らも自分のプレーに集中できた」と上級生が評したほどであった。そうして3年生次に怪我を乗り越えて、トップチーム入りを経験。最終学年を迎えるにあたって、自ら主将に立候補した。


 「キャプテンにならなくても発言はするやろうけどなった方がより響くと思って。立候補しました」


 年末年始の話し合いを経て、その覚悟を同期は受け入れる。鈴木組が誕生した。


 もとより周囲から「誰よりも厳しい」と称される新主将は前述のように練習中であってもミスに対して辛く説く。これまでの敗因の一つを克服するための叱咤だ。と同時に、目標として掲げた『関西リーグ全勝優勝』を果たすべく、スローガンにも通じる姿勢をチームに植え付けていく。それは、ONE=一つ、になるということ。


 高等部時代に感じた大学のチーム内のギャップ。総勢100人を越す大所帯ゆえか、けれども


 「その差を埋めないと。全員を一つにするのは難しいとは思うけど、そうならないと立てた目標も口だけになってしまう。一つになれば、どこにも負けないチームになると」


 目標を決める際、同期からはタイトルを獲りたいという意見が多かった。「みんなが『全勝優勝』という目標に向かって4回生は分かってると思うけど、それをどれだけ下まで浸透できるか」


 変えることは出来るだろうかかつて芽生えた気持ちは、やがて『変えたい』そして『変わらなければならない』へと高まった。それほどまでに彼を掻き立てたものは何だったのか。その問いに鈴木はこう答えて白い歯をのぞかせた。


 「関学が大好きやからです」



 スローガンである『ONE』に込められた思い。「一つになったら、まわりからも応援されて、みんながチームを愛して、そうして試合に出るメンバーは死ぬ気でやる」のだと。

 部員が一丸となって、成果も内容もこれまで以上のものを目指す。そのためには「同じことをやってたら」と鈴木は話す。


 新しいチームは年明け早々からアクションを起こした。新体制が公表される納会までの1月の間もウエイトトレーニングを中心に取り組んだ。一週間で合計75トンもの数値を記録した部員もいるとか。


 「この点も変わりましたね。今ではウエイトトレーニングをしない奴を見つけるのが難しいくらい。みんな筋トレしています」


 得意げに鈴木が語るほどの高い意識づけが成されているのは、やはりチームを率いる最上級生の存在が大きい。


 「もともと僕らの代は多かったですね、まじめな奴ばっかりで。野崎(勝也=経4/WTB=)なんて毎日トレーニングに入るようなウエイト好きで。それに刺激されて周りも。恵まれた良い学年だと思います」


 また、彼らの代は鈴木を筆頭に、高校生時代にそれぞれのチームでキャプテンを経験している人間が多いことも特色の一つ。「それはでかいです! でも、まだまだ出来ると。自分のことは一生懸命やる、それは当たり前で、あとはどれだけ外に発信できるかですよね」


 主将として練習の場に繰り出した際に、全体に目を配らせなければならないことに鈴木は改めて気づかされた。そこでは、副将を務めるPR金寛泰(人福4)やWTB中井剛毅(経4)の存在が頼もしかったというから最上級生たちのリーダーシップは心配無用だろう。そんな信頼のおける仲間たちとともに歩み始める今シーズン。


 「でも仲が良いだけで終わるのは嫌なんで、ひとり一人厳しく切磋琢磨して、グラウンドを出ると仲が良い、そういう学年にも出来ると思います」


 チームを一つにまとめるという端的で、しかし一筋縄ではいかない挑戦。だが、このチームならば。一つになって闘うことで、その先にある栄光を掴むことが出来る。そう信じているから、鈴木は同期に、チーム全員に厳しさを求めるのである。


 「これからが楽しみですね! けど笑って終わるためには相当辛いこと、しんどいこともしないといけない。それも勝つためには必要なことだと、部員みんなにそう思って欲しいですね」

(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)




関連リンク

▶鈴木将大プロフィール

湯浅航平『PRIDE or PRIZE』

投稿日時:2014/01/24(金) 12:00

 一秒でも多く、プレーがしたい。そこに降り立てば全身全霊を懸けるのみ。地にしっかりと足をつけ、男は逆境に真っ向からぶつかっていった。引退したいま、SH湯浅航平(人福4)が自身の戦いを振り返る。

<※学年表記は2013年のもの>

 

■湯浅航平『PRIDE or PRIZE』

 


 

