『WEB MAGAZINE 朱紺番』
安田尚矢『黙示録 ~傷だらけの戦記~』
投稿日時:2013/03/19(火) 00:23
時として、人に試練は与えられる。勝利への渇望ゆえ、己にチームに人並みならぬ思いを馳せてきた彼に、これほどまでの苦難が待ち構えていようとは。これは彼だけに課せられた運命の、安田尚矢(人福4)の戦いを綴った記録である。
■安田尚矢『黙示録 ~傷だらけの戦記~』
試合中でも試合が終わってからでも。フィールドの中でも外からでも。安田尚矢は声を上げる。4年生になって就いた副将というポジションを問うまでもなく、その姿は入部した当初から見られたもの。その掛け声によって、プレーヤーたちは戦術への理解を整理することができ、またその叱咤激励によって、ミスなどから生じた暗い影を取り払うことが出来る。
ときに厳しく辛く聞こえる〝声出し〟の役割も、やはりチームのことを思い、何よりも勝利を欲するからこそ担っている。だから、併せて思考をめぐらせる〝反省〟が止む事はない。ひたすら勝利へ、そこへの絶対的プロセスとしての自分たちの目指すラグビーを。求めるものはシンプルだが、一筋縄ではいかない。たとえ試合で快勝しようとも、安田の口からなかなかに晴れやかな言葉が出てこない理由はここにある。
それでも、藤原組の戦いを終え引退したいま、一試合だけ本人曰く良い印象が残っているゲームがあるという。
「春の天理大戦です。自分たちのやりたいラグビーが出来て、天理大にも勝って。トップ争いに入っていけるという感触が。
試合中も、むっちゃ楽しかったです。負ける要素が無かった。春山(CTB/SO=文4=)とも試合中に話してたんですよ、(今日の試合)オモロイなぁ、って(笑)」
自信が確信に変わった一試合は、安田にとっても満足のいくものであった。だが、彼のラストイヤーはこの試合を境に急転する。
「ビッグゲームに勝ったあとが大事やと思ってたのに…自分も怪我して。ふわついてたのかな」
そう口にしたのは上半期も終えた初夏の頃。3年ぶりの勝利となった天理大戦の翌週、6月18日の関大戦にてチームは春シーズン唯一の黒星を喫した。その間の練習時に安田は足首を負傷。チームが敗北する姿をグラウンドの外から見ていた。
「天理に勝って慢心してたのが関大に負けた理由。なんぼ強いとこに勝っても、負けたらそれが実力。なめてかかってたとこもあるし、雨もそうだったし、点が取れないことも焦りを生んだし。やっぱり声出すやつがいなかった。外野の方がうるさかったです、健太(SH中西=経4=)とか」
ピッチに立っている際は自らが声を出しメンバーを牽引する。一方で、自分がそこにいない場合に、フィールドのプレーヤーたちがどのようなアクションを起こすのか。安田は常に気にかけている。誰が、声を出すのか、と。戦線から離れたことで、よりいっそうその目線でチームの状況を捉えるようにもなっていた。
安田は数週間の離脱となった。前週の敗北から部内のムードは変わりつつあったが、それでも「まだ甘いかな」とぴしゃり。次の関東学大戦で勝ったことが「救い」と話した。そうして春シーズンの最終戦、同志社大との練習試合で復帰を飾る。けれども怪我の状態は芳しくなく、「ラグビーが出来る足じゃなかった」とこぼした。
自身にとっても初めて負傷した箇所であり、納得のいくパフォーマンスを発揮できぬまま夏を迎える。1ヶ月のリハビリを経ても調子は戻らない。関学第2フィールドでの合宿、そして菅平合宿を過ごし、時は流れる。9月に入り、いよいよリーグ戦を否応が無しに考える時期がやってきた。この頃、安田の足首は復調していたが、Aチームに戻ったその日に、逆の足のひざに故障を抱えることになった。「治るまで2、3週間。開幕間に合うか…」。
いまだ万全の状態に至らぬ自分に、思うことがあったか。それともチームのことだったのか。「いろいろ…詰まっている時期です。不安と緊張と…」
リーグ戦開幕を2週間前に控えた9月21日。怪我の状態もあって、安田のトップチーム入りは当確線上にはなかった。そのことは本人が最も感じていたことだろう。何としてもアピールを。その気持ちの矛先を、翌週のジュニアリーグ近大戦に向けていた。「来週の近大ジュニア戦に狙いをしぼって。再来週がリーグ戦なんで…来週1本勝負で。ベストパフォーマンスを。(足の状態は)7、8割といったところです。左右の動きがまだ。試練です」。アピールもままならぬ状態でありながら、目の前にある機会に真正面から向き合っていた。その前向きな姿勢は、近大ジュニア戦の数日前の言葉から見て取れた。
