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「緑川組~MOVE~」

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『激情。』最終回

投稿日時:2011/08/14(日) 22:12

●連載『緑川昌樹 激情』最終回


 見届けた、その闘いを。そうして次の舞台が訪れた。新たなる一歩を踏み出す前に、最後のキャッチボールを。緑川昌樹と番記者のラストインタビュー。


 

 

 取材の本数は、数え切れない。それらを書き記したノートも、複数にまたがり本棚を支配する。そのなかの、一人のラガーマンとの取材録を振り返る。ちょうど一冊のノートの締めくくりを飾ったインタビューがある。それは、知りたかったこと、聞きたかったこと、すべてをぶつけたもの。これが最後と、決めて臨んだインタビューだ。

Sakaguchi Kosuke

 もとより、無類の目立ちたがり屋だ。注目されたい。取材?撮影?喜んで。


 けれども、ひと度その場になると、厳しくなる。言葉を選び、ときに熱っぽい、ときに尖った、台詞を口にする。それはラグビーへの思いの表れゆえだろう。


 そのラガーマンとの付き合い方のなかで、私はひざをつきあわせるときよりも、学校とグラウンドを行き来するわずか5分ほどの時間を貴重にした。ほとんどは他愛もない雑談だったが、ふいに彼は本音を口にするのだ。例に挙げれば9月の青学戦。夏を経てなかなか勝てない状況にプレッシャーが襲ったこと、前日酒をあおり就寝したこと、坊主頭すら覚悟したこと。これこそが、緑川昌樹の丸裸の姿。


 そして、私自身が最も胸を熱くし、この男の闘志の源泉だと感じた台詞が聞けたのもこの時間。


 「優勝したらオレが関学に来た意味がある」


 ぼそりと、つぶやいたこの台詞を私はそっと取材ノートに走り書きした。


Sakaguchi Kosuke

 年を越すことなく、緑川率いた緑川組は闘いを終えた。それから、しばらく時間が経っていた。納会で二言三言は話したが、じっくりと話す機会は無かった。彼の、彼らの闘いを見続けた関学ラグビー部の番記者として、締めくくらねばならないという思いがあった。


 もう翌月も見えようかという3月の暮れ。居酒屋のカウンターで、〝最後の〟インタビューを行なった。

 

4月からの新生活を控え、いまは?


「朝起きてトレーニング。ウエイトして。友達と遊んだり、あと引越しの準備も」

 

ラグビーしつつ、遊びつつ?


「そうそう」

 

しばらく経つけど、関学ラグビーを考えることは


「もう無い。懐かしいな思うけど、もう終わりなんやなって

 

次のことで


「頭いっぱいいっぱい」

 

4年間を振り返って、関学で得たものは


「人間形成と、最後まであきらめないこと。

 人間形成っていうのは、色んな人がおるなかでOBの方であったり、後輩・先輩であったり。高校時代はラグビーしか無かったけど、大学はそういう面で難しい部分あるし。色んな考え方した奴がおって、それはそれで面白かった。

 あきらめなかったことは、今年のFWがその典型。前の年から7人が抜けて、どうする?と言われてきたなかでけど、あそこまで完成した。自信になったし、まだまだやれる、出来るんやなって。あきらめなかった結果が、あれだったと」

 

Sakaguchi Kosuke
 

2年生次にチームは関西制覇。このことに以前、『想定より1年早かった』と話していた


「ステップがあるわけでそれまでの関西5位が、あれだけになったのか!というのが。ディフェンスがホンマ頑張って、ここまでいけたのかなと。2年くらいかかるかなと思ってた」

 

実際は2年目


「嬉しかったスよ!そりゃあ。同志社に勝ったときとかは嬉しかったし」

 

その優勝の時の祝勝会で。いま思えば失礼やったけど、『高校の日本一と比べてどう?』って聞いた


「敵わんな~あれには。比較するわけじゃないけど、大きいことやし。あの感覚は忘れられない。けど、関西制覇も忘れられない。そのときそのときで良いことあるし、それぞれの良さがある」

 

やるからには


「トップ目指さんとね!

 全国制覇したいから東海大仰星に入ったし。ただ『負けたくない、勝ちたい』。

 大学も、入学したときは関学は頂点目指せるチームや無かったし。やるからには、そういうチームにしたかった。だから、嬉しかった」

 

プレーヤーとして、ずばり負けず嫌い


「負けず嫌いかな。横の奴に負けたくないってこと。

 仰星時代がレギュラー争い凄かったから。僕らの一個上の代と、自分たちの代は層が厚くて」

 

強い相手との対戦も、望んでいるように感じる


「弱いとことやってもね。

 対戦するときは、『相手が強い』と思わんようにしてる。思ってしまったら潜在意識でプレーが縮こまってしまうから。びびったら負け! 実際は、びびってまうけどな(笑)」

 

『オレらは強くない』。その台詞は、言う方としては辛かったのでは


「強くなかったよ!強かったら優勝してるやろ。『強い』と言うてたら、そうイメージしてまう。『強くない』と言うことでね」

 

現実との葛藤はあった?


「最初は仕方がない、と。最後(リーグ戦、選手権)で頑張れれればいいと思ってたから」

 

黒星が先行する1年のなかで『勝てるゲームやった』と、よく話していた


「慢心、とかあったと」

 

緑川昌樹涙、のイメージがある


「勝手に出てきただけ。勝てなかったときは、『何してるんやろ自分』って。近大戦のときは、ずっとボーとしてた思う。オレの力不足で現実逃避してたかな」

 

いつも取材するとき、『トライへの意識は無い』と言ってたけど。それは謙虚さから?


「前にトライラインがあったら、そりゃあいくよ! モール以外からでも取りたかったし。トライに対して貪欲といえば貪欲かな」

 

Sakaguchi Kosuke
 

春からトップリーグでのプレーが始まる。そもそもNTTドコモ入団の決め手は?


「むこうが、一所懸命に誘ってくれて。一番最初に声をかけてもらったチームだった」

 

それもトップリーグという舞台


「嬉しい。それも1年目から」

 

どんな印象を持ってる?