 刻一刻とノーサイドの瞬間が迫ってきていた。2013年12月22日、全国大学選手権セカンドステージ第3節。畑中組にとって最後となるゲームも残り時間は10分になろうとしていた。


 「シーズンも、あと何分かな」


 ベンチから戦況を眺めていた湯浅は時計の針に目をやる。シーズンが終わることへの哀愁、と同時に、もう一つの思いが沸きだった。


 「出たいな


 最後だから、いや最後になっても、だ。常に彼の胸にあった思い。純粋なるそれは4年の歳月を経て、より濃いものになった。


 ジュニアリーグにAリーグ、と公式戦が幕を開けた秋口。Bスコッドが練習する関学第2フィールドにふらりと姿を現した湯浅は、シーズンの本格化に際してこう語った。


 「ここまで早かった。最後の年の公式戦でのリーグ。ここまできた、という気がします」


 そうして始まった本番の舞台で、湯浅はチーム内でフル回転の動きを見せた。ジュニアリーグではゲームキャプテンを担い、先発ならびにフル出場がほとんど。その翌日に行なわれるAリーグではリザーブに名を連ね、出番が回ってくればフィールドを駆け回った。


 一見すれば、勤続疲労の心配すらも浮かぶような出場機会の多さ。だが、それは杞憂に過ぎなかった。しんどくないですか?そんな愚かな問いかけに、湯浅はさらりと言い放ったものである。


 「それよりも試合に出たいですからね」



 週末に2日連続での公式戦出場を果たす。それ自体は、大学に入ってこの方、幾度と湯浅は味わってきた。けれども、そこにあったのは悔しさだった。「ジュニアにはけっこう出させてもらえてたんで、贅沢といえば贅沢ですけど濃い半年とは言えなかった」


 入学1年目、トップチームに選出され公式戦でスタメンに抜擢されたこともあった。だが、部内でも特段に層が厚いと言われるSH陣。当時の先輩には芦田一顕(人福卒=現サントリー=)や中西健太(経卒)らがおり、下級生次は彼らに続く立ち位置であった。翌3回生次は、春先こそレギュラーを掴んだかに見えたが、シーズンが進むにつれルーキー・徳田健太(商2)の台頭に後じんを拝する結果に終わった。


 そうした背景ゆえの、悔しさなのだ。Aチームのリザーブを選出するために求められる、ジュニアリーグでのパフォーマンス。レギュラーもといスタメンへの思いが強ければ、その図式が酷たる事実として映る。


 「その週の月曜日にメンバー発表の連絡がきて、名前が漏れていたりすると『またか』『何でや』って思うことはありました。まわりからしたら、発表自体はいつもどおりのことですけど僕自身が、それに慣れることはなかった」


 後に彼はそう胸の内を語っている。


 とはいえども、出場するからには全力を尽くす。そこは己を形成してきた舞台。ジュニアリーグに対して彼が並々ならぬ思いを持っていたのも事実である。


 副将に就いたラストイヤーは、それこそチームを率いる決心でいた。またジュニアリーグが開幕し次第に同期たちが戦列に加わったことも、弾みになった。


 「例年に比べたら試合に出る4回生が少ないなかで、途中から。BKがほとんど4回生で、健士郎(山内=CTB/教4=)や啓太(古橋=CTB/商4=)とのプレーがずっと続いて。FWも輝(長澤=FL/社4=)や三井(健太郎=LO/社4=)もいましたし、丸山(充=FL/社=)も。

 ジュニアで雰囲気を作れるか、って僕が言うてたんですけど、力でいうと助けられてばっかりでした」


 そのジュニアの面々は、リーグ戦において決勝戦まで突き進む。しかし栄冠を掴むには至らなかった。優勝がかかった大一番ではチーム全体の動きが硬直し、なされるがままに敗北を喫した。


 「その前の天理大戦が良い雰囲気で出来たのに、それを作れなかったのは僕のミスだった。今さら、どうできた、は無いかもしれないですけど。Aチームの奴も仲が良いし、ジュニアも特別な良いメンバーが揃っていた。勝ちたかったし、もっと出来たかなと。このメンバーがおったら、もっとやらなくちゃいけなかったと思います」


 勝ちたかった。その思いの強さが、いち個人として味わう苦杯を少なからず緩衝させたのかもしれない。シーズンの最中、やはり自身の置かれた状況が脳裏をよぎることもあった。けれどもジュニアリーグのこと、ゲームキャプテンとしてのことを考えれば、そのショックがプレーするうえでの足かせになるようなことはなかったというのだ。



