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「緑川組~MOVE~」

『ネクストステージ。』『あの作戦が誕生した瞬間。』

投稿日時:2011/03/18(金) 02:13

 一挙2本だて公開。関学に君臨したスピードスター長野直樹(社卒)の引退そして卒業、くわえて体育会功労賞受賞を記念しての特集記事をお送りします。

●ラストインタビュー『ネクストステージ。』


早稲田大戦が終わってから、すっきりとした表情を見せていた。そのわけは

長野何やろな試合やってて楽しかったんで。早稲田相手に関学らしいラグビーが出来たっていう達成感が。日本一の目標立ててやってたぶん、悔しい気持ちはあったし。試合終わって4年間が終わって、関学ラグビーに携われて良かったっていう気持ちが、悔しさを上回ったんだと」

 

3年生次は瑞穂で「不完全燃焼」と口にしていた。晴れて違う思いに?

長野「3年生で臨むのと4年生で臨むのでは、懸けるものが違ってた。特別な思いが」

 

いまでも関学ラグビーを思い出す?

長野「つらかったことも笑い話にしたりで(笑)。全部良い思い出になってる感じっス」

 

ラストイヤーはタックラーとしての活躍が目立った(以下に、特集記事あり)。トライゲッターとしては

長野「納得はしてませんしチームが劣勢のときこそ、流れを変えるランニングをしなければならないはずだったのに。残念な結果だったと。

 自分の実力不足それ以外の何ものでもない!」

 

高校からラグビーを始めて7年間が経った。振り返って後半の4年間、大学を通じてラグビーへの見方は変わった?

長野「高校3年間は良くも悪くも指導者についていくラグビー。大学では、自主的にやるラグビー。

 ラグビーっていう競技に対する視野も変わったし、いっぱいレベルの高いラグビーを見ることが出来たので奥深さも学んだ」

 

関西制覇やU20、セブンス、腕の怪我などを経験したが、そんな4年間は想像してた?

長野「正直言うと、高校から大学進むときは漠然としてて。校舎が移動したくらいと思ってた(笑)。こんなにある、とは思ってなかった」

 

特に印象に残ってることを挙げるなら

長野「ありすぎて困るんスけどグラウンドで練習して毎日、っていうのが一番かな」

 

ならば印象に残っているプレーは

長野(いっぱいあるけど、どれやろな)福大戦の大学生活最後のトライ。リザーブの選手が出てきて、BKの若い後輩たちも『長野さんに回してトライ取ろう』って。リザーブが全員ボールタッチして、最後に一番外でボールもらってゲットしたトライです。

 あと、大学3年生のときの明治大戦。折目からパスもらって取ったトライ。つないでもらった、意志の詰まったボールで。あのトライが印象に残っています」

 

いわば攻撃の最後を締めたトライ

長野「それこそがWTBの仕事やなと」

 

▲2年生次、関西リーグ戦初制覇を遂げた天理大戦でのトライシーンのこのカットは、その後、長野の代名詞ともいえるほど有名になった
 

4月からサントリーへの入団が決まっている

長野「日本一のチームでプレーしたい、それだけ」

 

ポジション上、サントリーのBKについてはどんな印象を持っている?

長野「挑戦できる素晴らしい選手ばかり。レギュラー争いできるのは幸せです」

 

先輩の西川(征克=社卒=)から何か言葉をもらったりした?

長野「充実してる、とおっしゃってたんで、それを信じて入社したいっス!(笑)」

 

トップリーグで目指すは

長野「もちろんレギュラーになって日本一になることっスね」

 

WTBとして高めていきたい部分はある?

長野「上のレベルで勝ち残っていくには短所を補うよりも、長所を伸ばしていくことのがベスト。スピードとランニングスキルを磨いていきたい。

 まだまだ速くなると自分は信じているし、トップリーグで一番速いくらいにならないと、サントリーというチームで試合には出れないと」

 

プレーヤーとして、どこまでやっていきたい?