「ええチーム!選手も雰囲気も」

 

目指すものは


「1年目から試合に出れるように努力することかな!」

 

どんな気持ちで臨む?


「初心に戻って自分のことが先決。まずはレギュラー、チームのことはそれから。高校1年生の頃に戻れるかな」

 

社会人になってもラグビーを続けることは想像してた?


「ある程度は。ラグビーでご飯食べていこうとは思わなかったけど」

 

プロチームとかでなくてもラグビーは続けてた?


「たぶん!」

 

ありきたりな質問になるけど緑川昌樹にとってラグビーとは


「人生を変えてくれたスポーツ。昔はサッカーもしとって、それからラグビーしてラグビーで生きてきた、かな。それは、これからも一緒。日課!!」



Sakaguchi Kosuke
 

 おそらくは朱紺番として臨む最後の、『関学ラグビー部』緑川昌樹へのインタビューも、終わりをむかえた。どうしても聞きたかったことがあった。それは、あのとき耳にした台詞への、彼自身の思い。

 

かつて『優勝したらオレが関学に来た意味がある』と口にした。その言葉を、いまこうして引退・卒業して、自身はどう捉えている?


「自分の立てた目標に立てなかったのはまだまだってこと。それが課題かな、と。

 周りのみんながどう思っているか分からんけど、まだまだ。『頑張った』と言ってくれる人とかもいて。やり切ったけどこれが結果。正直、どうやったかなと。

 やりたいことはやらせてもらったし、関学で良かった」

 

次の、新たなる目標へむけて


「まずは、ね。清原(元プロ野球選手)さんの本に書いてたんスけど、『目標のない人生なんて、どうなるか分からん』って。かっこいいね」

 

 常に、目指す場所がある。そこへ進むのみ。それが、緑川昌樹の生き様。


 そのなかで朱紺のジャージをまとい闘った4年間を見届けたことを私は嬉しく、そして誇りにも思う。


 最後に。選手の本音を聞きだすことは、最大の壁である。その点で、トライをあげ勝利に大貢献した試合であっても、彼は素っ気なく答えるのみだった。「トライへの意識は全然。たまたまです」。それは定番。けれども、ラストインタビューでようやく答えを聞けた。ラガーマンのなかでも、トライゲッターとしての一面をのぞかしてくれたのだ。それが嬉しかった。


 後日、取材をしたときと同じ居酒屋で、置いてあった本をふと開いた。そこに書かれていた、哲学者・ニーチェの言葉。


 『勝利に偶然はない』

 「勝利した者はもれなく、偶然などというものを信じていない。たとえ彼が、謙遜の気持ちから偶然性を口にするにしてもだ。」

 

 そう、彼が見せたプレー、そこから生まれた結果は、確かな裏づけとともに当然のものとして、そこに在ったのだ。それを私たちは目にしてきたのだ。


 いま緑川は、次の目標にむかって歩んでいる。そこでもやはり自身を見つめ、琢磨していくだろう。


 激情に馳せた闘球の道は、「まだまだ」続いている。


Sakaguchi Kosuke

緑川昌樹、ポジションはHO。東海大仰星高出身。高校生次、キャプテンを務め日本一に輝く。

 2007年、関学入学。1年目からレギュラー入りを果たす。主軸として活躍し2年生次、チームは51年ぶりの関西制覇、翌年2連覇。大学生活の最後の年、2010年度関学ラグビー部主将に就く。


『激情。』第3回

投稿日時:2011/08/11(木) 13:57

●連載『緑川昌樹 激情』第三回


 失意に苛まれながらも、ただその先にあるものを見つめて。チームは進んだ。前へ、前へ。いくら撃たれようとも。夏が過ぎ、シーズンをむかえた。緑川組の集大成、その結末。
 

 

 

【負け越しに終わった上半期】

 

 その台詞は、何か尖ったものとなって私の胸を貫いた。

 6月5日の立命大戦が終わったあと、全体集合の場で主将は言い放ったのである。

 

 「オレらは強くない」

 

 強くない、から続く言葉があったのだが、覚えていない。失態だが、ノートに書き記されていない。それほどショックだった。


 それはチームへの戒めの言葉。これまでも各代の主将たちは口にしてきた。自分たちに言い聞かせるように。根底にあるのは、関学ラグビー部の真骨頂、チャレンジスピリット。それが欠けているとき、おごり高ぶっているときに、チームを戒めるのである。


 全体集合も終わり、負傷に顔を引きつらせながら取材に応じてくれた緑川はこう話した。


 「勘違いしてる部分あるんじゃないスかね。チャレンジャーになれてない」


勝利が遠い試合が続いている


 「勝ちたいんスけどね。勝てるゲームは勝っとかんと。

 自分次第!頑張りますわ」


 だが、この日からしばらくの間、緑川の笑顔が見ることが無くなる。

 

Kosuke Sakaguchi
 

 おそらくは勝利を掴んだときの彼の顔が最も輝いている。私は、これまで何度も見てきた。


 上半期が過ぎていくうちに、沈んだ表情が多くなった。怪我に見舞われ離脱したことも影響していただろう。


 翌週の六甲ファイティングブル戦は欠場を余儀なくされ、ビブスをつけウォーター係に徹した。続く総合関関戦では後半から出場を果たし1トライを上げるも、再び怪我に見舞われた。


 そして迎えた上半期の最終戦。相手は同志社大。もはやライバルとも称せる相手に、喫したのは逆転負け。前半後半ともに1トライのみに終わり、かたや後半に4連続トライを許した形だった。


 男は、涙していた。


 おそらくシーズンに入ってから公で見せた涙はこれが始めてではなかっただろうか。それまでは悔しさを押し殺していたか、しかしこの日は違った。涙が引いたころ、試合後のダウンではグラウンドに背を向け、天を仰いでいた。


 「涙したんはむっちゃ悔しかったんスよ。勝てるゲームやったのに負けてしまって


 上半期最後の対外試合後のミーティング。黒星で終えた緑川組に、主将は言った。


 「オレらは、ほんまに強くないから。実質、関西で4か5位。しっかり受け止めて。マイナスをプラスに変えるのは、自分ら」


 失意に覆われていた。春シーズン4勝6敗、負け越しの事実を前にして。それでも、期するものが一つあった。それは、メンバーが闘志を押し出すようになってきたこと。


 「立命大戦もそうだったけど。失点してしょぼんとしてたんスけど、『まだイケる、まだイケる』って。しんどいなかで声が出てた。気持ちが見えたことが良かった」


 その気持ちがあれば、戦うことが出来る。勝利を目指すからこそ、成長できる。


春シーズンを振り返って成長は見えた?


