「緑川組~MOVE~」 2011/2
『スピリッツ』vol.36
投稿日時:2011/02/09(水) 16:25
朱紺の闘士たちよ、強くはばたけ!2月5日に納会が行われ、緑川組の4年生たちが引退した。そのなかで、卒業後もラグビーを続ける者たちは高らかに『闘球宣言』。活躍を誓った。

【楕円闘球宣言】
近年の関学ラグビー部の選手レベルの高さがうかがえる。今年も卒業後に第一線でプレーを続ける者がいる。納会で進路報告とともに活躍を誓った。
トップリーグのなかでもトップクラスのチームに入団するのはWTB長野直樹(社卒)だ。去年のFL西川征克(文卒)に続く、サントリーへの入社。スピードは言わずもがな、プロの舞台でも豪脚がうなりを上げるか期待が集まる。納会の壇上では、父親から「ジャパンを目指してほしい」と言われ、笑みを見せた。
主将・緑川昌樹(商卒)は、対戦経験もあるNTTドコモへ。こちらも先輩・松川太郎(経卒)がおり、チームからは2年連続の入団となる。先日トップリーグに昇格したばかりだが「出ないとトップリーガーじゃない」と自らに厳しく課す。高校、大学と下克上の道を歩んできた緑川はこれからも〝のし上がり〟を実現していくか。
主将・副将に対して「苦労せんとトップリーガー入りした」と皮肉まじりの冗談で会場を笑わせたのはSO渕本伸二郎(社卒)。トップイーストの栗田工業への内定が決まっており、「ぼくがトップリーグに上げます!」と高らかに宣言した。なお一つ上のWTB片岡将(総卒)も卒業にあたり同期入団する。
一方で、プレー続投を口にした部員も。LO林真一(文卒)は「もう辞めるつもりだったけど…早稲田戦でちょっとしか出れなかったので」と悔しさから、だ円球への思いを馳せた。
関学での4年間を終え、新たな道へ進まんとする緑川組のメンバーたち。朱紺の闘志を胸に、それぞれの道で闘ってくれることを皆が願っている。■
◆主務・松村 かんじゃった…
主務として挑む最初の一大行事に硬くなったか。納会で司会を務めた松村宜明(法4)が「主将」を「すしょう」とかんでしまった。会場の温かいムードに救われ、事なきを得た。「これだけデカイ行事。話させてもらえるのは光栄」と語ったのち、「次はちゃんと言えるように」と意気込んだ。
『心はいつもグラウンドに。』
投稿日時:2011/02/06(日) 00:04
幕を閉じた『緑川組』。そのストーリーは、舞台裏で己の役割を果たしていた主務・橋本憲典(商4)の演出なくしてありえなかっただろう。彼が見た、関学ラグビー部の真髄―。

―あれから1ヶ月経った
橋本「これまでやってこれなかった勉強中心の生活。テスト勉強もしつつ、就職活動もしつつ」
―ラグビーのこと考えたりは
橋本「たまに。気晴らしに、今までのゲーム見たりしてるんスけど…。最後の試合は見てない。終わって1ヶ月くらいしか経ってないんスけど、感情がこみ上げてくる」
―最後の試合…早稲田大戦。どんな気持ちで臨んだ?
橋本「夏、あんだけボロ負けして(5-99)…大学選手権という大きな舞台でリベンジするチャンスもらったんかなと。結局、帝京大が優勝したけど、大学一の存在。夏と心境は変わらなかった。日本一にむけて近道はないんで、やるしかない、と」
―試合を振り返って
橋本「正直、いけるんじゃないかと思った。試合中の印象としては、前半我慢してて。あれだけスタート悪い関学が、力出せた。
最終戦になったけど、自分たちの『MOVE』が凝縮された、やりたいことが出来た」
―終わった瞬間は
橋本「トーナメントなんで…。負けたときは引退の実感が無くて。グラウンドに立ってる仲間が涙してるのを見て、これで終わりなんだと実感した」
―早大戦のビデオはいつ見れそう?
