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『WEB MAGAZINE 朱紺番』

アンドリュー・マコーミック『赤鬼は、優しく微笑む。』

投稿日時:2012/10/05(金) 23:09

 例年以上に話題に上る関学ラグビー部。今シーズン、上ヶ原の地に君臨した男の存在が、人々の視線を集め、期待を高まらせている。日本ラグビー界における歴戦の勇士、アンドリュー・マコーミックが、朱紺の闘士たちに薫陶を授けているのである。

 

■アンドリュー・マコーミック『赤鬼は、優しく微笑む。』

 

 上半期に行われた大学定期戦での一コマ。試合後に両校の選手たちが、レセプションにて交流を深めるのは、いつもの光景。軽食とともに振る舞われるアルコールも、メンバーたちの気持ちを高揚させる。ついつい飲み過ぎたか、顔を真っ赤にさせた4年生部員が声を上げた。


 「これからは僕が赤鬼を継ぎます!!」


 高らかな宣言に周囲も大笑い。その姿を見て、コーチ陣がにやけながら、「こう言っているけど」と、一人の男に投げかける。振られたのは、おおよそ体格もがっちりとした、それでいて白い肌に、青もしくはグレーいや茶色か、何ともいえない澄んだ瞳で、その風景を見つめていた男性。ジャケットからのぞかせる首元には朱紺色のネクタイが締められている。


 男の名はアンドリュー・ファーガソン・マコーミック。交流ある者は彼を「アンガス」と呼ぶ。かつて桜のジャージを身に纏い、一国のキャプテンをも務めたラガーマン。舶来の闘将、激しいプレースタイルから、ついたニックネームは『赤鬼』。


 そう、いまの関学には鬼がいるのだ。


 「入るとは思ってなかったけどね」


 関西学院大学体育会ラグビー部ヘッドコーチ就任という衝撃的ニュースから半年。大学のグラウンドに併設されたスポーツセンターにて行なわれた1次合宿でのインタビューで、マコーミックHCはそう振り返った。3年前、当時トップウエストに属していたNTTドコモ・レッドハリケーンズのHCに就任してから、チームの本拠地が大阪だったこともあり、合同練習や練習試合で関学と接することがあった。胸を貸す立場から見て、そのときの大学チームの印象は


 「一生懸命やっているチーム。ゲームへの準備とかける時間、アップと組織の点が良かったです。

 ゲームになったときは、力・サイズの問題があったと。それでも良いプレーはあった。それを80分やるのは大変。やっているラグビーは悪くないが、ひとり一人の接点で負けていたかな」


 当時のイメージと、いま直接関わるなかでの実状とを刷り合わせ、丁寧に日本語を紡いでいく。


 「あと、若さ。ラグビーをやっている時間が、社会人はそれこそ10年くらいプレーして身体が出来ているから。けど、いま学生のなかでも1年生と4年生で身体は違う。1年生はまだまだ大きくなると思うし。徳永(FL=商2=)は4月と身体が全然違う。最初ガリガリだった(笑)。大学生はまだ身体が出来上がる、その最中ね」


 NTTドコモ、その前はコカコーラウエスト、と数多の社会人チームに指導者として携わってきたなかで、リーグ昇格といった輝かしい成果を残してきたマコーミック氏。その経歴において、学生のチームを指導するのは初めてのこと。これまでの練習の場で様々な大学チームたちと触れ合うことはあったが、そのなかで「印象が良かった」と話す関学に巡り合った。「社会人ラグビーをずっとやってたので。大学、面白いなと」。


 そこにあるのは『アンドリュー・マコーミック』というラガーマンを形成する、一つの純心。


 「チャレンジ、大好きです」



 楕円球の王国から赤道を越え東洋の島国へと渡ったのも、ずばり新しい環境への挑戦だった。生誕の地は南半球のニュージーランド。祖父・父はともに母国の代表、言わずと知れた『オールブラックス』に名を連ねてきたという家系で生を授かった。受け継がれたDNAは、必然として黒衣への憧れを芽生えさせる。しかし、それが叶うことはなかった。当時23歳、クルセイダーズ(カンタベリー州協会)の主力だったマコーミックは代表選考(『オールブラックス・トライアル』という)にて落選。王国への条理において、挫折を味わったのである。「それから2回挑戦するも結果はだめでモチベーションも下がっていた」。彼は王国から飛び出ることを決断する。選んだ先は、日本だった。