 「成長した点はいくつかあったけど、まだまだっスね」


 〝自分たちは強くない〟という現実を受け入れているからこそ、緑川は自分に、自分たちに言い聞かせるように口にしていたのだ。「まだまだ」だと。

 

Kosuke Sakaguchi
 

【菅平、緑川組のどん底】
 

 勝ち星に恵まれなかった半年だったが、確実な手応えがあったのは事実。弱体化からスタートしたFW陣はメキメキと力をつけていた。こなした練習量が、自信へとつながっていく。


 夏半ば、緑川は高揚をうかがわせながら、口にした。「スクラムにモール、やってきたことが出来てきて段違いに伸びている。まだまだ伸びる」


 成長を実感させたのは、菅平での一戦があったから。前年度全国王者の帝京大とのFW真っ向勝負で、接戦を演じたのである。


 実は、私が菅平入りする前日の出来事だった。主務・橋本が声を荒げ電話をしてきてくれ、そこで接戦だったと報告が入ったのだ。要因は「FW」。


 期待を膨らませながら、私は8月25日の早大戦に合わせて菅平入りをした。


 確かにFWは段違いに成長を遂げていた。モールではインゴールに至らなかったが、スクラムでは引くことなく押し上げていた。


 だが、実感も何もかもが打ち砕かれる。喫した敗北、それも大惨敗という揺るがない事実が、緑川組を再び暗闇へと引きずり込んだ。


 この事に関しては、幾度と書いてきたため今更改めて述べることはないだろう。緑川組のどん底


 早大戦を見届け、晩のミーティングも終えた頃、私は緑川に取材を申し出た。ラグビー部が手配してくれた一室に彼を呼びいれ、インタビューすることにした。


 部屋に入ってきた彼は、普段の人柄そのままに笑顔を見せた。だが、テーブルを挟んで膝をつきあわせると、ひとたび神妙な顔持ちに変わった。これも変わらぬいつものこと。ラガーマン・緑川昌樹が目の前に現れる。


 言葉を選びながら、質問に答えるスタイルは3年前から何ら変わりない。かつて抱いた畏敬も、時間とともに解けてはいたが、やはり選手への敬意は決して薄れることはない。主将と番記者の時間が過ぎる。


 インタビューの最後、沈んだ感情を垣間見せていた目の前のラガーマンに質問をぶつけた。

 

目標の日本一はぶれてない?

 

 「ぶれてない!!」

 

 愚問であった。

 

Kosuke Sakaguchi
 

【久々の白星に笑顔が戻った】

 

 下山した緑川組。リーグ戦開幕まで1ヶ月を控えていた。組まれる試合数もわずか。Aチームは青学大とNTTドコモとの対戦のみだった。


 9月5日、関学第2フィールドで行なわれた青学大との定期戦。朱紺のジャージをまとった男たちの勝利への渇望が、爆発した。


 開始早々から3連続トライを許し、開いた点差は19点。菅平を経て掴んだものは無かったのか、そんな思いすらよぎった。だが、それは失礼というものだった。


 この日ひと際プレーが目立ったFB渕本(社卒)を中心に猛攻を展開する。じわりじわりと点を重ね、やがて逆転。後半だけで42点を挙げ、勝利を掴んだ。それは実に2ヶ月ぶりの白星であった。


 レセプションが終わり一息ついた主将は話した。「まず勝つことやったんで、勝って良かった。前半のリードは気にしてない。風下やったんで。後半は風上、勝てる!と」


 そして、この試合で見えた緑川の戦い方の変化についてたずねてみた。実は、この試合でのラインアウト時。メンバーがサインをコールするタイミングと、緑川がボールをスローインするタイミングがずれていた。


 「タイミング変えた。いやらしさ、で(笑)。余裕持って臨もうと」


 いやらしさを伴った、意図的なプレー。ばれたか、そう思っていたかは分からないが、そんな悪戯心も感じさせながら、緑川は笑っていた。しばらくぶりだった勝利の味を喜び、〝あの〟笑顔を見せていた。


 さて、むかえるはリーグ戦。シーズンの集大成。これまでの白星も黒星もすべてはここに集約される。


いよいよリーグ戦


 「意識してるよ!」

 

Kosuke Sakaguchi
 

 緑川が臨む、最後の関西大学Aリーグがついに始まった。主将としてのプレッシャーも、格別なものとして宿った。開幕戦で勝利した2日後、緑川は言った。「(開幕戦は)もう緊張!バラオさん(小原正=前年度主将=)が言うてたことが分かったっス」


 リーグ戦はどの試合も大事。ただオープニングゲームはこれまた特別。勝つか負けるか、その戦いはいかなる内容だったか、その一試合が持つ意味合いは大きく、今後を左右する。「挑戦者の気持ちしかなかった」と緑川。


 振り返れば18週間が絶っていた。あの、「自分たちは強くない」ことを宣言した日から。あの日惨めな黒星を喫した立命大から、今度は奪ったリーグ戦開幕星。彼らは挑戦者になっていた、だから勝てた。


 頂への歩みがいよいよ始まり、緑川は目を輝かせながら言い切った。


 「やるしかないっしょ!それしかないっス」

 