橋本「いつか、ふとしたトキに見たいですね」
―ちょうど1年前。ラストイヤーに臨むにあたっては
橋本「チームとしては、去年の先輩たちが果たせなかった目標を果たしたい。
個人的には、同期のマネージャーがいなくて、トレーナーには力強い仲間がいて。正直、下の子らに負担かけてしまうと思ってた。
チームが日本一を目指すうえで、スタッフも日本一にならないといけない。ぼくらは学生主体のなかで、勝っていこうと」
―目指していた〝主務〟像はあった?
橋本「ぼく自身は管理する立場に回って、下の子らに動いてもらって。毎年チームが引き継がれるたびに、ばたばたするんで…これからの関学のスタッフの形を作るために、下の子らを中心に動かして。
小島さん(前年度、主務=文卒=)から電話かかってきて『自分から動いちゃダメ』と言われた。動いてしまうのは、うまく回ってないことなんだと」
―確かに菅平合宿では別グラウンドで行なわれるAチームの試合の方に、副務の松村(宜明=法3=)を帯同させたりしていた。それは狙ってのこと?
橋本「そうですね。あいつもマネージャー1年目なんで、知ってもらう意味でも。上のチームに帯同させたりして、あの子を中心に。主務になったときに、この1年間やってきたことを明確に思い出せるんじゃないかと」
―主務業の大変さを挙げるなら
橋本「選手と遠い距離で仕事するのが多くて。グラウンドにおりたいのはあったけど、仕事に追われてるときとかは行けなくて。寂しかっただけスけど(笑)」
―夏の早大戦など、例年とは異なるマッチメイクが見られた
橋本「最後に早稲田とやったときに、夏にやれたから物差しが置けて。どの程度なのか、って。一回肌を合わせることが出来たんで、目標を明確にしやすかった。夏の時点で強い相手とやれたのは、チームのためになったと」
―春シーズンは結果が奮わなかった
橋本「大丈夫かなって思いしかなくて。関学って強いチームじゃない。ぼくらの代が、かつての関西5位を知っている最後の代。若いメンバー主体のチームで、それを伝えるべきだったと。それが春の反省点。感覚がマヒしてたと思います」
―夏はAチームは1勝も挙げられず。リーグ戦をむかえては、どんな気持ちでいた?
橋本「始まる頃は、青学大に勝ったり。負けたけど経験は積んでたんで、不安は無かった。昇り調子がリーグ戦に」
―そのリーグ戦。早くも近大戦で土をつけられる
橋本「負けましたね…。言い出したらキリが無いんスけど、なめてかかってた部分はあったんじゃないスかね。あそこで負けて、目が覚めたと思います」
―優勝がかかった天理大戦へは
橋本「勝つしかない。それまでのリーグ戦の結果見て強いなと。チャレンジャー精神で」
―悔しくも関西2位に終わった
橋本「1位にはなりたかったスよ。谷間の世代と言われたオレらで関西3連覇を達成したいという夢があったんで、悔しかったスけど…。それで終わったわけじゃなかったんで」
―あらためて、この1年を振り返って
橋本「楽しかったですね。毎年4年生なったら『しんどい』っていうのを実感しつつ。それも全部チームのためにやってこれたことなんで、やり切った感は強いですね」
―いつも見ていて、とくに関学で行う試合中ではインゴールに位置取って声を出す姿が印象的だった
橋本「試合の前後はバタバタしますけど、試合中なら。ゲームに出れないぶん、みんなと近い位置で応援したかった。
プレーしてたのもあって、選手としての気持ちも分かるし。主務だから、どう、ってワケじゃなくて。僕なりに必死に応援してました」
―そもそも主務には
橋本「2年の終わり。ケガもあったんですけど、僕らの代から3年で副務になる、っていうのが決まって。学年でミーティングしてるなかで、別の形でサポートしてもらいたい、と」
―副務として関東遠征に帯同してたこともあった(09年)
橋本「関東出身ってのもあったし、小島さんが実習でいないのもあって」
―スタッフになってからもプレーしたい気持ちは…
橋本「無いって言ったらウソですね。現実的に体が無理だったんで、そのぶん選手の近くで応援したい気持ちはあった。部員にはモチベーション下がった状態で試合には臨んで欲しくいなかったんで、その意味でも」
