「緑川組~MOVE~」
『山本有輝のROOKIESな日々』最終回
投稿日時:2010/06/17(木) 02:17

―もうラグビーはしないの?
「やらへんよ!」
それから数ヶ月、いや数週間か。山本有輝は関学ラグビー部に帰ってきた。
厳密にいえば、カムバックという言葉はふさわしくないかもしれない。けれども、フィールドには確かにその姿があった。
学生コーチへの就任。もとより、やりたい気持ちはあったという。
「ラグビーは関わりたいなって。卒業危ないからコーチするのも悩んでて。そしたら健太(田中=CTB=)もやるし、就活も決まって。(何もせず)このまま5年目しても…(笑)。それで、コーチという形で貢献するのもありかなって」
学生プレーヤーは引退した。次は、学生コーチだった。
いま学生コーチとして、またはそれに準ずる存在として現役部員たちへの指導に当たる山本や片岡将。彼らは、どこか特異な存在に見えた。学業等の諸事情で、在学するいわば5年生。プレーヤーではない。引退はした。けれども、どこか現役のような雰囲気を漂わせる。文字どおりの〝学生〟コーチ。
「選手と近いやん」
山本は話す。それを象徴する場面が以前あった。
5月5日の関学ラグビーカーニバルのこと。『1回生vs2回生』試合などすべてが終わっても、グラウンドには人影があった。本企画のインタビューを山本へ行なっていると、1年生が寄ってきた。フィットネスやアタック面について質問をぶつける。それに答える山本。すると横でワンツーマンで指導していた片岡と原田も来た。それからは雑談も交えながら、技術面、精神面問わず熱いトークが繰り広げられた。
部員がコーチに教えを乞い、質問をぶつけるのはおそらく普通の関係。だが、そこには先輩・後輩という図式がより色濃く表れていた。だからだろう。気兼ねなく話せる現役部員と、腹を割って向き合う学生コーチの姿があった。
「ホンマやったら知り合わんやん。会ったとしてもよそよそしいし」(片岡)
これがもし、引退し卒業もした社会人1年生のコーチだったらどうだろうか。おそらく1年生はどこか萎縮したはずだ。(それでも山本と片岡の2人なら早々に打ち解けそうだが…)
事情はあるにせよ、学生であることが奏功した。言い換えれば、5年目の部員。4年生で幹部学年となり引退して、ラグビー部の酸いも甘いも身に染みて知っている。4年間を過ごした経験談に加え、それゆえの説得力もある。
時代は変われども、本質として変わらない、関学ラグビー部の代名詞である『学生主導』。就任してまもないルーキーコーチの存在は、立場違えどもそれを実感させるものであった。(完)
【エピローグ】
コーチ業のかたわら、プレーへの思いは募っている。それは口にはめているマウスピースからうかがえる。
「フィットネスもやるし、体当てもガチでやる」
春先、学生プレーヤーとして続けることも考えたことがあった。
「うっすら、やろうかと。けどリアルに卒業が危なくなるから、やっぱ卒業せなアカンって。悩むほどじゃないけど、考えて(笑)」
やがて学生コーチの道を選んだ。そのうちプレーへの思いが芽生えたのだろう。くわえて周りを見れば片岡や田中健太ら同期の面々が、ラガーマンとしてプレーを続けていることに触発もされた。
そしていま、楕円球を再び追いかけるイメージが山本の頭にはある。
「むっちゃ、やりたいで!社会人なってもクラブチーム入って、やるから」
インパクトプレーヤーの闘姿を見られる日はそう遠くないかもしれない。
ルーキーズの総監督を経て、ジュニアチームの指導に当たる山本にある問いをぶつけてみた。
―関学じゃなかったら、コーチはやってない?
「関学やから、やったんちゃうかな。他は分からんけど、4年間やってきたから。やろうと思わせてくれたんは、関学イズムが。そういうのがあって、いまがあるかな」
かねてより関学への愛校心を説いていた山本。以前こう話していたことがある。
「後輩とかには、絶対エエで!って言うてるもん。思ったことないもんね、他大学が自分たちのとこを言うような、イヤやねとか」
関学だから、学生コーチ・山本有輝が生まれた。山本有輝だから、関学の学生コーチができた。この1年間で終わるには、その関係は心惜しい。けれどもこの1年間だけだから成立しているのもまた然りである。■
(記事=朱紺番 坂口功将)