【朱紺に土 モメンタムは黒衣へ】


 関西大学リーグ戦、51年ぶりの制覇。いまも記憶に新しい2008年の激闘譜。関学ラグビー部は話題の中心にいた。戦いぶりは言わずもがな、開幕から軒並みに上位校を食っていく様は圧巻の一言。勢い、流れ、それらは決して言葉では表せない、けれども朱紺のジャージへの追い風が確かにそこにはあった。


 そのときは、第4戦目に一つ黒星を喫している。立命大に1点差で敗北。それが、近年最後のリーグ戦黒星だった。翌年の小原組は全勝Vしていた。


 10月24日リーグ第3節近大戦、緑川組が土をつくことになる。自らのミスから〝追いつ、追いつかず〟の展開で12-24。2年ぶりの負けとなった。


 私が緑川を見ていくうちで印象的なシーン。それは08年の立命大戦のこと。うなだれるチームメイトのなかで、顔をくしゃくしゃにして涙していた。それから1年越しのショック、男の表情は。


 違った。目はうつろだった。だが、こぼれるものは無く、空虚感をまとっていた。これまでの緑川像とは異なる姿。


 「涙、っていうかまだ泣けんかった」


あのときは実感が沸かなかった?


 「うん」

 

Kosuke Sakaguchi
 

 早々と土を踏んだ朱紺を尻目に、リーグ戦の先頭を走ったのは天理大。関学の台等とともに、覇権争いを繰り広げてきたライバル。その天理大は前評判どおりの力を見せ、難なく連勝を重ねていた。


 緑川組も3戦目の黒星から切り替え、今一度チャレンジャーの意気込みでリスタートを切った。2年前のように。


 しかし、すでに両雄には、実力とは別の、差が生まれていた。それが現れたのは次節、10月31日のことだった。雨中のキンチョウスタジアムで行なわれた試合。関学は第2試合で大体大との対戦を控えていた。その前のゲーム、天理大は当然のごとく勝利を収める。試合が終わり、第2試合に移行しようとしている際、勝利に沸きあがる天理大応援スタンドと喜ぶ黒衣の選手たちとの間ではバースデーソングが流れていた。詳細は存じぬところであるが、スタンドとフィールドが一体となって喜びを分かち合う様が見て取れた。試合とは別のこうした雰囲気は、弾みをつける。嫌な予感が、した。


 その直後の試合では、関学はMOVEラグビーを実践し、終始リードする展開に。内容は良い。多少のハプニングはあったが、このまま快勝に持っていける。そう思っていた、後半37分までは。そこから不必要な2トライを易々と許し、後味悪く終わってしまったのである。


 黒衣と朱紺、互いに勝った。だが。試合後のインタビューの最後、主将への問いかけ。


これで流れに乗れそう?


 「乗らんとダメっス」


 違う。語弊はあるかもしれないが、流れとは〝思わずして〟乗っているもの。勝手に、自然に。この日の両校を見て、勢いに乗っているのがどちらかは明らかだった。

 

 2010年の関西大学リーグ戦は、猛烈な勢いを伴った黒の波に成すすべなく、関西タイトルを掴めずに終わった。残すは、大学選手権のみ。目指した頂への最後の挑戦。負けたら終わりのトーナメント。


 「また一から立て直していこう」とわずかの合間を縫ってリスタートを図った。そうして一回戦の福大を下し、
夏の雪辱・早大との対戦をむかえた。これまでにない強敵。その前日、練習から緑川の挙動から見えたのは、やはり変わらぬ〝緑川らしい〟一面だった。


 練習も終わり、グラウンドに残ったのはスタッフ数名のみ。同期のトレーナー大崎(商卒)とキャッチボールに興じていた場面。


緑川「楽しみやな」

大崎「エエこっちゃ」

 

楽しみ、と


 「うん」


早稲田の印象は


 「強いんちゃうかな。展開力あるし。しっかり対策練って」


勝算は


 「やってみな分からんね!絶対気持ちや思う。気持ちでどれだけやれるか」


名前負けは避けたい


 「そうそう」

 

 不敵な笑みを見せていた。相手が強ければ強いほど、それを喜ぶ。菅平でもそうだった。8月27日の東海大戦。先にグラウンド入りしていた緑川は、相手のバスが到着したのを一瞥すると、口元をゆるませた。このときの表情と、早大戦前日のそれは全く同じものだった。

 

Kosuke Sakaguchi
 

【戦いの終えん 涙のメッセージ】


 ジャイアントキリングを銘打った関東王者への挑戦は、大差で終わった。


 夕暮れ時の試合後、グラウンドで彼の目からは大粒の涙がこぼれていた。けれども、それはいつも見せる悔しさが漉されたものではない。きらきらと輝いているもの。西日がいっそう、輝きを演出していた。


 全体集合、主将から送る部員たちへの最後の言葉。


 「1年間ありがとうございました。オレ個人としてはFWに感謝してるし、厳しいことばっかり言ったけどそれでも食らいついてきてくれて。頑張ってきてくれて感謝しています。

 何を残せたかは実感ないし

 ひとりひとりが自覚持ってやっていけば変わるから。みんなは日本一にむけて頑張って欲しい」

 

 緑川の関学最後の1年が、幕を閉じた。(続く)



Kwangaku sports

『激情。』第2回

投稿日時:2011/06/12(日) 23:42

●連載『緑川昌樹 激情』第二回


 男にとってのラストイヤーが幕を開けた。それは順風満帆とは言いがたい航海の始まりでもあった。続いた苦悩の日々。そのなかで番記者の目に映った、主将の姿とは。
 

 

 目指したのは頂点。むしろ、この男がその場所以外を欲するわけがない。
 

 「やるからにはトップ目指さんとね!」


 勝ちに飢えたラガーマン。彼を充たせるのは、勝利を重ねた先にある栄光のみだ。


 だが、それは簡単に手に入るものではない。彼を取り巻く環境、チーム事情は大きく変わっていた。


 前年度、LO小原正(社卒)率いる超重量級FWは関西リーグで猛威を振るい、チームに2年連続の戴冠をもたらした。もとより主力となっていた4年生たちがサイズアップを果たし、FWラグビーを展開。100キロ超の巨漢たちが繰り出すドライビングモールは、代名詞ともなった。


