『WEB MAGAZINE 朱紺番』
里深優太『コンバート・トゥ・コンバット ~復帰~』
投稿日時:2012/10/28(日) 01:44
稀少な存在だからこそ。彼の存在が望まれていた。下級生次からトップチームを経験してきたレフティーの現在地。それはポジションも代わったことで…。
■里深優太『コンバート・トゥ・コンバット ~復帰~』
あまりの不遇に、失意は頂点にまで達しようとしていた。告白する。「ラグビー辞めたいと思った」
里深優太(教4)は苦境に立たされ続けた。降りかかった災難。始まりは去年のことだ。3年生次の5月、大怪我に見舞われた。それは1シーズンを棒に振るほどのもの。やっとのことで戻ってこれたのは年末、それも出場したのは練習試合1試合のみだった。
「リーグ戦が始まってから同い年の3回生たちが試合に出始めたりしてて。嬉しい思いあったけど、そこに自分がいない悔しさもあった」
プレーが出来なかったあいだ、フラストレーションは溜まっていた。思いは募った―プレーがしたい。
「で、自分らの代になって…やっとプレーが出来る!と」
目に見えて分かる同期たちの成長への羨望に加え、楕円球への熱情。通常ならばプラスに働くそれらは、抱えていた分だけ大きかったのか、オーバーフローに至った。
「最後の1年、早くAチームに上がってプレーがしたい思いが。気負いしてました」
むかえたラストイヤー。シーズンが始まってまもない4月の部内マッチ。里深はボールを持った際に、後ろからタックルを受ける。倒れこんだ際に怪我を負った。負傷した箇所は前年度と同じ場所、しかしその痛みは前よりもひどく、そして外見でも容易に判断できるほどのものだった。すぐに手術へ移ったが、里深の胸中は絶望に支配された。「今年も無理か」と。そう思うのも無理はないだろう。苦難から解き放たれた矢先の〝再〟難。それでも絶望の淵から彼を前に向かせたものは何だったのか。
「めっちゃ泣いたんですよ…。怪我した日に電話とかメールとかいただいて。それ見て、みんなと試合出たいし、医者からも思ったより早い時期に復帰できると言われて。やっぱり頑張ろう、と」
そこからまたしてもプレーから遠ざかる日が続いた。春シーズンは戦列に加わることがなかった。やはりフラストレーションの日々だったのでは…?
「焦りとかあったんですけど、自分に出来るのはリハビリだけですし、復帰だけを楽しみにして。復帰したときは、どうしても気負いしてしまうのは自分でも分かってて…。次は絶対楽しんでラグビーしよう!と。Aチームに上がりたいけど、たとえ下のチームでもラグビーを楽しみたい。そんな思いがありました」
今夏、グラウンドには帰ってきた里深の姿が。ラグビーが出来ることの幸せをかみ締めていた。「一日一日、無駄にしたくないと。いまラグビー出来てることに感謝できる、その気持ちがあるんで、自分の身体を大事にしようと強く思ったし、ウエイトも身体のケアも今まで以上にするようになった」。ようやく里深のラストシーズンが始まった。
彼のプレースタイルは、普段の温和な素振りからは想像できないほどのパワープレーと、珍しくもある左の効き足から繰り出される精度高いキックに代表される。ボールを少しでも前に運ぼうとする気迫に加え、稀少なレフティーとして、大学入学当初から層厚きCTB陣のなかでもトップチームに選出されてきた。身体が張れてキックが蹴れるCTBを少なからず自負していた。
だが今年の夏、コンバートを命じられる。それは突然の通達だった。
菅平合宿における最後の対外試合となっていた帝京大C戦。後半40分での出場が決まっていた里深はその前日に、予想もしてなかったSOでの出場を言い渡されたのである。「めっちゃ緊張しました。高1のときにちょっとやっただけだったんで」。
実は関学ラグビー部に入部した折に、彼が就いたポジションはSOだった。それは司令塔として、チーム全体を動かす役割を持つ場所。「指示を出さないといけないポジションで、最初は自分の判断が正しいか分からへんし、自信持って言えないというか…嫌で嫌で」。そうして6月にはCTBへ移ったという経緯がある。
菅平で後半40分を経たのち、関西に戻ってきてから試合でハーフタイム40分。合わせて80分間ほどだがSOでプレーし続け、リーグ戦にはAチーム入りを果たした。SOとして。「(試合勘は)まだ不安なとこある。CTBなら全然いけるんですけど…不安なとこ多いです」。リーグ戦を前に里深はそう口にした。けれども、こうも続けた。
「最後なんで。Aチームにいさせてもらってるんで、そんなことも言えないですし、プライド持って。思い切りやりたいです!」
ルーキー時代は持ちえてなかった自信。思い切って出来るようになった理由とは。
「大学4年間やってきて…多少なりとは自信持てるようになってますかね(笑)。同じ仲間とやってきたのもあるんで。分かりあえる仲間なんで、そのぶん思いっきりやれる、というのもあります」
仲間の存在という後押しも受け、里深はSOの道を歩んでいる。CTBで培った己の武器は、ポジションを違えども変わらない。
「自分はパス放って周りを動かしてゲームを作っていくタイプではないし、そういう面では上手い子は下にいっぱいいる。みんなとは違った形のSOを。自分から仕掛けて、チームに勢い乗せられると。この子が上手いからマネしよう、ではなくて自分の持っているものを形にしていきたい」
リーグ戦を前に、ダメージは里深の身に、深く刻まれていた。それでも辰見康剛コンディショニングコーチにメニューを組んでもらい、時間さえあれば取り組んだ。筋トレに加え、左右のバランスを整えることに終始した。
不幸にも重ねて痛めた左足にはテーピングがしばらく施されていたが、リーグ戦も3試合を消化し、すでに外せる状態にある。「最近蹴れるように。徐々に良い感じには」。
里深の特徴である左足。右利きが大半ななかで、特異な左足キックというものは、相手にとっては対戦経験が
得られないぶん蹴られる方向の判断がつきにくい。逆に、攻める側としてはオプションも増え、陣地獲得に優位に働く。だから重用されるのである。
いまSOとして、リザーブで投入されているのが現状。前まではスタメンの方がゲームに入りやすかったと話すが、これまでの苦難を経て心持ちは変化した。
「4回生なってからは1試合1試合を、いつ怪我するか分からないんで、楽しみたいと。何の気負いもなく、途中からでも試合に入っていけてる。
ポジション柄、蹴れないとダメ。試合後に言われてます、『あとはキックやな』と。最初から試合出るためにはキックが安定してないといけないので。時間あるときには自分で調整して、キックの調子も上げていきたい」
絶望に暮れた日々からの脱却。残すは、失われた最後の1ピースを埋めること。帰ってきたレフティーは、新たなポジションのもとで、伝家の宝刀を静かに研いでいる。■(記事=朱紺番 坂口功将)