長野「あまり区切り決めたくないんスけど全力でプレーが出来なくなったら、それが最後かなって」

 

そもそも大学でラグビーを辞めることは

長野「考えなかったスね。ラグビーをやることになるんやな、と漠然と思ってた。きっかけはトップリーグの選手とセブンズでプレーすることがあって、ラグビーへの姿勢を目の前にして。この人たちみたいになりたいと思ったのがきっかけ。そのときの気持ちを信じて、やってきました」

 

納会の壇上でも話題に挙がりました。自分自身、日本代表への思いは

長野「もちろん、そこを目指してやってますし。W杯、オリンピックももちろん。ラグビーをやっていくうえで、トップのレベルでやっていく人間はそこを目指していくべきだと思うし。そこをモチベに頑張りたいと思います!」

(取材=3月14日/構成=朱紺番 坂口功将)


●『あの作戦が誕生した瞬間。』

 おそらく私はその瞬間を知っている。失意に苛まれながらも、浮き上がった反省点から新たな策をチームが考え、そうして一つの答えを導き出した瞬間を。緑川組がリーグ戦で講じた作戦それはエースWTBを、通常とは異なる目的で〝走らせる〟ものだった。


 レフェリーが笛を鳴らし、キッカーは地面から跳ね上がった楕円球を蹴り上げる。ボールは敵陣へ。落下地点で、蹴られた側の選手が捕球体勢に入る。ボールは胸のなかにその刹那、ものすごいスピードでぶつかってくる衝撃が襲う。敵の攻撃は狂わされた。


 緑川組の戦いを振り返って語るに、幾度と見られたこのシーンを外すわけにはいかないだろう。キックオフ時の仕掛け。キッカーが蹴り上げた場所めがけてWTB長野直樹が走り、タックルを見舞うというもの。


 この作戦が誕生したわけとは。話は8月下旬にさかのぼる。


Sakaguchi Kosuke

 夏の日差しが照りつける。だが、高地とあってか、どこかすがすがしさも覚える気温。緑川組はここ長野県菅平高原で合宿を行っていた。


 他校との練習試合が多数組まれ、実戦経験が積める格好の舞台。そこで関学とりわけAチームは、苦戦していた。連敗を重ねていたのだ。そうして合宿も後半に差しかかり、関東勢のトップクラスとの3連戦へ。8月24日の帝京大戦では、前年度大学王者とFW真っ向勝負を演じ、接戦のすえ負けを喫するも、手ごたえは十分に得ることが出来た。ここから上昇気流に。士気も高まり、長らくの念願かなった早稲田大との対戦に胸をふくらませた。


 しかし、無残なほどの大敗を喫する。ただ90分間、相手の攻撃をあびるだけの敗戦。相手との圧倒的なプレーレベルの差を見せつけられる。帝京大戦を通して高まった自信は一転、絶望感に似たショックへ変わった。


 失意は次の試合にも連鎖した。27日の東海大戦。内容は、早大戦と同じと言っていいもの。成す術なく完敗に終わった。


 チームは、沈んでいた。ふがいない戦い。猛暑下での連戦による疲労もあっただろう。けれども、それを超越するほどに心が砕かれていた。喫した敗北は受け入れるしかない、が、活路を見出せずにいた。東海大戦が行なわれた晩、Aチームのミーティングでは、みなが表情に影を落としていた。


 「FWに関しては早稲田、東海には出来てない」と主将・緑川昌樹が吐く。長野も続く。「春からやってきたことBKは出来てへんな」。


 スローガンである『MOVE』ラグビーを目指し、シーズンを過ごしてきていた。FWはセットプレーの強さと安定性を、BKは一対一やコンタクトプレー、プレッシャーのための前に出るディフェンスを磨いてきた。しかし、この2戦では生命線が絶たれ、何も出来ないままの、加えるなら、何も掴めない敗戦となってしまった。


