「緑川組~MOVE~」
『激情。』最終回
投稿日時:2011/08/14(日) 22:12
●連載『緑川昌樹 激情』最終回
見届けた、その闘いを。そうして次の舞台が訪れた。新たなる一歩を踏み出す前に、最後のキャッチボールを。緑川昌樹と番記者のラストインタビュー。
取材の本数は、数え切れない。それらを書き記したノートも、複数にまたがり本棚を支配する。そのなかの、一人のラガーマンとの取材録を振り返る。ちょうど一冊のノートの締めくくりを飾ったインタビューがある。それは、知りたかったこと、聞きたかったこと、すべてをぶつけたもの。これが最後と、決めて臨んだインタビューだ。
Sakaguchi Kosuke
もとより、無類の目立ちたがり屋だ。注目されたい。取材?撮影?喜んで。
けれども、ひと度その場になると、厳しくなる。言葉を選び、ときに熱っぽい、ときに尖った、台詞を口にする。それはラグビーへの思いの表れゆえだろう。
そのラガーマンとの付き合い方のなかで、私はひざをつきあわせるときよりも、学校とグラウンドを行き来するわずか5分ほどの時間を貴重にした。ほとんどは他愛もない雑談だったが、ふいに彼は本音を口にするのだ。例に挙げれば9月の青学戦。夏を経てなかなか勝てない状況にプレッシャーが襲ったこと、前日酒をあおり就寝したこと、坊主頭すら覚悟したこと。これこそが、緑川昌樹の丸裸の姿。
そして、私自身が最も胸を熱くし、この男の闘志の源泉だと感じた台詞が聞けたのもこの時間。
「優勝したら…オレが関学に来た意味がある」
ぼそりと、つぶやいたこの台詞を私はそっと取材ノートに走り書きした。
Sakaguchi Kosuke
年を越すことなく、緑川率いた緑川組は闘いを終えた。それから、しばらく時間が経っていた。納会で二言三言は話したが、じっくりと話す機会は無かった。彼の、彼らの闘いを見続けた関学ラグビー部の番記者として、締めくくらねばならないという思いがあった。
もう翌月も見えようかという3月の暮れ。居酒屋のカウンターで、〝最後の〟インタビューを行なった。
―4月からの新生活を控え、いまは?
「朝起きて…トレーニング。ウエイトして。友達と遊んだり、あと引越しの準備も」
―ラグビーしつつ、遊びつつ?
「そうそう」
―しばらく経つけど、関学ラグビーを考えることは
「もう無い。懐かしいな思うけど、もう終わりなんやなって…」
―次のことで
「頭いっぱいいっぱい」
―4年間を振り返って、関学で得たものは
「人間形成と、最後まであきらめないこと。
人間形成っていうのは、色んな人がおるなかで…OBの方であったり、後輩・先輩であったり。高校時代はラグビーしか無かったけど、大学はそういう面で難しい部分あるし。色んな考え方した奴がおって、それはそれで面白かった。
あきらめなかったことは、今年のFWがその典型。前の年から7人が抜けて、どうする?と言われてきたなかで…けど、あそこまで完成した。自信になったし、まだまだやれる、出来るんやなって。あきらめなかった結果が、あれだったと」
Sakaguchi Kosuke
―2年生次にチームは関西制覇。このことに以前、『想定より1年早かった』と話していた
「ステップがあるわけで…それまでの関西5位が、あれだけになったのか!というのが。ディフェンスがホンマ頑張って、ここまでいけたのかなと。2年くらいかかるかなと思ってた」
―実際は2年目
「嬉しかったスよ!そりゃあ。同志社に勝ったときとかは嬉しかったし」
―その優勝の時の祝勝会で。いま思えば失礼やったけど、『高校の日本一と比べてどう?』って聞いた
「敵わんな~あれには。比較するわけじゃないけど、大きいことやし…。あの感覚は忘れられない。けど、関西制覇も忘れられない。そのときそのときで良いことあるし、それぞれの良さがある」
―やるからには…
「トップ目指さんとね!
全国制覇したいから東海大仰星に入ったし。ただ『負けたくない、勝ちたい』。
大学も、入学したときは関学は頂点目指せるチームや無かったし。やるからには、そういうチームにしたかった。だから、嬉しかった」
―プレーヤーとして、ずばり負けず嫌い
「負けず嫌い…かな…。横の奴に負けたくないってこと。
仰星時代がレギュラー争い凄かったから。僕らの一個上の代と、自分たちの代は層が厚くて」
―強い相手との対戦も、望んでいるように感じる
「弱いとことやってもね。
対戦するときは、『相手が強い』と思わんようにしてる。思ってしまったら潜在意識でプレーが縮こまってしまうから。びびったら負け! 実際は、びびってまうけどな(笑)」
―『オレらは強くない』。その台詞は、言う方としては辛かったのでは…
「強くなかったよ!強かったら優勝してるやろ。『強い』と言うてたら、そうイメージしてまう。『強くない』と言うことでね」
―現実との葛藤はあった?