「怪我した7月からずっと不安でした。ただ不安なままでも自分のプレーは出来へんし…。前に練習で自分を出しきれた日があって。明日死ぬくらいの気持ちで。痛み止め飲んだらね、体はパーフェクトじゃないけど、気持ち的に上げていけると。
最近、秋の風が吹いてきたじゃないですか! もうシーズンや、って。実感します」
リーグ戦前の最後のアピールチャンスとなった9月29日のジュニアリーグ近大戦。「気持ちが先走って…パフォーマンス全然ダメでした」と反省の内容だった。それでも来たるリーグ開幕戦にリザーブとして選出されたわけだが、真っ先に悔しさがこみあげたという。
「泣きました…スタメンで出たくて。でも現状はスタメンで出るよりも、僕はリザーブとして。スタメンと同じ気持ちでプレーして、いつでも出し切って。出てるメンバーには、後ろにおるから、と」
深まるシーズン、始まったリーグ戦本番に闘志を高まらせた。
関西大学Aリーグ初戦。10月7日、対するは天理大。先の対戦は、思い返すもニヤリと笑みのこぼれる記憶が。しかし、今シーズン2度目の対戦は、辛く苦いものとなった。15-17という僅差での黒星。それも安田がリザーブから投入された直後に逆転を喫した形であった。
「自分がペナルティを犯したこともあって…僕のせいで負けたと。(後にペナルティではなかったとの弁明もあったが)終わってしまったことで、誰が見ても分かるようなプレーをしておけば、と今は思います。
勝つことしか考えてなかった。勝ちたい気持ちが上の方が勝つと。チャンスはあったが、自分らのミスで負けた。人生で一番悔しいくらい悔しかったです。目標は日本一、だけど焦点は天理大戦だったので、負けた時点で自分たちがまだまだなんだと気づけた」
敗戦の責を一身に受けた。けれども前を向く気概が彼にはあった。それは安田尚矢の真骨頂でもある。「この負けを一番のチャンスに」と、ぶれぬ目標を見定め次の一歩を踏み出す。そこには自身のコンディションも上向きにあることも寄与していただろう。
「痛みとかは無いです。ふんばったり、耐えたりするときに、『これ以上いったらアカン』と感じるラインはありますけどね」
そのかいあってか、次節からはスタメンに選ばれる。第2節・同志社大戦にむけ意気込みを語っていた。「嬉しかったスけど…出続けることに意味がある。最初からチームを締めて、体張って、チームが波に乗るまで声を出し続けるとか。今週頑張って、来週からもスタメンで出れるように頑張ります」
苦難に屈せず、前に突き進む姿がそこにはあった。まだ、このときは。関西大学Aリーグも半ばを過ぎた頃、彼の身には痛々しいほどの試練が降り注ぐこととなる。なおも一心に戦うラガーマンの苦闘は、ここからさらに加速していく。
11月3日の摂南大戦、安田の名前はメンバー表になかった。練習時に眼底を骨折、10日間ほどの離脱を余儀なくされたのだ。試合前のアップでは、出場するメンバーのすぐそばで声を張り上げたが、ときおり痛みを和らげるかのように氷のうを頬に押し付けていた。
リーグ戦も大詰めを迎えての離脱。丸々2試合を欠場した。11月25日のリーグ最終戦にて復帰を飾ることになるのだが、いかなる思いで試合を見つめていたのか。近大戦を終えた後に、胸の内をこう明かしている。
「もう大丈夫です!また怪我か、って思いもあったんスけど…落ち込んで気持ち切れたりすることもなく。
(試合に対しては)勝って欲しい思いと、それ以上に迷い無くプレーして欲しいという気持ちが。自分らのスタイルが固まったら、あとは勝ちたい思いと覚悟のみなんで。リーグ戦の前半は思うようにいかなかったけど。ディフェンスと走ること、という自分らのスタイルを80分間出すことを徹底していくだけですから」
驚くことに、このとき彼の脳裏には、チームのことが真っ先に浮かび上がっていたのである。復帰できたという自身のことよりも、自分たちの目指すラグビーがようやく実現できた喜びに浸っていた。それでも自身のことは?