 「海外でラグビーするときも、周りから色々言われたけどね。イタリアとかも選択としてあったけどそこはラグビーオンリーだった。僕自身まだ若いから仕事でもチャレンジしたくて。東芝が仕事とラグビーの両方が条件だった。その形は日本だけ。面白いな、と」


 母国ニュージーランドを始め、楕円球が文化として刻み込まれている環境に敬意を払いながらも、それだけではない、一人の人間として成長する道を選んだのである。


 東洋の地に降り立った彼はここから日本ラグビー界において輝かしく確かな足跡を残していくことになる。96年、社会人リーグの東芝府中に入団。1年目は規則により公式戦に出ることは出来なかったが、2年目からは晴れて出場へ。この年、チームには強力なBK陣が揃い、「メンバーが合った」と話すマコーミックもCTBとしてその一角で活躍を見せる。果たして、それからの東芝府中の日本選手権3連覇に貢献。社会人ラグビー界における一時代を築くとともに、自身はさらにその上のステップへと進む。99年のW杯にむけて結成された、かの〝天才〟平尾誠二氏率いるジャパンのキャプテンに任命され国際試合を戦うことになったのである。それは日本ラグビー史で初の出来事だった。


 国の代表とは、ラガーマンとして目指す高峰。彼が手にしたのは、黒一色に銀のシダが縫われた王国の装束ではなく、紅白のストライプに桜のエンブレムが刻まれたジャージだった。それでも、マコーミック氏は断言する。


 「ジャパン代表のキャプテンをやれたことは、すごい誇り。生まれたときから、お祖父さん父親がオールブラックスで、まわりはみんな自分を知っている環境でした。けど、日本は誰も自分を知らない世界だった。自分が変わらないと、と思ってラグビーを続けた結果だったから」


 その後、2度の引退を経て日本ラグビー界には、それまでと違う立場で関わっていく。母国に帰省しながらも、飛行機で通い続けたコカコーラウエスト時代は臨時コーチとしてチームのリーグ昇格に貢献。続くNTTドコモの監督就任にあたっては、家族ごと日本へ住まいを移し、こちらもリーグ昇格を遂げた。チームを次のステージへと押し上げる功績、人は彼の背中に『勝利請負人』の肩書きを見た。


 あれから3回ものW杯が開催され、2012年、マコーミックは次なる指導の場に全くの新天地を選んだ。関西学院大学、大学生というカテゴリー。



 「常に見られている環境というのは大きいです」


 マコーミックHC元年、主将を務める藤原慎介(商4)はその影響力をそう話す。ある種の伝統でもあった、関学独自の「学生主体」の体制。フルタイムで指導にあたる存在はこれまでいなかった。新しいHCは、それを埋めるピースとなった。それも、とてつもなく重要な。


 「4回生だけで進めていくと、甘えが出てきてしまったり。下の学年の子も、ゆるい気持ちが。フルタイムでいてくれることで、引き締まって集中できている。

 説得力があって、言うことがチームに入ってきやすいです」


 常に近くにいて、自分たちを見てくれているという存在は、やがて信頼を生む。信頼があるこそ、練習メニューやメンバー選考にも納得がいく。この春、早くからチーム内で意思統一が成されていたのも、この環境が与えたものが少なからずあるはずだ。


 藤原組で構築された新しい体制は、絶対的信頼のもとで回っている。むろんベースは学生たちの意思。取り組むメニューは、週初めの火曜日に監督、HC、そして4回生の幹部で話し合われる。そうして火曜日の昼には4回生と下の各学年の幹部に、そこからチーム全体へと落とし込まれていく。跳ね返ってくる学生たちの意見も取り入れながら、練習メニューを考えていく。マコーミックHCも、メニューの意図をきちんと伝え、指示を出す。「アンガスさんを信じて。チームの方針を、迷いなく進めていけてる」と主将は全幅の信頼を語った。


 半年間で、それほどまでの関係を築けた理由とは。その人が持つオーラも、もちろんあるだろう。ラグビーに通ずる者であれば、一度は聞いたことがあるビックネームだ。だが、いまの学生たちにとっては「アンドリュー・マコーミック」の現役でプレーする姿というのは、おそらく物心がついたばかりの頃になるはず。実際、高校からラグビーを始めた藤原も「凄さは知らなかった」と漏らす。