 それでも、大学生活を綴るうえで彼が直面した事実を避けることは出来ない。チーム全体のレベルアップの水面下にある、激しきポジション争い。後輩SH徳田に明け渡したレギュラーの座。競技人生で〝初めて〟喫した敗北だった。


 レギュラー奪回を目指したラストイヤー。ライバルの壁は高く立ちはだかった。「徳田が持ってて、僕にないものも分かっていた。タイプでいえば全然違うタイプですけど、それを差し引いてもスピードだったり、ボールの捌き方の速さが上で。最初は受け入れられなかった」


 当初は、自負する強みであるキックや球の持ち出しの部分を磨き、勝負しようとしていた。しかしチームが求める動きとで相違があった。事実、リーグ戦においては『ノーキック』との指示が出されていたのである。


 個のアピールと、ピッチ上でのニーズ。そこのズレに対する葛藤はあったと湯浅は語る。けれども、出場機会を得るためにはどうあるべきかそれに気付く機会がすでに彼の身にはあった。


 「1年目のときは、僕自身好きにやれていた。そのプレーがあかんかったとは思わないですけど、チームの方向性に合ってなかったんだと。そこから2年目、3年目と試合に出れてない。3年生の春に出させてもらった試合でアピールは出来たけど、克服せずにシーズンを過ごして最終的に晃忠さん(SH/社卒)にも抜かれて。このままやったらあかんわ、って」


 むかえた4年目、ライバルに劣ると自覚し、かつチームから求められるテンポの部分を意識し磨いた。結果として、最後のシーズンでレギュラー奪取は叶わなかったが、リザーブとして投入されたフィールドではチームのリズムを加速させるプレーを見せた。


 「テンポを上げるラグビーのなかで、ボールの持ち出しもそうですし、自分のレベルを上げれたと。キックが一番と思ってたそれを捨てられたので。(プレーの幅が広がった?)そうですね」



 出たいな。大学選手権第3節、チームが朝日大と戦う様をグラウンド横から眺め、そう思いを馳せていたラストゲーム。残りも10分になろうとしたタイミングで湯浅に途中出場が命じられた。ピッチに繰り出し、正真正銘の学生生活最後のプレー時間が訪れる。


 「変にふわふわと緊張っていうか何ていうか、興奮した感じで。でも、決して悪い感じではなくて」


 言葉にしがたい感覚を抱きながらプレーし、ノーサイドの瞬間を迎えた。勝利で幕を閉じたこともあってか、「すっきりしていました」と晴れやかにそのときを過ごしていた。


 彼が歩んできた道のりは、それこそ辛苦をなめることが多々あった。レギュラー争いの渦中で、もがき苦しんだ。だが引退したいまは充実感でいっぱいだという。


 「1年目で試合に出れて、U20日本代表に選ばれたり、そのあとは全然出れなかったり。良いことも悪いことも苦しいことの方が多かったけれど、楽しかったですね。この一年は、一番充実してて色々なことが出来ましたから」


 ジュニアリーグにAリーグと、部内でも突出したプレー時間を戦った。そんな事実に「言われて初めて感じました」と目を丸くさせるほどの、充実していたラストシーズンだったのだろう。ただ、やはり


 「本当はAリーグ、先発が良かったですけどね」


 偽らざる本音を胸にしまいこむようなことは一切せずに、彼はにっこりと微笑んだ。そして、最後にこんな話を明かした。それは、出身校である京都成章高校の監督を務める父・湯浅泰正氏とのエピソード。


 「家では、ほとんどがダメ出しなんですね。『ディフェンスどうなってんねん』とか。けどね、そんな親父からこないだ誉められたんです。

 大東大戦のあとですかね負けたんで自分がどういうプレーしたかとかそんなに考えてなかったんですけど。『上手かった。あとはアピールだけや』って。

 びっくりしました。誉めるんや!って。親父にそう言われたのは自信になりました」


 聞くに、競技人生において父親から誉められたのは、このときがなんと2回目。それは湯浅航平が大学4年間を戦い抜いて手にした、ご褒美だったのかもしれない。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)




関連リンク

▶湯浅航平プロフィール

井之上亮『帰ってきたウルトラマン』

投稿日時:2013/12/31(火) 03:35

 戦闘可能な時間は限られていた。それでも彼は再び我々の前に帰ってきた。長期離脱となった苦難の期間と全国大学選手権での復帰、PR井之上亮(社3)が胸の内を明かした。

 