 そこから状況は一変。2010年度。主力選手はごっそりと抜け、かつてのFW陣でレギュラーを張っていたHO緑川のみが残る形になった。FW陣の一新、またチーム全体を見渡してもサイズダウンは明らかであり、前年度のラグビーからの様変わりは必然であった。


 「去年ほど体デカくないし。去年と同じことをしても勝たれへん思った。いまのメンバーを考えて、チームに合ってるラグビーが〝走り勝つ〟。デカくすることも大事やけど、走り勝つことを」


 緑川組が打ち出したスタイルは、人もボールも動くMOVE』だった。

 

Kosuke Sakaguchi
 

【ジレンマに陥った初陣】
 

 4月18日の京産大戦。主将として臨む初陣。「いままでやってきたことが出るかなと。楽しみ」と意気込んでシーズン開幕をむかえた。チームとして、ランニングスキル磨くなど『MOVE』ラグビーを実践するための練習を重ねてきた。いざ、緑川組のラグビーを見せん
 

 だが、その初陣では一種のジレンマに陥ってしまう。理想は頭にありながらも、実現するのは全く別のもの。前半、フィフティーンが繰り出した、いや繰り出してしまったのは1年前の関学ラグビー。敵に真正面からぶつかっていっても、いまだ通用する感覚が体には残っていたから。ゲーム感を2010年度版に更新できず、また一新されたばかりのFW陣のミスもあいまって、前半はリードを許した。ハーフタイムでの軌道修正から後半は相手を圧倒、勝利を収めたが緑川組の初陣はどこかほろ苦いものに終わった。


 露呈したFW陣の完成度の低さ、それは想定内。主将はにらんでいた。「伸びしろしかないっスね!」。一から作り上げることに、心をはずませているかのようであった。


 船出としては、100点満点の出来ではない。しかし白星発進を飾ったことは男に安堵をもたらしたか。試合も終わり、グラウンドにもわずかの部員が残るのみとなったとき、緑川は声をあげた。


 「あぁー、良かった!」


 それは単純かつ純粋な思いを解き放った、咆哮(ほうこう)であった。


Kosuke Sakaguchi

【たたきあげたFW陣】


 伸びしろがある。そう期待するからこそ、チームはFW陣をたたきあげた。練習試合のあとでも、スクラムマシーンに突進を繰り返した。他大学との合同練習でもパートごとに分かれ、そこでは相手スクラムとがっぷり組み合った。5月1日の同志社大との合同練習。ときに手応えを感じさせた濃密な時間ののちに、主将は話した。
 

 「負ける気は無かったけど、押されてたかな。全然出来てないし、それでも、やってない言い訳はしたくないし」


 言葉の節々に負けん気の強さを感じさせながらも、現状に目を向ける。つまりは修練を積み重ねるしか、レベルアップの道は無いということ。春から夏にかけてFW陣にとっては、地道に歩みを進める時間となった。結果として、チームの屋台骨に成長を遂げるのは、まだ先の話である。

 

Kosuke Sakaguchi
 

【次第に影を落とすようになっていく】


 課題と向き合いながらも春シーズンは白星で始まった。次の摂南大戦も主将自ら2トライをあげて勝利を飾る。しかし、続く天理大との練習試合では完敗に終わる結果に。それは、関西勢に実に2年ぶりに喫した黒星であった。


 「負けた次の週の試合が大事。次の試合でどうするか」


 そうチームに喝を入れた。だが、緑川組はここから荒波に飲み込まれていく。


 翌週5月16日の近鉄ライナーズ(サテライト)に0-90の大差完封負けを喫すると、そこから続いた関東勢に連敗。


 「失敗やなくて、経験に変えていきたい」


 敗北が続くなかで、緑川は語気を強めたが、報われない日々が現実となって降りかかる。


 迎えた6月5日、立命大戦。相手は関西大学リーグ開幕戦の相手。それだけに意識は高まり、「圧倒して勝てるように」と息巻いていた。


 だが、結果は22-42。先制しながらも、ひとたび返されるとあっけなく失点を重ねた。やがて5連敗。そして試合後、主将は辛く重い台詞をチームへ告げることになる。

 

 「オレらは、強くない」

(続く)


Kosuke Sakaguchi

『激情。』第1回

投稿日時:2011/05/22(日) 22:20

 引退特集。朱紺番が書く、緑川組最後の一人は・・・緑川昌樹!

●連載『緑川昌樹 激情』第一回


 表すならば、王道をいくスポ根漫画。その栄光と挫折にまみれた物語のなかで、メインキャストのひとりに、男の名はあった。チームの激闘そして男の姿を記録してきた番記者がつづる、ラガーマン・緑川昌樹の実像。
 

 緑川昌樹、ポジションはHO。東海大仰星高出身。高校生次、キャプテンを務め日本一に輝く。
 

 2007年、関学入学。1年目からレギュラー入りを果たす。主軸として活躍し2年生次、チームは51年ぶりの関西制覇、翌年2連覇。大学生活の最後の年、2010年度関学ラグビー部主将に就く。


 彼に初めて取材を行なったのは彼が2年生のとき。チームが関西制覇に王手をかけたリーグ最終戦を控えた数日前のことだ。スタメン全員にインタビューを行なうという企画のなかで、彼とのファーストコンタクトが生まれた。


 まだ下級生でありながら、漂わせている風格はやはり〝大物〟といったもの。目つきはするどく、こちらの質問には少し答えを選ぶように間を置きながら口を開く。その場で抱いた、畏敬。どこか萎縮する私がいた。


 だが、それまでの試合や練習を通じて見てきた彼の姿からは、違ったイメージを持っていたのも事実。プレー中は激しく人に当たっていく。密集のなかでは相手プレーヤーを蹴散らす。トライや勝利の瞬間には笑顔をはじけさせる。試合に負ければ、顔をくしゃくしゃにして涙する。自分の気持ちに正直な、ストレートなアスリートだろうと解釈していた。