 ミーティングが始まってから、しばらくの時間が経った。Aチームのメンバーの大方が口を開き、コーチ陣に振られる。萩井好次HCに出番が回る。実力差が明確になったと話したのち、ホワイトボードにマーカーを走らせた。記したのは2つの数字。


 『15 12』


 上下に描かれた2ケタの数字。萩井HCが部員に問う。「この数字が何か分かるか?」


 しばらくの沈黙が流れ、名指しされたSH芦田一顕が答える。「トライ取られた数


 萩井HCは軽くうなずいてから答えを言った。「近いけど。これは、この2試合でのマイボールのキックオフの回数」。


 ホワイトボード上の、簡略化されたグラウンドの俯瞰図に円を描き黒く塗りつぶす。円の場所は、ハーフウェイラインから見て10メートルラインを少し越したあたり。


 「いま関学が蹴っているのはここ。キックオフのこの場所で受けるプレッシャーで、相手はFWの強さを見極める。東海なんかは、そう。今日の試合では向こうは思ったはず、『あぁこんなもんか』と。


 全然攻め切れてないし、足も動いてない。(2試合で)15回12回蹴って、15回12回トライを決められている。全部、良い結論につながっていない」


Sakaguchi Kosuke

 目的なきキックオフ。名づけるなら、これまでのプレーはそれだ。ただリスタートさせるだけのもの。もちろん、これまでFW陣は果敢に落下地点へ駆け込んでいた。だが、結果として表れなければ意味がない。「それに気づかず指摘してこなかったオレらコーチ陣の責任でもある」と萩井HCは述べた。


 さて課題が浮かんだ。となると、話を突き詰めるしかない。キックオフに目的を持たせる必要がある。現状打破、それは迷い込んだ暗闇に差した一筋の光。


 一旦パートに別れてFW、BKそれぞれで話し合う時間が設けられた。FW陣は、ホワイトボードを囲み、キックオフ時の議題について考えていく。キックオフの際のオプション、蹴りこむ位置の具体性。挙がった場所は2つ、とにかくゴールラインに近い最奥、もう1つは10メートルラインと22メートルラインの間のサイドライン際。それぞれに、いかなるボールを蹴り上げるか? ハイボール? ディフェンスは? 面で上がる? 様々な案が出るなか、その際のタックル役に男の名前が挙がった。「長野を走らせたら?」


 なるほど、たしかに効果的だ。スピードは申し分ない。キックオフからボールの落下地点で敵をし止めることが出来れば、ゲインを抑えることにつながる。


 それでも、むろんFW陣なかでもLOにも奮起してもらわなければならない。大崎隆夫監督(現・総監督)が説く。「関学のLOはチームを代表して体を張ってもらわなあかん。いけるか?」。臼杵、藤原になげかける。自身も現役時代は同ポジションだったからこそ、期待を寄せる。それが結果的にインパクトプレーヤー・LO山本有輝(文卒)の再臨を決定づけることになるのは、まだ後の話だ。


 煮詰まってきた。キックオフ時に猛プレッシャーをかける、と。パート別から全体の話し合いに変わり、FW陣でまとまった案をBK陣にぶつける。『長野を走らせる』案も公開された。


 キーマンに指名された当の本人は供述する。「やったことないプレーやったんで、最初はすごい不安だった。自分は物事を深く考えない方なんで、求められたら、やるしかない」


 かくして全国屈指のスピードスターを活用する緑川組の作戦が編み出された。


Sakaguchi Kosuke

 菅平合宿の終盤で、チームは秘策とともに進化するきっかけを得ることができた。もとより手にしていた武器。違う使い方をしてみよう。飛び道具、それもとびっきりの矢だ。それからリーグ戦開幕までの約1ヶ月、陽の目を見ることがなかった。9月の青学大との定期戦では長野が欠場したことや、それ以外で大学同士の対戦が無かったことも理由にある。実戦の機会がリーグ開幕戦となった。
 