■井之上亮『帰ってきたウルトラマン』

 


 

 「折れた思いましたもん」


 そう確信できるほどの感触があった。その瞬間、彼の足は文字通りに砕けたのである。


 それは忘れもしない夏の日の災難だった。井之上は日付も、その日起きたこともはっきりと記憶している。今年の8月12日、春シーズンを終え強化に繰り出す夏の一次合宿のまさに初日。練習中に転がるボールへセービングをしようとした際、芝生に足を取られた。本来ならば体を滑らせるようにしたかった。が、スパイクが芝生に引っかかったことで、流すはずだった勢いが、すべて足首にかかった。


 症状は、外側部分の骨折とアキレス腱等の靭帯の断裂。故障した翌日にチームドクターの下を訪れたが、診断したドクターさえも言葉を失うほどの重症だった。井之上は、そのときの胸中を、一言に集約してこう表す。


 「今じゃないでしょ!!」


 今年の流行語大賞でさえ、裏を返せば恨み節となる。大学3年目を迎えた今季は、自身にとっても勝負の年だった。U20日本代表にも選ばれた2年生次の経験を糧にFWの最前線に名乗り出た。相対する一団のプレッシャーをはね返す強さと、押し合いにおける繊細なまでの職人芸。それらが求められるポジションで、レギュラー獲りを果たすべく今シーズンは春先からアピールを続けた。


 そうして、さらなる成長をにらんだ夏本番。そのスタートダッシュで大怪我に見舞われることに。症状の重さから、秋のリーグ戦は出場が不可能と判断が下された。


 「これから頑張ろうとしていたさなかに怪我して。シーズンも間に合わないし。まわりからは『膝でなくて良かった』とかポジティブなことを言うてくれてたんでけど、さすがに。怪我して、何で!?って」


 ひきずることはなかった。そう話した井之上だったが、戦場から離脱したことへの空虚感に支配されていた。大学での一次合宿を経て、チームはいざ菅平高原での二次合宿へ。しかし、彼は帯同せずに実家へと戻り療養に努めた。


 チームは二次合宿だからこそ経験できる関東勢との対外試合をこなしている。そこでは新メンバーの台頭も。Twitterから入ってくるチーム情報を、受け入れるしかなかった。


 「早稲田大や帝京大、と強いとことやると聞いていたし、そこで力をつけようと思ってた。自分が成長が出来ないことも悔しいし、出れない申し訳なさもあった。

 家で横になってる状態で早く治そうとは思ったんですけど、いまの現状と先がかけ離れて。何しよう?が大きかった」


 負傷してから3日後には手術を受け、年内の全国大学選手権初戦での復帰を描いた。とはいえども、症状は深刻でそれすらも定かではなかった。長期の戦線離脱、しかし彼はその期間を振り返り、はっきりと口にする。


 「怪我はしたけれど、全然マイナスじゃなかった」



 プレーなどままならない身体だが、出来ることはある。井之上はこの期間に、別のことに取り組むことにした。阿児嘉浩ストレングス&コンディショニングコーチの協力のもと上半身の肉体強化を図った。井之上が話すに、それまではウエイトトレーニングの重要性を軽視していたというが、これが転機となった。


 「上がることが楽しくて。上がらないと全然面白くないんですけどね(笑)。いつも阿児さんは朝練終わってから一緒にトレーニングに入って、重さは違うけど一緒に取り組んでくれてました」


 その結果として、ベンチプレスの数字は100キロから125キロに。大幅なパワーアップを果たした。井之上の成長する様を阿児コーチはこう語る。


 「まじめにやってた。本人からも連絡があって筋力アップを。9月、10月、11月と集中的に追い込んで。ボリュームも全然変わった。怪我したことでウエイトトレーニングの大事さに気付いたんじゃないかな」


 その一方でチームは菅平合宿を経た後に、いよいよリーグ戦へ突入。井之上が不在の最前列を埋めるように、PRたちは名乗りを挙げた。「一つ席が空いて、取り合いというか。チーム的にはマイナスではなかったと思います」と井之上が話すように、チームの戦力アップ、そのためのレギュラー争いが繰り広げられた。


 けれども皮肉にも、こればかりは井之上の離脱が直接的な要因とは言い切れないが、チームとりわけFW陣はリーグ開幕戦で敵の後じんを拝することに。京産大を相手に黒星を喫した。試合を観ていた井之上の評はこうだ。