 「学生のHCをやるのは初めてだから、今までと同じやり方では困るね。選手たちの気持ちと僕のやり方、その2ウェイを合わせて」


 そのために、何よりも大事にしているのはコミュニケーションだとマコーミックHCは話す。遡れば、彼が日本のグラウンドに降り立った際も、最初は言葉の壁が立ちはだかったという。しかし「会社だったり、遊んだりで一緒の時間を増やした。話すのを見るだけで覚えていくしね。あ、日本の彼女にアタックするためにも日本語を覚えたよ!(笑)」。


 同じ時間を過ごしていくなかで、必然として会話が生まれ、濃密な関係へとつながっていく。ふとしたグラウンドでの一場面、部員たちに愛称で呼びかけ、話す姿があった。SO土本佳正(社4)には「ツッチー!」との具合で。


 総勢150人超の部員を前に「時々、名前が出ない」と罰が悪そうな表情を見せたが、親指を立てた。「でも、覚えています。彼らをニックネームで呼んで。僕が来てから4ヶ月一緒にいるからね」。さしずめアンガス流コミュニケーション術といったところか。


 そこから、欲しいのは部員たちからの働きかけだとマコーミックHCは語る。「自分の思うことは言って欲しいし、どんどん言ってくれたら。私たちチームなので。毎日練習で合うし、僕も事務所にいるので。壁が無い、ノーウォールで。けど、僕の変な日本語で困らせているかもね(笑)」。



 コミュニケーションの大切さを説かれた一人に副将の安田尚矢(人福4)がいる。


 「常に取れ、と言われています。副キャプテンは、チームとして何をせなあかんかを一番分かっとかなダメなポジションで。とにかく言い続けなあかん、と。


 プライベートでもアンガスさんとコミュニケーションを取って、『ヤスの思っていることを話して欲しい』と。


 すごい頭の柔らかい人ですよ。メニューも『僕はこれが良いと思うけど、どうかな?』って、その理由も詳しく言ってくれる。学生ならではの意見もこっちから言うし、それに同調もしてくれる」


 双方のベクトルが交差し、一つの大きなベクトルへと変わっていく。「自分の考え方だけでは、ね。教えられる技術面とそれ以外のとこはスタッフと話して、聞いて考えて良い方法で。スタッフのサポートが無いと困ります。


 選手だけで125人いて、組織面はすごい難しいけど、僕もまだまだ勉強中。色々とやり方あるね。毎日が楽しみ」とHCは目を輝かせた。


 これまでと違った、新しい環境に身を捧げている。社会人から学生へ。かつてはトップリーグ昇格を託された。今回は、日本一。それでもコーチとして果たす責務は変わらない。それは「状況も環境も違うので、比べられない」ものではあるが、勝利の先に目指す結果があり、結果のために目の前の勝利があるという定理は不変だ。


 いま関西学院大学ラグビー部の置かれている環境にも、さらに良くすべき点があるという。だからこそ「結果が出せば変わるかもしれないし、結果を出すためにも変わることが必要。どっちの考えもあります。まだ日本のトップ4にもなってないからね」


 勝利請負人の看板を背負っている以上自らの使命をはっきりと胸の内に宿している。「本当に毎日が大事。僕自身が、大学のコーチとしてどこまで伸びるか、を考えている」。


 アンガス効果は確かに存在している。ラグビーのスキルを始め、チャレンジ精神、コミュニケーションの重要性、学生たちが学べることは多い。そして、ラグビーをプレーするうえで欠かせないものがある。それは、ファイティングスピリットだ。


 ジャパンを経験した者が語る、その台詞のなんという重さ。「テストマッチは、いつもとは違う気持ちが必要。絶対負けない、というね。相手も同じ気持ちでくるから。

 学生たちにも勝ちたいという気持ちはあると思う。勝つ為にやっているという選手の気持ちが大事なんです」。


 死に物狂いで勝利を目指すという気持ち。その闘志のエッセンスを、指導するチームに、もたらしたい。


 関学にも? 「作りたいな


 そう口にしたときの目の鋭さ。これが、赤鬼と呼ばれた男の瞳か。マコーミックHCは静かにうなづき、口元を緩ませた。鬼の微笑み、そこにスケールの大きさを感じた。(記事=朱紺番 坂口功将)