「最初は仕方がない、と。最後(リーグ戦、選手権)で頑張れれればいいと思ってたから」
―黒星が先行する1年のなかで『勝てるゲームやった』と、よく話していた
「慢心、とかあったと」
―緑川昌樹…涙、のイメージがある
「勝手に出てきただけ。勝てなかったときは、『何してるんやろ自分』って。近大戦のときは、ずっとボーとしてた思う。オレの力不足で…現実逃避してたかな」
―いつも取材するとき、『トライへの意識は無い』と言ってたけど。それは謙虚さから?
「前にトライラインがあったら、そりゃあいくよ! モール以外からでも取りたかったし。トライに対して貪欲といえば貪欲かな」
Sakaguchi Kosuke
―春からトップリーグでのプレーが始まる。そもそもNTTドコモ入団の決め手は?
「むこうが、一所懸命に誘ってくれて。一番最初に声をかけてもらったチームだった」
―それもトップリーグという舞台
「嬉しい。それも1年目から」
―どんな印象を持ってる?
「ええチーム!選手も雰囲気も」
―目指すものは
「1年目から試合に出れるように努力することかな!」
―どんな気持ちで臨む?
「初心に戻って…自分のことが先決。まずはレギュラー、チームのことはそれから。高校1年生の頃に戻れるかな」
―社会人になってもラグビーを続けることは想像してた?
「ある程度は。ラグビーでご飯食べていこうとは思わなかったけど」
―プロチームとかでなくてもラグビーは続けてた?
「たぶん!」
―ありきたりな質問になるけど…緑川昌樹にとってラグビーとは
「人生を変えてくれたスポーツ。昔はサッカーもしとって、それからラグビーして…ラグビーで生きてきた、かな。それは、これからも一緒。日課!!」
Sakaguchi Kosuke
おそらくは朱紺番として臨む最後の、『関学ラグビー部』緑川昌樹へのインタビューも、終わりをむかえた。どうしても聞きたかったことがあった。それは、あのとき耳にした台詞への、彼自身の思い。
―かつて『優勝したら…オレが関学に来た意味がある』と口にした。その言葉を、いまこうして引退・卒業して、自身はどう捉えている?
「自分の立てた目標に立てなかったのは…まだまだってこと。それが課題かな、と。
周りのみんながどう思っているか分からんけど、まだまだ。『頑張った』と言ってくれる人とかもいて。やり切ったけど…これが結果。正直、どうやったかなと。
やりたいことはやらせてもらったし、関学で良かった」
―次の、新たなる目標へむけて
「まずは、ね。清原(元プロ野球選手)さんの本に書いてたんスけど、『目標のない人生なんて、どうなるか分からん』って。…かっこいいね」
常に、目指す場所がある。そこへ進むのみ。それが、緑川昌樹の生き様。
そのなかで朱紺のジャージをまとい闘った4年間を見届けたことを私は嬉しく、そして誇りにも思う。
最後に。選手の本音を聞きだすことは、最大の壁である。その点で、トライをあげ勝利に大貢献した試合であっても、彼は素っ気なく答えるのみだった。「トライへの意識は…全然。たまたまです」。それは定番。けれども、ラストインタビューでようやく答えを聞けた。ラガーマンのなかでも、トライゲッターとしての一面をのぞかしてくれたのだ。それが嬉しかった。
後日、取材をしたときと同じ居酒屋で、置いてあった本をふと開いた。そこに書かれていた、哲学者・ニーチェの言葉。
『勝利に偶然はない』
「勝利した者はもれなく、偶然などというものを信じていない。たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしてもだ。」
そう、彼が見せたプレー、そこから生まれた結果は、確かな裏づけとともに当然のものとして、そこに在ったのだ。それを私たちは目にしてきたのだ。
いま緑川は、次の目標にむかって歩んでいる。そこでもやはり自身を見つめ、琢磨していくだろう。
激情に馳せた闘球の道は、「まだまだ」―続いている。■
Sakaguchi Kosuke
◆緑川昌樹、ポジションはHO。東海大仰星高出身。高校生次、キャプテンを務め日本一に輝く。
2007年、関学入学。1年目からレギュラー入りを果たす。主軸として活躍し2年生次、チームは51年ぶりの関西制覇、翌年2連覇。大学生活の最後の年、2010年度関学ラグビー部主将に就く。