 「スクラムやられてました。春の対戦では相手のスクラムを崩壊させられてたのに、こんなにいかれるのかと。春は同志社大戦を除いて、スクラムに関しては勝っていたし、手応えも感じていた。そこを負けると厳しいなと」


 思うようにいかぬスクラムを目に、胸が締めつけられる。だが「歯がゆかったですけどね。でも、自分は出れない。OBさんからも『いつ出れるん?』と聞かれたりもしました」


 このとき想定していたよりも、治癒のペースは芳しくなかった。ようやく動けるようになったのは10月後半。しかし、動こうとしても激痛が走る状態。むろん、そんな状態であるから存分にプレーできるまでのスタミナも失われたまま。


 そうしてリーグ戦が終わり、戦いの舞台は全国へ移った。ブロック戦の初戦の相手は大東文化大。当初の予定での復帰も「厳しいかも」ではあったが、井之上に声がかかった。トップチームへの選出である。



 金寛泰(人福4)の復帰を筆頭に野宇倖輔(経1)、河島亨(人福2)と状況に応じてのメンバーの入れ替えが見られたPR陣。そこに対して、レギュラー獲りへの焦りよりも「動けるかどうかが心配だった」と井之上は振り返る。果たして前のように走れるのか、と。


 あらかじめ出場時間は決められていた。わずかながらの時間を「持たせようとは思うんですけど息が上がってしまう」。足らぬスタミナ、そして何よりも痛みをかかえたままであった。


 12月8日の大東大戦も残すところ5分で井之上の名前がコールされる。寒さに身体が冷えていたこともあっただろう。一歩目から痛みが襲い、足を引きずっての入場となった。だが。


 「始まったら痛み、無くなるんですよ! 痛み止め飲んでも痛いのに。アドレナリンで痛くない。すごいっス」


 かかえる激痛すら吹き飛ばす闘志。続く翌週の試合でも、井之上は実感したという。


 その12月15日の帝京大戦は3分間の出場。そのピッチ上では、知り合いの相手選手とこんなやりとりがあった。


 「お前、出てくるん遅いな」

 「3分しか持たへん、ウルトラマンなんよ」


 最終的に今季の井之上の公式戦出場時間は合計8分。それでも40分間戦ったような疲労感があった。スタミナへの不安を抱えながら、フィールドで出来る限りのプレーに努めた。


 シーズンを終えてもなお、負傷箇所には7本ものボルトを打ち込んだまま。完全に復調するまでは時間を要するが、しっかりと身体を作り上げ次なる戦いに臨む。離脱期間中に鍛え上げた上半身、次は怪我にも負けぬよう下半身の強化を目論んでいる。「どう自分をベストに持っていけるかです」と井之上は意気込んだ。


 来季への完全復活の誓い。3分間?いや、今度はもっと戦える。ウルトラマンは二度、チームに帰ってくる。(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)


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▶井之上亮プロフィール

中井剛毅『もっと速く、もっと強く』

投稿日時:2013/12/19(木) 03:47

 走った。とにかく、走った。大学王者とあいまみえた聖地で。WTB中井剛毅(経3)が大舞台で見せた躍動。

 

■中井剛毅『もっと速く、もっと強く』

 


 

 グラウンドでのクールダウンを終え、ロッカールームへと引き上げる。その姿にスタンドからは労いの言葉が投げかけられる。


 ただ、彼の身体が疲労困ぱいそのものなのは誰の目にも明らかだった。過度の酷使による、足の筋肉の硬直。


 「後半の20分くらいからですかね


 中井剛毅は、つい先ほどまで身を投じていた戦いの爪あとに目をやりながら、そう明かした。


 12月15日、全国大学選手権セカンドステージ第2戦。舞台は近鉄花園ラグビー場。畑中組は、これまでにない強敵と対峙した。相手は帝京大。多くを語るまでもないだろう、昨季、前人未到の大学選手権4連覇を遂げた真紅の帝王である。


 開始のホイッスルが鳴り繰り広げられたのは、挑戦者と王者のぶつかりあい。朱紺の闘士たちは果敢に挑んだ。攻められようともタックルにいき、進撃をくい止める。転じては、相手陣内へ進入しゴールへと迫る。その立ち上がりの熱量をいっそうに高めたのがWTB中井だった。


 「一発目のスクラムで、サインが出て、ラインブレイクをした。あのブレイクでテンポに乗ってくれたらと」


 前半10分、中央あたりでボールを受けると、ステップで相手ディフェンダーを一枚かわす。その次のディフェンダーとの隙間をついてゴールに直進する。捕まりはしたものの、ウィンガーの見せたゲインにスタンドは沸いた。