―引退試合も色々な意味で大変そうだった
橋本「楽しかったんで良かったです。あんときは緊張しました。大学入ってラグビーは数試合しかやってなくて。選手としての気持ちがよみがえって…あわよくば活躍したいと(笑)」
―仕事を振り返って主務としてのやりがいは
橋本「う~ん…いっぱいあるんですよ。遠征が問題なく済んだり、どこどこの大学と試合組めたり…。毎回の行事が終わるたびに、やりがいを感じて。そのぶん充実してました!」
―引退して後輩たちに伝えたいことは
橋本「関学が強くないってことを。謙虚な姿勢でいてほしい。
これから部員が140、50になるかもしれない。みんなが良い意味でも悪い意味でも自由に出来る。それでも中心には関学が好きって気持ちがあると思うんで、一つの方向に向いて。
弱いということを分かったと思うんスよ。春にあれだけの結果で。おごらずに頑張ってほしい」
―自身から見て、この1年は関学というチームにとって
橋本「チームとして一人ずつ成長できたと思う。成長の1年、でしたね。4年生、頑張ってくれたと思います」
―主務というポジションを通して見えたものは
橋本「部員の数は日本一くらい。それだけ切磋琢磨できるのが、関学独特の色。他大学の話を聞いてたら、コーチが方向性を決めたりで…そういう点で、関学って学生主体なんだなと。
今年は『MOVE』で、身体作りもしつつやけど、走り勝つラグビーを目指して。年々、チームの方針を変えても、同じ方向を向いて目標に頑張っていける。
学生主体だからこそ、が関学の良さだと思います!」
ラグビー部において、主務というポジションが確立されてから、その席に就いた2人目の男。期するものがあったか強豪校とのマッチメイクで〝チャレンジスピリット〟を形としてチーム内に灯し、そして自らもグラウンドに立たずとも戦った。
ある日の関学第2フィールドで行なわれた練習試合でのこと。チームがゴールラインに迫れば迫るほど声を上げた。打破できなければ選手同様に唇をかみしめた。橋本憲典という一人のラグビー部員の闘う姿が、そこにはあった。■(取材/構成=朱紺番 坂口功将)
■橋本憲典/商学部4年生/國學院久我山校/2010年度、主務
『スピリッツ』vol.35
投稿日時:2011/02/01(火) 01:14
体育会フレッシュマンキャンプにおいて30日、ラグビー部の萩井好次氏が講演を行なった。『在り方』をテーマに掲げ、90分のあいだ体育会員たちに説いた。

緊張した素振りなど微塵も見せず、体育会員たちの前に姿を現した萩井氏。「ラグビー部員もいるので、話しにくさはありますが…」と笑みをふくませながら、講演は始まった。
テーマは『在り方』。これまでの1年間を体育会で過ごし、そしてこれから2年目をむかえようとするフレッシュマンたちに、それぞれの〝在り方〟について説いた。話の大筋は、自身の学生時代とリンクさせたもの。苦しいスタートながら転がってきたチャンスを掴んだ1年目、重い故障をかかえながら過ごした2年目などなど。ときには甘い青春話も交え、体育会員たちの聞く耳を集めた。
進行のなかで、いつも指導する現役ラグビー部員たちに質問を振る場面も。この1年間を「感謝してやってこれた。充実した1年でした」とLO臼杵春吉(法1)が振り返れば、次なるシーズンにむけ「先輩に一歩でも近づけるように。実力つけてファーストジャージ着けて試合に出たい」とHO今村次郎(国1)は誓った。「ラグビー部員が視線を逸らす」と会場の笑いを誘いながら、部員たちの発表する姿に萩井氏は満足気にうなずいた。
最後の20分は自身が学生時代に後悔した点をもとに、『文武両道』『主体性』『謙虚さ』を訴えた。90分という限られた時間ながら、内容は濃く、終わり際には万雷の拍手が送られた。「なにか一つでも引っかかってくれたら」と、『在り方』について断定することなく、体育会員たちが各々で導き出せるように諭した萩井氏。「みんなのこと応援しています!」と、これからの体育会を担うフレッシュマンたちにエールを送り、講演会を終えた。■
(記事/写真=朱紺番 坂口功将)
2011年2月
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