 イメージのギャップ、持ち合わせる2面性。双方をうまく折衷していくことがラガーマン・緑川昌樹との付き合い方であった。やがてシーズンが移り変わり、私は関学ラグビー部の番記者としてチーム、そして彼と深く関わっていくこととなる。


Kosuke Sakaguchi

 2009年、番記者として取材を重ねていき、それまでに抱いていた緑川像はより確たるものになった。やはりストレートな人間。ただ単純に、勝ちたいんや、と。だからこそ、学年に関係なく思いをぶつけていた。試合後の話し合いでは、先輩へ忌憚なく意見を述べる。後輩へのアドバイスも辞さない。身振り手振りで、熱っぽく助言する。「上手くなって欲しいからね」。


 後輩・緑川と先輩・緑川。3年生次の彼が戦う理由を、一度だけ拾ったことがある。2009年12月20日、大学選手権1回戦。同志社大を再度下し、その試合で緑川は同点トライを挙げていた。そこでの一言。


 「(トライは)みんなのおかげ。FWで3回生が僕だけなんで4回生を胴上げできるように」


 関学史に残るであろう『超重量級FW』で背番号2は、自分を率いてくれている先輩たちへの感謝とともに戦っていた。


 その1週間後、シーズンの終わりが到来する。選手権2回戦、明治大に完敗。途中交代した緑川はベンチで天を仰いでいた。顔を両手でおさえながら。勝てなかった。いつもそうだ。悔しさが胸の内を支配するとき彼は涙する。



Kosuke Sakaguchi
 

 次のシーズンはまもなくして訪れた。終わりがくれば、新たな歩みが始まる。学年を一つ重ね、彼は主将に就いた。『緑川組』発足。私も縁あって番記者を続けることとなった。それまでも学年関係なく自らキャプテンシーを発揮してきた男が、立場を変え周りからそれを求められるときに、どんなリードを取るのか。また、彼の真骨頂である勝利への妄執はラストイヤーに果たしていかなる結果をもたらすのか。沸きあがる興味と、結末を見届けるという決意を持って私はペンを握った。

(続く)



Kosuke Sakaguchi

※大変お待たせしました。私事により掲載が遅れたことをお詫び申し上げます。新チームが成果を上げていくなかで、水を差す形になってしまうかもしれませんが、務めさせていただいた番記者の、緑川組への最後の仕事として、執筆させていただきます。次回掲載もなるべく早く出来ればと考えております。どうぞお付き合いください。 朱紺番 坂口功将

『ネクストステージ。』『あの作戦が誕生した瞬間。』

投稿日時:2011/03/18(金) 02:13

 一挙2本だて公開。関学に君臨したスピードスター長野直樹(社卒)の引退そして卒業、くわえて体育会功労賞受賞を記念しての特集記事をお送りします。

●ラストインタビュー『ネクストステージ。』


早稲田大戦が終わってから、すっきりとした表情を見せていた。そのわけは

長野何やろな試合やってて楽しかったんで。早稲田相手に関学らしいラグビーが出来たっていう達成感が。日本一の目標立ててやってたぶん、悔しい気持ちはあったし。試合終わって4年間が終わって、関学ラグビーに携われて良かったっていう気持ちが、悔しさを上回ったんだと」

 

3年生次は瑞穂で「不完全燃焼」と口にしていた。晴れて違う思いに?

長野「3年生で臨むのと4年生で臨むのでは、懸けるものが違ってた。特別な思いが」

 

いまでも関学ラグビーを思い出す?

長野「つらかったことも笑い話にしたりで(笑)。全部良い思い出になってる感じっス」

 

ラストイヤーはタックラーとしての活躍が目立った(以下に、特集記事あり)。トライゲッターとしては

長野「納得はしてませんしチームが劣勢のときこそ、流れを変えるランニングをしなければならないはずだったのに。残念な結果だったと。

 自分の実力不足それ以外の何ものでもない!」

 

高校からラグビーを始めて7年間が経った。振り返って後半の4年間、大学を通じてラグビーへの見方は変わった?

長野「高校3年間は良くも悪くも指導者についていくラグビー。大学では、自主的にやるラグビー。

 ラグビーっていう競技に対する視野も変わったし、いっぱいレベルの高いラグビーを見ることが出来たので奥深さも学んだ」

 

関西制覇やU20、セブンス、腕の怪我などを経験したが、そんな4年間は想像してた?

長野「正直言うと、高校から大学進むときは漠然としてて。校舎が移動したくらいと思ってた(笑)。こんなにある、とは思ってなかった」

 

特に印象に残ってることを挙げるなら

長野「ありすぎて困るんスけどグラウンドで練習して毎日、っていうのが一番かな」

 

ならば印象に残っているプレーは

長野(いっぱいあるけど、どれやろな)福大戦の大学生活最後のトライ。リザーブの選手が出てきて、BKの若い後輩たちも『長野さんに回してトライ取ろう』って。リザーブが全員ボールタッチして、最後に一番外でボールもらってゲットしたトライです。

 あと、大学3年生のときの明治大戦。折目からパスもらって取ったトライ。つないでもらった、意志の詰まったボールで。あのトライが印象に残っています」

 

いわば攻撃の最後を締めたトライ

長野「それこそがWTBの仕事やなと」

 

▲2年生次、関西リーグ戦初制覇を遂げた天理大戦でのトライシーンのこのカットは、その後、長野の代名詞ともいえるほど有名になった
 

4月からサントリーへの入団が決まっている

長野「日本一のチームでプレーしたい、それだけ」

 

ポジション上、サントリーのBKについてはどんな印象を持っている?

長野「挑戦できる素晴らしい選手ばかり。レギュラー争いできるのは幸せです」

 

先輩の西川(征克=社卒=)から何か言葉をもらったりした?

長野「充実してる、とおっしゃってたんで、それを信じて入社したいっス!(笑)」

 

トップリーグで目指すは

長野「もちろんレギュラーになって日本一になることっスね」

 

WTBとして高めていきたい部分はある?