 彼のハイライトは、この日もう一つあった。後半14分、ピッチの横幅を最大限に使いBK陣を中心に外へとボールを展開する。中井はそこでも、まさにWTBの本分であるドライブを見せた。


 応援する者の心を躍らせた、アタックの場面での走り。しかし、この時点で彼の足は限界寸前まできていたという。帝京大の攻撃に対して、ディフェンスラインを押し上げて、プレッシャーをかけようと臨んだ。そのなかで、幾度と裏へボールを蹴り込まれる場面が。前に出ていたぶん、すぐさま中井はカバーに戻った。「相手はボールを奪ってからが早かった」。もちろん、カバーだけでなく、ボールキャリアーの突破を阻むべく、積極的にタックルも。その運動量は、労いとともに心配の声が上がるほどのもの。後半は、硬直した足に動きを奪われながらのプレーであった。



 選手権、相手は王者・帝京大。その大舞台で先発に抜擢された。それまで11番を背負っていたWTB金尚浩(総政3)の負傷離脱が背景にはある。中井にとってAチームでの公式戦での出場は10月13日の関西大学Aリーグ第2戦以来(第3戦はベンチ入りするも出場は無し)のこと。


 そもそもリーグ戦の序盤でレギュラー入りを果たしていたのは、金尚浩の離脱があったが、復帰とともに出番を奪われた形だった。それから選手権までの期間を彼はこう振り返る。


 「正直、悔しかったですね。でも、チームの為に、と思って。Aチームだけでなくて、全部が底上げしないとAチームが強くならないんで。チームのためにフォーカスを当てて、と。悔しい部分はあったんですけど、練習でぶつけました」


 置かれた状況にもくじけず、そこで自らがすべきことにフォーカスを当てた。そうして巡ってきた、プレーする機会。それもビックゲームでの。


 「ジュニアの決勝戦以来のプレーで、ちょっと緊張したりも。相手は帝京大。頭にはあったんですけど、気にせずに。自分のやってきたことをやろうと。ゲームに出ることの緊張がありました」


 試合に臨む際の姿勢。中井は大学一年目で公式戦出場を果たしている。そのときは「めちゃくちゃ緊張していた」。度重なる怪我で思うようなプレーが出来なかった2年目を乗り越え、3回生として過ごす現在。「だいぶ落ち着いてプレーできるように。まわりを見れるようになりましたから」と今年のリーグ開幕戦では話していた。


 けれども、いざ試合となれば、それらは追いやられる。


 「いつも強気というふうに、自分のなかで。弱気にやっても意味がないんで。絶対に強気でやってやろう、絶対に負けへん、と」


 自覚している体格の不利もあるだろう。おそらくピッチ上では、身長の低い部類に入る。が、それゆえの強気だ。帝京大戦への意気込みは「死ぬ覚悟で試合に出てた」であったのだから。



 それでも、全国の舞台での一戦は苦杯をなめるものだった。チームは5-78で敗北。試合後、開口一番に「悔しいっス、、、」と漏らした。


 WTBとしてビックゲインを見せた。だが、インゴールに達することは出来なかった。「チームとしてもゴール前にいったりして惜しい部分はあったんですけど、取りきりの部分が甘かった」。彼含めてBK陣も、攻勢に打って出た好機でパスワークが乱れるなどのミスが。チャンスをものにする精度と、そのフィニッシャーとして中井らWTBもその役をまっとうすることが求められてくる。


 「取り切る意識で。取ってたら、試合展開も変わってくると思うんで」


 一方で、一人のプレーヤーとして、やはりは関東との差を中井も実感した。帝京大戦での反省とともに話す。「1対1のディフェンスで、ずらされるとこもあった。アタックは、フィジカルですかね。勝ってる部分もあるけど、個々の強さや寄りの早さは関東との差を感じました」


 差は確かにあった。しかし無慈悲なまでの絶望ではなく、手応えを感じさせる一戦だった。ゲーム序盤の期待と興奮、その一端を担ったWTB中井の存在。そして、主将・畑中啓吾(商4)も「気合入ってましたね」と舌を巻いたほどの彼の闘争心がそこにあった。


