『WEB MAGAZINE 朱紺番』
フィジカル班『継ぐ者と拓く者』
投稿日時:2012/09/05(水) 01:15
プレーヤーの身体をサポートする『フィジカル班』のなかで、水野正蔵(法4)と篠田春香(総政4)は先頭に立つ。毎年様変わりする大学スポーツにおいて、その姿は特異だ。ここに至った彼らの姿をコーチの視点も交えながら映し出す。
■フィジカル班『継ぐ者と拓く者』

6年が経つ。関わった学生の入部から引退までを幾度と見てきた。そのポジションは指導者というよりは、、、やはりトレーナー。部員たちの信頼をその一身に宿す、辰見康剛コンディショニングコーチは話す。
「学生トレーナーがここまでしっかり出来ている学校は日本にない」
感心する辰見コーチの鼻は高々。幸福感すら覚えるという、関西学院の魅力。その1ピースに、スタッフ陣なかでも学生スタッフたちの尽力がある。プレーはせずとも、彼らは選手と同じく学生チームの主役だ。そして彼ら彼女たちは、世代の移り変わりに応じて、変化を続けている。継承と開拓―いま藤原組には、2つの献身が存在する。
源流をたどろう。かつてプレー以外の、サポート面は大方がマネージャーたちの仕事だった。次に、トレーナーとしての役を学生が担うようになった。最たる例が〝初代〟トレーナー代表・内藤誠泰(経卒)である。翌年、サポート=「支える」ことに2つの解釈が生まれる。『フィジカル班』と『メディカル班』。その分流が生じたときの当時のトレーナー代表・西嶋愛(商卒)の言葉を借りるならば、前者は「アップとかフィットネス、体を〝作る〟」もの、後者は「テーピングしたり怪我の対処したり」するもの。辰見コーチ(この年トレーナーからコンディショニングコーチへと変わった。「やっていることは一緒」と当時のご本人の弁)の存在も相まって、学生たちは知識を取り込んでいく。と同時にスタッフの数は増え、より彼らの役割は専門的かつ細分化されていく。スタッフという大きな枠組みのなかで、それぞれに特化した、多岐に渡る分野からプレーヤーたちを支えるようになった。トレーニングメニューやゲームの分析、食事面の管理…。いまや150人超の部員数のなかで、スタッフは5分の1を占めている。
新しい境地が拓かれた。『フィジカル班』での出来事。トレーナーの歴史に「篠田春香」の名が刻まれたのは2年前のことである。スタッフ史における、初の女性フィジカルトレーナーの誕生だった。
それは、ある種の一大事。「ラグビーのチームでフィジカルを専属にしている女性トレーナーは見たことない。メディカルといった、〝ケア〟ありきのトレーナーならまだしも。男性がやるのとは比べものにならないくらい…」と、その事の大きさを辰見コーチは語る。
篠田自身は高校生時代にソフトボール部に所属するなどアスリート気質を兼ね備えていた。体を動かすことへの関心はもとよりあった。『フィジカル班』にフィットした理由はそこにある。だが、確かに存在した性別の垣根を、彼女自身が、まざまざと実感することになった。
例えばストレッチの場面。トレーナーとして、選手たちに体の動かし方を指示する。が、選手たちは動かない、いや動かせないのだ。
「私だったらストレッチして届くことも、男性だと筋肉がつき過ぎて届かないことも。筋肉があり過ぎて動かせないなんて、自分に(筋肉が)ついてないから分からない」
彼女がぶちあたったのは未体験もとい不可知な域にあるもの。
「高校ではウエイトも無くて、本格的なトレーニングもやったことなかったんで…。
『こうやったらモチベーション上がる!』とかも、それまで女の子が中心だったので、通用せず。
ラグビーを知りだしたのが高校。選手たちは、それこそ10年以上やっている。どこまで分かってられてるんかなと」
篠田は打ちひしがれた。性別も、身体も、感覚でさえも、違うことの壁を前に。そんな彼女に追い討ちをかけるように、状況は変化していく。トレーナー陣に、一人の部員が加わったのだ。その部員とは水野正蔵、ポジションは、元FL。