 作戦の内容は冒頭のとおり。キーマンは2人、キッカーのCTB村本聡一郎とタックラーのWTB長野。リーグ戦開幕を直前に控え、村本は力強く話した。「任されている感じが。(キックオフは)いつも蹴ってるし、キックは高く上がるんで。大丈夫です!」。大役を任された相方に、長野は全幅の信頼を寄せていた。「とにかく奥に蹴れ、と。あいつのキックの高さと距離があってのキックオフ。(作戦は)一緒に積み上げていった成果です」


 こうして始まったリーグ戦、開幕戦ではビッグヒットこそ無かったものの明らかに意図していることが形となって表れていた。村本が蹴る、長野が差す。第2節・京産大戦ではゲーム開始のファーストプレーでタックルを見舞うと、失点後のキックオフでも猛プレッシャーをかけ相手の反則を誘った。やがて試合を重ねるごとに命中率も高まっていく。観客も見所として捕らえるようになったからか、ボールが空中を漂っている瞬間は息をつまらせ、落下するにつれ歓声を上げた。一方で効果的な策が確立されてくると、目立つぶんマークは厳しくなる。リーグ戦を経るにつれ、長野はこぼしたことがある。「ほんま邪魔」。自らのコース取りの悪さを疑いつつ、ボールの落下地点までに相手プレーヤーが障害となってくる点に窮屈さを覚えていた様子だった。敵も、むざむざタックルをあびるのは御免と言ったところか、対抗策を講じてきていた。


 それでも効果はばつぐん、チームが戦火をくぐりぬけていくなかで、この作戦は攻守ともに1つの基点になった。


 「例えばゲームの入りが悪いチームがあったとして、そのチームが何で波に乗れるかとなると、最初のワンプレーでのビッグプレーやビッグタックル。

 自分が決めることが、チームを波に乗せることにつながる」(長野)


 放たれる背番号『14』という矢の威力は絶大。その活躍に、歯がゆさと羨ましさを口にしたのはLO山本だ。キックオフ時のタックルは、彼の十八番でもあった。インパクトプレーヤーとしての嫉妬を交えながら、「でも、長野のおかげでタックルいきやすい!」と山本は目を輝かせていた。たとえ長野のタックルが外れたとしても、相手プレーヤーの動きは止まる。そのぶん次の動きが読みやすくなる。そうなれば狙いすましたタックルを見舞えると言うのだ。この先輩LOの存在に「全部、自分が倒す気持ちでいてました。ミスを恐れずいけたのは事実。その点で助かりました」と後輩WTBは話した。


Kwangaku sports

 緑川組を象徴する作戦であった、キックオフ時の猛プレッシャー。賛否両論はあった。エースWTB長野の使い方如何について、否定的な意見がスタンドで上がっていたのも事実。おそらくはコンタクトプレーである以上、怪我の心配もあっただろうし、外で待ってこそがWTBの本分であるから。だが、それを本人に問うたところで突っぱね返されただろう。この作戦について後に長野はこう語っている。


 「(作戦遂行にあたって)タックルを磨くとかの意識はなくそれよりも副将として、まわりを助けるプレーをしようと心がけていた。それを突き詰めたら、体を張ることに行き着いたんです」


 シーズンが終わり、納会の席でも長野は「新しい自分を見出せた」と振り返っている。さらなる可能性が引き出されるなかで、使命感を胸に、稀代のスピードスターは駆け抜け、そして猛然とぶち当たっていったのであった。

(記事=朱紺番 坂口功将)

※次回、主将・緑川昌樹への特集記事を予定しており、それをもって当『緑川組ブログ MOVE』は完結します。取材日程の都合上、掲載時期が遅れることを深く申し上げます。どうか、あと少しだけお付き合い下さい。ご覧の皆様、よろしくお願いします。 朱紺番 坂口功将