「まだまだスけどね、気持ちは上向きなんで。その気持ちについていけるように、体を仕上げて、やっていきたいです。タックル、誰よりもいきたいスね!」
これほどの心の強さが備わっていようとは。彼の気性もあるだろう。勝利への一心が、チームへの思いを生み、己に克つことにつながる。加えて、ラストイヤーという状況も少なからず影響していた。後に安田は話している。
「小さい怪我とかも、すぐ泣くんです。なんで怪我したんやろう、無理してでも復帰しよう、って。でも落ち込まなかったのは初めて。シーズン中で時間が決まってたからですかね。一日二日と落ち込んでいる時間がもったいな、と」
シーズンも残すは全国大学選手権のみ。頂点への、最後の戦い。チームも方針が固まり、安田も、もはや満身創痍そのものであったが最後まで戦う覚悟を据えていた。悔しくもブロック戦の初戦を落とし、後が無くなった状態で2戦目を迎えた練習時の告白。
「痛いところだらけですよ。普通なら怪我人に入っているくらい。4回生みんなどこかしら、でも最後の意地です。やるしかないスね」
そうして臨んだ第2戦。12月16日、対するは法政大。悪夢のような、あの瞬間が訪れる。それは試合開始のホイッスルが鳴ってまもない、関学のファーストアタックでの出来事だった。
「安田、脱臼。アウト」
ドクターのそのコールに安田はすぐさま反論したという。
「いかして下さい!」
「抜けているから無理や」
「いけます!」
「何言うてるんや」
開始2分、敵陣内を突き進み、インゴールを目前にした場面。安田はボールを運び、相手ディフェンダーに猛然とぶち当たっていく。ダウンボールに転じた際、地面についた腕がまずい方向へと曲がった。ひじの脱臼。起き上がれず、その場でうずくまった。
トレーナーが話すに「完全に外れていた」という。その場の処置として、ひじをはめ直されたが到底プレーできるようなものではなかった。
フィールドへの思いは嘆きと消え、出場時間わずか2分で交代となった。グラウンドを背に、ロッカールームへと引き上げる。アイシングも兼ねて、まずは安静にするよう命じられた。
「思った以上にひどい脱臼で。悔しすぎて泣いてました。5分くらいしたらアドレナリンも切れて、痛かったです」
前半も半分を過ぎた頃、ようやく安田はベンチへと戻ってくる。残りの試合時間をひたすら戦況を見つめ、ときには選手たちにむけて声を張り続けた。「この試合勝つことを考えて1週間やってきたんで。声出すことしか考えてなかった」
だが、チームは惜敗。2敗目を喫したことでブロック戦の敗退が決まった。試合後、メンバーたちが留まった室内練習場にて、嗚咽が鳴り響いた。その主は、安田。同期のFL重田(人福4)が寄り添いなだめる。けれども、感情があふれ出し、止むことがない。
「日本一を目指せないというね。怪我した悔しさもあったけど…。チームとしてやってきた一年間で、どの状況になっても“日本一になること”を信じてやってきた。あと1試合残ってたけど、全てが終わったような感覚でした。
『日本一』って言葉を口にすることもできないんですから」
度重なる負傷、果ての大怪我。目指す頂への道のりが完全に断たれたという現実。降りかかる困難も、悔しさにまみれる結果も、試練というならば。あまりにも酷ではないだろうか。
怪我が常につきまとったラストイヤーの後半。その終着点であった法政大戦を「思い返すだけで嫌」と言いながら、半年間に思いを巡らせる。
「怪我しても、やるべきことはやれてたけど…怪我してなかったら、やれたことも。変えれたこともあったかなと」
藤原組にとって最後のゲームとなった12月23日の筑波大戦。スタメンで出場した安田は、FL丸山(社3)との併用というこれまでのチーム戦術に従い、出場するハーフタイム40分間でフィットネスを使い切るほどの全力プレーを見せる。負傷した腕はギプスでがっちりと固定されていたが(内出血で左腕全体が真っ青になるほどだったという)、それでも大学生活最後のプレーに興じた。「個人的にはやり切った。自分の力は出せんまま終わったけど…やり切ることは出来ました」
満足なパフォーマンスは最後まで発揮できなかったが、オールアウトを果たせたことへの充実感を手にしていた。一方で、この筑波大戦でも自身がベンチに退いてからは、チームがいかに戦うのか、誰かが声を出し修正を施せているのか、が頭を巡っていたというのだから、最後まで何とも安田尚矢らしい。
彼らしい、といえば。引退したいま、安田は笑いを含ませながら回顧する。法政大戦のあの瞬間、「自分らしく、両手で持っとけば良かったんかな、って(笑)」と。
彼は誰よりも、自分らしくあろうとした。いや彼そのものであった。勝利に飢えた男として、何をすべきかを念頭に置き日々を過ごす。チームのことを考え、個人としても出来る限りのことを出し尽くす。ゆえに、現実とのジレンマに苦しむこともあった。理想とするチーム像とのギャップ、満足のいくパフォーマンスとの乖離。
関学ラグビー部での戦いを終えて、最後に安田は苦闘にまみれた日々をこう説いた。
「どんなに思いが強くても、怪我するときは怪我するんやって。自分が完璧であれば怪我せぇへん、それでも今年に限って怪我ばっかりで。でも自分の状況に関係なく、『日本一』から逆算して、自分がやることを考えて、自分が何をすればいいのかを考えたら乗り越えれた。
自分のキャパシティを超えてたんかな。副将もしたし、試合中のサブキャプテンもしたし。まず自分が、っていう気持ちになってたのかも。そこを他に振ったり、頭下げて協力して欲しいとこを言っておけばな~。
でもチームに対して、ひらめいたことはやっとかないと後悔しますから。あとから後悔しても、負けたら意味が無いと。
結局は自分の気持ち次第ですね。抑えなあかんところとかがあるんかなと。チームの勝利に貢献できない怪我なら、抑えなアカンなと思います」
そう、彼は頑張り“過ぎた”のだ。けれども、それは学生最後の一年ゆえの不思議な魔力であり、もっとも彼ならば、どこまでも戦いに身を投じただろう。体の傷と涙の記憶は、オールアウトした証として、彼のラグビー人生に深く刻み込まれている。■(記事=朱紺番 坂口功将)