長野「上のレベルで勝ち残っていくには短所を補うよりも、長所を伸ばしていくことのがベスト。スピードとランニングスキルを磨いていきたい。

 まだまだ速くなると自分は信じているし、トップリーグで一番速いくらいにならないと、サントリーというチームで試合には出れないと」

 

プレーヤーとして、どこまでやっていきたい?

長野「あまり区切り決めたくないんスけど全力でプレーが出来なくなったら、それが最後かなって」

 

そもそも大学でラグビーを辞めることは

長野「考えなかったスね。ラグビーをやることになるんやな、と漠然と思ってた。きっかけはトップリーグの選手とセブンズでプレーすることがあって、ラグビーへの姿勢を目の前にして。この人たちみたいになりたいと思ったのがきっかけ。そのときの気持ちを信じて、やってきました」

 

納会の壇上でも話題に挙がりました。自分自身、日本代表への思いは

長野「もちろん、そこを目指してやってますし。W杯、オリンピックももちろん。ラグビーをやっていくうえで、トップのレベルでやっていく人間はそこを目指していくべきだと思うし。そこをモチベに頑張りたいと思います!」

(取材=3月14日/構成=朱紺番 坂口功将)


●『あの作戦が誕生した瞬間。』

 おそらく私はその瞬間を知っている。失意に苛まれながらも、浮き上がった反省点から新たな策をチームが考え、そうして一つの答えを導き出した瞬間を。緑川組がリーグ戦で講じた作戦それはエースWTBを、通常とは異なる目的で〝走らせる〟ものだった。


 レフェリーが笛を鳴らし、キッカーは地面から跳ね上がった楕円球を蹴り上げる。ボールは敵陣へ。落下地点で、蹴られた側の選手が捕球体勢に入る。ボールは胸のなかにその刹那、ものすごいスピードでぶつかってくる衝撃が襲う。敵の攻撃は狂わされた。


 緑川組の戦いを振り返って語るに、幾度と見られたこのシーンを外すわけにはいかないだろう。キックオフ時の仕掛け。キッカーが蹴り上げた場所めがけてWTB長野直樹が走り、タックルを見舞うというもの。


 この作戦が誕生したわけとは。話は8月下旬にさかのぼる。


Sakaguchi Kosuke

 夏の日差しが照りつける。だが、高地とあってか、どこかすがすがしさも覚える気温。緑川組はここ長野県菅平高原で合宿を行っていた。


 他校との練習試合が多数組まれ、実戦経験が積める格好の舞台。そこで関学とりわけAチームは、苦戦していた。連敗を重ねていたのだ。そうして合宿も後半に差しかかり、関東勢のトップクラスとの3連戦へ。8月24日の帝京大戦では、前年度大学王者とFW真っ向勝負を演じ、接戦のすえ負けを喫するも、手ごたえは十分に得ることが出来た。ここから上昇気流に。士気も高まり、長らくの念願かなった早稲田大との対戦に胸をふくらませた。


 しかし、無残なほどの大敗を喫する。ただ90分間、相手の攻撃をあびるだけの敗戦。相手との圧倒的なプレーレベルの差を見せつけられる。帝京大戦を通して高まった自信は一転、絶望感に似たショックへ変わった。


 失意は次の試合にも連鎖した。27日の東海大戦。内容は、早大戦と同じと言っていいもの。成す術なく完敗に終わった。


 チームは、沈んでいた。ふがいない戦い。猛暑下での連戦による疲労もあっただろう。けれども、それを超越するほどに心が砕かれていた。喫した敗北は受け入れるしかない、が、活路を見出せずにいた。東海大戦が行なわれた晩、Aチームのミーティングでは、みなが表情に影を落としていた。


 「FWに関しては早稲田、東海には出来てない」と主将・緑川昌樹が吐く。長野も続く。「春からやってきたことBKは出来てへんな」。


 スローガンである『MOVE』ラグビーを目指し、シーズンを過ごしてきていた。FWはセットプレーの強さと安定性を、BKは一対一やコンタクトプレー、プレッシャーのための前に出るディフェンスを磨いてきた。しかし、この2戦では生命線が絶たれ、何も出来ないままの、加えるなら、何も掴めない敗戦となってしまった。


 ミーティングが始まってから、しばらくの時間が経った。Aチームのメンバーの大方が口を開き、コーチ陣に振られる。萩井好次HCに出番が回る。実力差が明確になったと話したのち、ホワイトボードにマーカーを走らせた。記したのは2つの数字。


 『15 12』


 上下に描かれた2ケタの数字。萩井HCが部員に問う。「この数字が何か分かるか?」


 しばらくの沈黙が流れ、名指しされたSH芦田一顕が答える。「トライ取られた数


 萩井HCは軽くうなずいてから答えを言った。「近いけど。これは、この2試合でのマイボールのキックオフの回数」。


 ホワイトボード上の、簡略化されたグラウンドの俯瞰図に円を描き黒く塗りつぶす。円の場所は、ハーフウェイラインから見て10メートルラインを少し越したあたり。


 「いま関学が蹴っているのはここ。キックオフのこの場所で受けるプレッシャーで、相手はFWの強さを見極める。東海なんかは、そう。今日の試合では向こうは思ったはず、『あぁこんなもんか』と。


 全然攻め切れてないし、足も動いてない。(2試合で)15回12回蹴って、15回12回トライを決められている。全部、良い結論につながっていない」


Sakaguchi Kosuke

 目的なきキックオフ。名づけるなら、これまでのプレーはそれだ。ただリスタートさせるだけのもの。もちろん、これまでFW陣は果敢に落下地点へ駆け込んでいた。だが、結果として表れなければ意味がない。「それに気づかず指摘してこなかったオレらコーチ陣の責任でもある」と萩井HCは述べた。