 「チャンスをもらえたので、どうアピールするか」


 闘志の火種は多種多様。そこにどれだけの思いを馳せられるか。中井はこの一戦への意気込みをそうも抱いていた。


 だからこそ、彼が今後ますます速く、強くなると思えてやまないのである。(記事=朱紺番 坂口功将)

 


関連リンク

▶中井剛毅プロフィール

観戦記『これが全国の舞台』

投稿日時:2013/12/13(金) 12:00

 チームは万全の状態をもってして、その舞台に臨んだ。だが、次第に歯車は狂いだし。畑中組が歩む険しき道のり。全国大学選手権の初陣を記す。

 

■観戦記『これが全国の舞台』

 


 

 うまく歯車は回るかに見えた。それだけの確信もあった。それでも、全国という舞台で直面し受けた圧力が、歯車にひずみを生じさせる。やがて回転が止まった。


 関西大学Aリーグも終幕し、臨むは全国大学選手権。昨年からの大会方式である、ブロック戦(1ブロック4校による総当り戦)。その初戦を2日後に控え、畑中組はスコッドを問わず、部全体での練習に励んでいた。


 練習を終え、主将・畑中啓吾(商4)は意気揚々と部室に引き上げた。そこから垣間見えたのは、来る試合にむけ準備は整ったという一つの充実感。


 シーズンも深まり、Aリーグと併せて行なわれていたジュニアリーグも12月の始めに閉幕(関学は2位)。チームとしては、残すはAチームが選手権を闘うのみとなった。そこでは、トップチーム以外のメンバーが、出来る限りのことを尽くし、試合に出るメンバーたちの背中を押す。


 その貢献は、グラウンド上の雰囲気も押し上げた。主将は微笑む。


 「いま良い雰囲気で、練習もやれている。試合に出るAのメンバーは全力でやってますし。この時期はA2のメンバーが練習台になってくれるんですけど、本当に全力できてくれる。倒す気でね。

 試合がない状況なのに、メンバーの為に、チームの為に、動いてくれる。その人たちのおかげで、やれているのだと思います」


 その一方で、怪我に悩む4回生たちも、ここにきてチームに別の角度からのアプローチを行なっている。対戦相手の分析に加え、それを練習でのシュミレーションに活かすのである。この日、山口祐磨(法4)が手にしていたノートにはびっしりと初戦の相手である大東文化大のラインアウトの図が。FW陣のセットプレーの確認作業において、入念にメンバーたちとやり取りを行なっていた。


 彼らの分析によって、チームとしてはいっそうに準備を施せる。その点に関して、主将は感謝の意を込めて、こう話す。


 「4回生の怪我人とかが分析してくれてどんな特徴があるのかとかを。夜遅くまでやってくれている。それらをメンバーに落とし込んで。向こうの穴もありますし、どんな特徴があるのかも掴めている。今日の練習でもキーマンを想定したり。良い対策は出来ている」


 分析の賜物。実際に体験してみることで、分かることがあるのだ。ディフェンスの間合いなどはその好例。グラウンドではこんな場面も。


 「9番、12番が警戒されるなかで、すごく9番が動いてくる。今日、抜かれたんですね。ゲームでも実際にあるな、と。けど、気付かされて、同じことはしないと。そこで経験しているのは大きいです」(畑中)


 チーム一丸となって、対戦相手にFOCUSを当てる。プレー面でのシュミレーションは充実たるものであった。だからこそ、主将は語気を強めた。


 「絶対、勝てるという確信はあるんで。過信とかではなく、『こうしたら抜ける』『こうしたら止められる』がある」


 初戦の大東文化大は、これまでに対戦経験が無い、いわゆる未知の相手。それでも万全たる対策を踏まえ、あとは自分たちのラグビーを体現するのみであった。



 12月8日、名古屋市瑞穂公園ラグビー場。ついに大学選手権の火ぶたが切って落とされた。


 畑中組は、まずは自分たちのラグビーをしっかりと繰り出す。常に敵陣でプレーするべく、エリアマネージメントで優位に立つこと。試合開始早々にSH徳田健太(商2)がチャージされるも、こちらリーグ戦で存在感を放ったSO平山健太郎(社4)が大きく蹴り返しリカバリーに成功、エリアを挽回する。


 先制点を奪ったのは、朱紺のジャージ。前半5分、相手陣内に進入すると、FW陣が粘り強く前進しゴールを割った。直後のキックオフで不用意なミスを犯しトライを返されたが、攻勢を崩さない。11分、17分とFB高陽日(経3)が2本のトライを奪う。いずれもマイボールのスクラムからボールをBK陣へ渡らせ、流れるようなパスワークを展開させたものだった。