もうプレーは出来ない。告げられた、だ円球との別れに彼は状況が飲み込めなかったという。ゲーム形式の練習中に水野は頚椎を痛めた。一過性ながら全身麻痺にまで至った怪我の状態は重く、診察を受けた当日に離別の宣告を受けた。
「小1からラグビーをしてきて、あって当たり前のもので。当日に出来ないと言われて…現実を押しつけられたときに悔しい思いがあった。
怪我したときに、同回生が電話とかメールをしてくれて…同回生の奴らが好きだったんで、すぐ辞めるのは納得できず。形は違えど、ラグビーしたいと」
たとえプレーヤーとしてボールに触れられずとも、だ円球への思いは曇ることはなかった。「急すぎて、辞めることは頭に無かった」とも水野は振り返る。それからスタッフとしてチームに関わることになる。けれども、その転身に際しても当初は新たな苦しみに苛まれた。
「すぐにトレーナーをして、では無く。まだプレーの気持ちは強くて。在庫整理とか雑務をしながら…一人前のスタッフでもないし、プレーヤーでもなくて。具体的な仕事が無くて、苦しかった」
その苦しみも、過ごす時間と果たすべき役目への責務が解決していったのだろう。辰見コーチは当時の彼の様子をこう語っている。「僕が印象しているのは、意外とサバサバしているな、って。冷静に、与えられたことをやろう、と覚悟を決めたのだと。フィジカル班でいこう、というのもスムーズに決まった」
こうしてフィジカルトレーナー・水野正蔵が誕生したのである。
それは〝彼女〟にとってライバルの出現でもあった。「負けたくない、と」思っていたという当時の胸の内を篠田は明かす。負けん気の強さ、やはりはアスリート気質がその感情を呼び起こしたか。だが、このときばかりはプラスに働くことは無かった。
「フィジカル班は動くことが中心で、男の子なんで呼ばれるのが正蔵だった。悔しくて…『やらなきゃ』の意識が強い時期もあった」
焦りと責任感が篠田のなかで入り混じる。「うまくいかなかった」3年生次の苦い日々。「失敗続き。全部がうまくいかなかった。自分のせいで…」
辰見コーチが言うに「真面目すぎて、あれもこれもと。その結果、中途半端になってしまう」せい。自分で頑張り過ぎるゆえに、全力を出す箇所の配分に手が回らなかった。苦しむ篠田に、辰見コーチは小言からアドバイスまで言い続けた。それは期待の裏返し。「『女性だからダメだね』で終わらすのは関学のためにならない」から。そう、篠田の存在は現役のチームのみならず、ラグビー部史の変遷を握る重要なものになっていたのだ。すなわち、女性フィジカルトレーナーの先駆として。
腹はくくった。トレーナーの道を歩み出した水野は、それから知識と経験を重ねた。プレーは出来ずとも、体は動かせる。
「トレーニングを見るのが好きなんで。一緒にウエイトルームで体を動かすのも…居心地が良い。
一緒に体動かすことで選手たちの思うことを気づけたり、選手側も受け入れ易いと思えたり。ガリガリの人に指示されてもピンとこないかなと(笑)」
篠田の苦労も、しかしこればかりは仕方のないことだろうが、水野にとっては分かりえない部分。〝彼〟も、フィジカル班なのである。「出来るのに、やらないのはもったいないと」。おおよそスタッフ陣でも浮きだつ鍛えられた身体は、そう考えている証、身も心もトレーニングに捧げている証だ。
と同時に、彼は新しい関わり方にも着手した。今年の4月にレフェリーのC級ライセンスを取得したのだ。プレーヤーの経験を活かす手段として、チームへの貢献を増やした。
「選手の経験もあったんで、そのときの知識と経験を。永渕(雅大=経4=)も一緒に」
練習メニューのなかでも、実践形式のものでは必然的に、笛を吹く役が必要となってくる。「最低でも一人はいるなと。で、僕がやろうと。最初は無免許で練習のときだけだったけど(笑)。けど、実践の練習が一番大事なので。レフェリーの質が上がらないと、練習の成果につながらない」
使命感が水野をステップアップさせた。トレーナーに新たに加わったレフェリーという役割。その姿は、振り返れば2年前の大崎怜(商卒)と被る。