 さて課題が浮かんだ。となると、話を突き詰めるしかない。キックオフに目的を持たせる必要がある。現状打破、それは迷い込んだ暗闇に差した一筋の光。


 一旦パートに別れてFW、BKそれぞれで話し合う時間が設けられた。FW陣は、ホワイトボードを囲み、キックオフ時の議題について考えていく。キックオフの際のオプション、蹴りこむ位置の具体性。挙がった場所は2つ、とにかくゴールラインに近い最奥、もう1つは10メートルラインと22メートルラインの間のサイドライン際。それぞれに、いかなるボールを蹴り上げるか? ハイボール? ディフェンスは? 面で上がる? 様々な案が出るなか、その際のタックル役に男の名前が挙がった。「長野を走らせたら?」


 なるほど、たしかに効果的だ。スピードは申し分ない。キックオフからボールの落下地点で敵をし止めることが出来れば、ゲインを抑えることにつながる。


 それでも、むろんFW陣なかでもLOにも奮起してもらわなければならない。大崎隆夫監督(現・総監督)が説く。「関学のLOはチームを代表して体を張ってもらわなあかん。いけるか?」。臼杵、藤原になげかける。自身も現役時代は同ポジションだったからこそ、期待を寄せる。それが結果的にインパクトプレーヤー・LO山本有輝(文卒)の再臨を決定づけることになるのは、まだ後の話だ。


 煮詰まってきた。キックオフ時に猛プレッシャーをかける、と。パート別から全体の話し合いに変わり、FW陣でまとまった案をBK陣にぶつける。『長野を走らせる』案も公開された。


 キーマンに指名された当の本人は供述する。「やったことないプレーやったんで、最初はすごい不安だった。自分は物事を深く考えない方なんで、求められたら、やるしかない」


 かくして全国屈指のスピードスターを活用する緑川組の作戦が編み出された。


Sakaguchi Kosuke

 菅平合宿の終盤で、チームは秘策とともに進化するきっかけを得ることができた。もとより手にしていた武器。違う使い方をしてみよう。飛び道具、それもとびっきりの矢だ。それからリーグ戦開幕までの約1ヶ月、陽の目を見ることがなかった。9月の青学大との定期戦では長野が欠場したことや、それ以外で大学同士の対戦が無かったことも理由にある。実戦の機会がリーグ開幕戦となった。
 

 作戦の内容は冒頭のとおり。キーマンは2人、キッカーのCTB村本聡一郎とタックラーのWTB長野。リーグ戦開幕を直前に控え、村本は力強く話した。「任されている感じが。(キックオフは)いつも蹴ってるし、キックは高く上がるんで。大丈夫です!」。大役を任された相方に、長野は全幅の信頼を寄せていた。「とにかく奥に蹴れ、と。あいつのキックの高さと距離があってのキックオフ。(作戦は)一緒に積み上げていった成果です」


 こうして始まったリーグ戦、開幕戦ではビッグヒットこそ無かったものの明らかに意図していることが形となって表れていた。村本が蹴る、長野が差す。第2節・京産大戦ではゲーム開始のファーストプレーでタックルを見舞うと、失点後のキックオフでも猛プレッシャーをかけ相手の反則を誘った。やがて試合を重ねるごとに命中率も高まっていく。観客も見所として捕らえるようになったからか、ボールが空中を漂っている瞬間は息をつまらせ、落下するにつれ歓声を上げた。一方で効果的な策が確立されてくると、目立つぶんマークは厳しくなる。リーグ戦を経るにつれ、長野はこぼしたことがある。「ほんま邪魔」。自らのコース取りの悪さを疑いつつ、ボールの落下地点までに相手プレーヤーが障害となってくる点に窮屈さを覚えていた様子だった。敵も、むざむざタックルをあびるのは御免と言ったところか、対抗策を講じてきていた。


 それでも効果はばつぐん、チームが戦火をくぐりぬけていくなかで、この作戦は攻守ともに1つの基点になった。


 「例えばゲームの入りが悪いチームがあったとして、そのチームが何で波に乗れるかとなると、最初のワンプレーでのビッグプレーやビッグタックル。

 自分が決めることが、チームを波に乗せることにつながる」(長野)


 放たれる背番号『14』という矢の威力は絶大。その活躍に、歯がゆさと羨ましさを口にしたのはLO山本だ。キックオフ時のタックルは、彼の十八番でもあった。インパクトプレーヤーとしての嫉妬を交えながら、「でも、長野のおかげでタックルいきやすい!」と山本は目を輝かせていた。たとえ長野のタックルが外れたとしても、相手プレーヤーの動きは止まる。そのぶん次の動きが読みやすくなる。そうなれば狙いすましたタックルを見舞えると言うのだ。この先輩LOの存在に「全部、自分が倒す気持ちでいてました。ミスを恐れずいけたのは事実。その点で助かりました」と後輩WTBは話した。


Kwangaku sports

 緑川組を象徴する作戦であった、キックオフ時の猛プレッシャー。賛否両論はあった。エースWTB長野の使い方如何について、否定的な意見がスタンドで上がっていたのも事実。おそらくはコンタクトプレーである以上、怪我の心配もあっただろうし、外で待ってこそがWTBの本分であるから。だが、それを本人に問うたところで突っぱね返されただろう。この作戦について後に長野はこう語っている。


 「(作戦遂行にあたって)タックルを磨くとかの意識はなくそれよりも副将として、まわりを助けるプレーをしようと心がけていた。それを突き詰めたら、体を張ることに行き着いたんです」


 シーズンが終わり、納会の席でも長野は「新しい自分を見出せた」と振り返っている。さらなる可能性が引き出されるなかで、使命感を胸に、稀代のスピードスターは駆け抜け、そして猛然とぶち当たっていったのであった。

(記事=朱紺番 坂口功将)

※次回、主将・緑川昌樹への特集記事を予定しており、それをもって当『緑川組ブログ MOVE』は完結します。取材日程の都合上、掲載時期が遅れることを深く申し上げます。どうか、あと少しだけお付き合い下さい。ご覧の皆様、よろしくお願いします。 朱紺番 坂口功将
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