 ただし、それがあまりにも悠々と成されたことが結果としてチームを盲目に至らしめることになった。


 「こっちのトライをあっさりした感じで取れたんでそんな難しいことはせずに。ゴール前でFWが一発、そのあとBKがぽんぽんと。敵陣におったら取れるなと。

 ただ前半から、つなぎの部分に関しては…フェイズを重ねるという戦術だったのに、焦って早めにボールを回してしまってミスをしてしまった。簡単にトライが取れたぶん、いけると思ってしまった」(畑中)


 一方、ピッチ上で誰の目にも明らかだった部分があった。それは大東文化大のプレッシャーもとい、コンタクトの部分での強さ。関学も組織的なディフェンスで対処するものの、捕らえども相手プレーヤーは一歩二歩と前に踏み出してくる。衝突時に生じる衝撃は着実に、防御網を突き破らんとしていた。それでも、WTB金尚浩(総政3)が外国人LO(188センチ、110キロ!)に正面からぶち当たって止めるシーンも見られたが。


 前半が終わり、17-12とリードはしていた。しかし、序盤こそスムーズに回転していたかに見えていた歯車は本来のスピード以上を求めたがゆえに磨耗を起こし、加えて外からの圧力でゆがみつつあった。


 むかえた後半。早々でナンバー8徳永祥尭(商3)が相手のノックオンを誘うタックルを見舞うなど、相手のプレッシャーを食い止める。が、ペナルティも多くなり、事態は悪くなる一方。自陣に釘付けにされ、モメンタムは大東文化大が手にしていた。


 ディフェンスが、転じて受身につながってしまった理由について主将はこう振り返った。


 「一対一のフィジカルで負けていた。身構えてしまったんですね。来るな、と思ったときに、タックルがずらされてしまって、追いタックルのような形にも。タックルミスもすごくありました」


 外国人選手のみならずフィールドプレーヤー総じて、接点の部分で上回られていた。ならばと、リアクションの速さでカバーしたいところではあったが、アタックのテンポに関して想定以上のものがそこにはあったという。タックルの精度不足による隙も、相手のペースを加速させる要因になった。「何とか止めれていた」(畑中)後半開始、しかし10分にはトライを許し逆転された。



 不運もあった。試合を通じて、プレーに関してレフェリーとの間で見解にズレがあったのも事実。ブレイクダウンの場面で、えてしてノットロールアウェイ(故意に倒れたままの状態でいるというもの)の反則が取られたのはそのため。やがて度重なるジャッジの結果、後半14分にはFL竹村俊太(人福3)がシンビン(一時退出)の対象となった。


 敵の攻撃をはね返すこともままならず、人数も減る事態。メンバーチェンジも繰り出したが、打開策を見つけることも出来ずに、そこからはコンスタントに得点を許す。歯車の動きは、完全に止まってしまっていた。


 最終的に後半で5本のトライを喫し、スコアは24-45。圧力に、屈した。


 これが大学選手権、これが畑中組の現在地である。試合後に「シンプルに実力差があった」と主将は唇を噛みしめた。ゲームに臨むにあたり、勝利への道すじは出来上がっていた。だが、事実としてピッチ上にあったのは、予想を上回る実態。コンタクト、スピード、プレーの精度。関東の大学との差を再認識させられた敗北だった。


 けれども、次なる戦いは迫っている。期するものを挙げるならば。これまでのリーグ戦でも見られたように、『気づき』を形に変えてきたという部分。大学Aリーグを総括し「学んだんで、同じことは起こらない。起きないように、僕自身もチームも日々、成長しています」と畑中は述べた。準備の重要性、そして相手の力量がいかなるものでも〝勝ちにいく〟姿勢を持つこと。


 第2戦の相手は、全国大学4連覇中の帝京大。その強敵を前に、主将は意気込んだ。


「チャレンジャーとして、何回でも何回でもタックルにいく。飛ばされたとしても、ぶつかっていく。当然、強いと思いますし…かといって『負ける』とも思わない」


 本番では練習してきたこと以上のものは発揮できない、それは悔しくも初戦で判明した一つの定理。だとすれども、どん欲なる勝利への意欲と挑戦者の気概が結合し、闘志となれば―それすらも覆せるのではないだろうか。畑中組は、一世一代のブレイクスルーに、すべてを懸ける。■(記事=朱紺番 坂口功将<広報担当>)

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