スタッフとして学生時代を貫いたトレーナー・大崎。彼はレフェリングの資格を取った点における第一人者である。先輩のプレーヤーも同時期に試験に合格した経緯もあるが、スタッフ陣の存在が確固たるものになりつつあった時代にレフェリーも兼任でき得た稀代の雄。部員数も激増していくなかで、練習時のサポートを厚くするべくして乞われた形だった。
そのDNAは2年経ち、後輩に引き継がれていた。トレーナーとレフェリーの融合。そこにある、水野の思いとは。「チームにとって必要とされる存在に。フィジカル班になってからも思ってて…レフェリーも含めてチームに貢献できる」。部への献身の一つのスタイルとして、それは確かに継承されている。
一方で、篠田も3年生次の教訓を活かし、自分なりのスタンスを打ち出す。それは、スタッフという縁の下の、さらに縁の下に就くということ。「自分が動くよりも、後輩をうまく取り込んで」仕事に向き合うことにした。アップ時に前に立つよりも、プレーヤーたちが取り組むメニューが円滑に進むように努めた。といっても、練習メニューは多彩(部員数の増加も伴っている)で、スムーズに回すためには、しばしグラウンドを奔走することもある。だが「それが楽しくて」と彼女は微笑みながら、こう続ける。
「メニューがうまく進んだら、アンガスさん(マコーミックHC)がアイコンタクトで『いい練習出来たね』と。それがモチベーションになったりも。
いまはグラウンドを全面使ってて。私が1年生のときはゲーム形式でもコート半分だったりしたけど、いまは端から端まで走ってます!」
分単位で150人の部員が1面のコートで、決して被ることなく動く。篠田を筆頭にフィジカル班がサポートしコントロールする様を辰見コーチは評する、『芸術作品』と。
「春ちゃん(篠田)が縁の下にいるから、後輩たちも動ける。女性のフィジカルトレーナーということは、すごく勇気がいること。性別の違えば、身体も違うなかで、春ちゃんなりに工夫して伝え方を変えていかないといけない。怒られたこともあるし、悩むこともあった。けど、女性であることを言い訳にしたことがない。それが素晴らしい。
根性、打たれ強さ、忍耐力は正蔵よりもあるんじゃないかな…すごいよ」
その強力なサポートに縁の下を支えられ、フィジカル班のリーダーに水野は立つ。「信頼して任せられる」リーダー像である反面、おとぼけな部分もあると辰見コーチは話す。
「『さっき言うたやん!』と言わせるようなね、かわいげのある凡ミス…ささいなミスだったりのポカをしても、まとまる、そんなグループのリーダー。天然ボケなとこもあるけど、まわりがサポートしたら、と」
ただ生真面目なだけではなく、リーダーのそんな一面も緩衝材となっている。それらも含め、フィジカル班はお互いがサポートし合う環境が出来ている。
「正蔵がレフェリーだったりでシンドいと思うので、そのときの練習は自分がやろう、って。自然に役目が分かれてる感じ。出来ることがお互い違って、うまく分かれたと」。そう話す篠田の表情に、硬さは一切見られない。
加えて、皆がストイックな点はこの班の真骨頂である。専門的な知識を取り組もうと勉強に励んだ岩尾佳明(経卒)をかつての例として、いまのトレーナー陣も勤勉だ。3年生の大下真須美(経)も教科書を手に、女性トレーナーとして篠田に続いている。
そして何よりもリーダー水野の意気込みは常に上向きそのもの。
「トレーナーとしてもっと上に。チームに貢献できるよう成長したい。4回生として残された時間もわずかなので
同期・後輩たちと最後まで勝ちを求め続ける、最後まで高めていきたいです。楽しめるとこは楽しんで、頑張っていきたいと」
フィジカル班を引っ張る水野と篠田。「2人の意見を合わせて決めていくなかで、僕自身がその意見を参考にしたいと思える存在」と辰見コーチは語る。2人からすれば「大先輩だし師匠」(水野)に当たる存在からのその言葉は、今日の充実ぶりを表しているに他ならない。
それらはこれまでの先輩たちが紡いできた思いや姿勢に倣い、やがて自分たちが持つ勇気と向上心によって、到達した現在地である。
今年の夏、彼女は誓った。「最後まで私はサポートし続けます」。献身の思いは今日もチームに注がれる。■(記事=朱紺番 坂口功将)