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「緑川組~MOVE~」 2011/5

『激情。』第1回

投稿日時:2011/05/22(日) 22:20

 引退特集。朱紺番が書く、緑川組最後の一人は・・・緑川昌樹!

●連載『緑川昌樹 激情』第一回


 表すならば、王道をいくスポ根漫画。その栄光と挫折にまみれた物語のなかで、メインキャストのひとりに、男の名はあった。チームの激闘そして男の姿を記録してきた番記者がつづる、ラガーマン・緑川昌樹の実像。
 

 緑川昌樹、ポジションはHO。東海大仰星高出身。高校生次、キャプテンを務め日本一に輝く。
 

 2007年、関学入学。1年目からレギュラー入りを果たす。主軸として活躍し2年生次、チームは51年ぶりの関西制覇、翌年2連覇。大学生活の最後の年、2010年度関学ラグビー部主将に就く。


 彼に初めて取材を行なったのは彼が2年生のとき。チームが関西制覇に王手をかけたリーグ最終戦を控えた数日前のことだ。スタメン全員にインタビューを行なうという企画のなかで、彼とのファーストコンタクトが生まれた。


 まだ下級生でありながら、漂わせている風格はやはり〝大物〟といったもの。目つきはするどく、こちらの質問には少し答えを選ぶように間を置きながら口を開く。その場で抱いた、畏敬。どこか萎縮する私がいた。


 だが、それまでの試合や練習を通じて見てきた彼の姿からは、違ったイメージを持っていたのも事実。プレー中は激しく人に当たっていく。密集のなかでは相手プレーヤーを蹴散らす。トライや勝利の瞬間には笑顔をはじけさせる。試合に負ければ、顔をくしゃくしゃにして涙する。自分の気持ちに正直な、ストレートなアスリートだろうと解釈していた。


 イメージのギャップ、持ち合わせる2面性。双方をうまく折衷していくことがラガーマン・緑川昌樹との付き合い方であった。やがてシーズンが移り変わり、私は関学ラグビー部の番記者としてチーム、そして彼と深く関わっていくこととなる。


Kosuke Sakaguchi

 2009年、番記者として取材を重ねていき、それまでに抱いていた緑川像はより確たるものになった。やはりストレートな人間。ただ単純に、勝ちたいんや、と。だからこそ、学年に関係なく思いをぶつけていた。試合後の話し合いでは、先輩へ忌憚なく意見を述べる。後輩へのアドバイスも辞さない。身振り手振りで、熱っぽく助言する。「上手くなって欲しいからね」。


 後輩・緑川と先輩・緑川。3年生次の彼が戦う理由を、一度だけ拾ったことがある。2009年12月20日、大学選手権1回戦。同志社大を再度下し、その試合で緑川は同点トライを挙げていた。そこでの一言。


 「(トライは)みんなのおかげ。FWで3回生が僕だけなんで4回生を胴上げできるように」


 関学史に残るであろう『超重量級FW』で背番号2は、自分を率いてくれている先輩たちへの感謝とともに戦っていた。


 その1週間後、シーズンの終わりが到来する。選手権2回戦、明治大に完敗。途中交代した緑川はベンチで天を仰いでいた。顔を両手でおさえながら。勝てなかった。いつもそうだ。悔しさが胸の内を支配するとき彼は涙する。



Kosuke Sakaguchi
 

 次のシーズンはまもなくして訪れた。終わりがくれば、新たな歩みが始まる。学年を一つ重ね、彼は主将に就いた。『緑川組』発足。私も縁あって番記者を続けることとなった。それまでも学年関係なく自らキャプテンシーを発揮してきた男が、立場を変え周りからそれを求められるときに、どんなリードを取るのか。また、彼の真骨頂である勝利への妄執はラストイヤーに果たしていかなる結果をもたらすのか。沸きあがる興味と、結末を見届けるという決意を持って私はペンを握った。

(続く)



Kosuke Sakaguchi

※大変お待たせしました。私事により掲載が遅れたことをお詫び申し上げます。新チームが成果を上げていくなかで、水を差す形になってしまうかもしれませんが、務めさせていただいた番記者の、緑川組への最後の仕事として、執筆させていただきます。次回掲載もなるべく早く出来ればと考えております。どうぞお付き合いください。 朱紺番 坂口功将

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